見出し画像

ルーティン化が得意すぎる弊害について哲学する

人生で初めて行ったルーティン化は整理整頓だった。
小学生になったばかりの頃、私は教科書や学校で必要な道具類などたくさんの物の管理を行うこととなった。

親からは特に説明もなく、学校というところに通わなくてはならなくなり、毎日机に座っていなくてはならないという苦行を強いられ、ひたすら先生の話を聞かされるという非常に辛い日々だった(理科以外は)。
もちろん勉強する意味も知らなかった。
翌日の授業のために教科書やノートを用意するのも苦痛だったが、用意していないと非常に気まずい、ということだけは理解していた。

当時の自宅には私の部屋というものはなく、リビングの片すみに置かれた古い机に雑然と物を置いていた。
机の上に置ききれないため机の周辺にも物が溢れかえっていた。
そして、3つ上の兄に言われた言葉に激高して整理整頓をルーティン化させた。
確か「お前だらしねえなあ!片付けろよ!」みたいな事だったと思う。

それからの私はいつでもどこでも整理整頓していた。
兄に「片付けもできないの?」と言い返せるくらいだった。

私にとって学校に通うことは苦痛でしかなかったが、行かないと親に連絡が入って毎日キツく叱られ、最後は体罰になるので、だったら通うか!ということで学校に通うこともルーティン化した。
ひたすら通い、ひたすら帰宅する日々だった。
当時、お坊さんに憧れていたので「これらは全て修行」と自分に言い聞かせて続けていた。

そのため、体調が悪くても判断がつかず、ひたすら登校していた。
どうしても行きたくない時は熱が出たのでほんのたまに休めたくらいだった。

私の場合、体調の悪さがメルタルに出るので人間関係に注意が必要だった。
無気力、ゆううつ、イライラ、なんでも面倒に感じる…などなど。
大人になってから気づいたことなので、友達はほとんどいなかったし、いても遠く離れた状態の友達がほとんどだった。
そもそも距離感がおかしかったのだが、これはまた別の話としてここでは割愛する。

その後もルーティン化は得意で、大抵の事はルーティン化していたが、やりすぎて体調を崩す、というサイクルに陥りがちだった。
勉強をルーティン化しすぎて高校3年間は常に学年トップだったが、ずっと体調が悪かった。
推薦で大学に入れたのはラッキーな副産物だった。
入試に必要な学力は情報もなく知識もなく塾などにも行けなかったので持ち合わせていなかったが、やればできる子であると、教師になったいとこからは言われていた。
もっとまともな親だったらもっといい大学に入れた、とも言っていた。確かに。
確かにやりすぎてしまう子、であった。

ストレッチやヨガも自宅でルーティン化し過ぎて逆に疲れが溜まって体調を崩す、など現在もある。
私の場合、週に一度のヨガ教室でだいたいOKのようだ。
何もしていなくても、太ることはほぼないくらい無意識に健康な生活をルーティン化しているためだと思われる。

結論、ルーティン化しすぎると体調を崩す。
友達もできない!(きっちしすぎて堅苦しい)ということだと思う。
もしかしたら何かほかの要素があるのかもしれないが、それはそれとして今後の気づきに任せようと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?