見出し画像

今まで無視してきてごめん。

嬉しい気持ち
悲しい気持ち
出始めたら止まらなくなる一方で、

楽しいってなに?
怒りってなに?って、戸惑いながら生きてきた。

ほかの人が当たり前に、感覚的にできるはずのことが、わたしにはできなかった。

それは、感情を無視してたから。
感情を押し殺して生きてきたから。

幼稚園の時からずーっと、たったひとつの感情に怯え、支配され続けてきた。

23歳にしてやっと感情を知ったっていう話。
またなんか言ってるわ、って感じで聞き流してくれ。

6月

さわ孝さんと出会って、感情とは何者かを知った。
まずは自分で感情を感じることから始めた。

感情を感じて、認めて、受け止める。

感情マネジメントの方法を教わり、
日々実践するうちに明らかに心が軽くなった。

10月

感情マネジメントセッションを受けた。

たったひとつの感情が、これまでの自分の人生や周りの人に、どれだけ強い影響を与えてきたかがわかり、辛かった。

今まで見えないふりをして、押し殺して、押し殺していることさえ忘れていた、弱い自分が目の前に姿を表して怖くなった。やっぱり押し殺してしまいたいと思った。

でも、弱い自分は悪者じゃなかった。

過去の経験から生まれた無感覚。

「自分の訴えは認めてもらえない。主張してもどうせ伝わらない。」という無感覚と思い込みが現在の自分の行動を支配していた。

無感覚で、無になった自分は嫌われる。
嫌われたくない。
だから、嫌われない自分を演じる。

主張するのを避けて、嫌われない自分を演じて生きることで、自分の中の「主張は伝わらない」思い込みはさらに強くなった。

どうせ伝わらないと諦めているから、自分の主張は言わない。
知識ばっかり頭に詰め込んで、ポジティブな言葉だけを口に出した。
やりたいことをやっているふうに見せてきた。
だってそうしていたら褒めてもらえるから。

しかも厄介なのは、自分を作って見せるのが結構上手なこと。
達観しているように見られて、周りは誰も口出ししなくなった。

でも、本当の自分とのギャップが苦しかった。

「何も主張しなくても、何もしなくても、こうしておけばとりあえず大丈夫」
そうやって、やり過ごしてきた。

よくないとわかっていても、やり過ごすことをやめられなかった。

大人になって社会に出て、私の甘い考えや杜撰な向き合い方は簡単に見透かされた。

何度も周りに迷惑をかけ、何度も失敗した。

でもやっぱりやめられなかった。苦しかった。

無感覚で、無になった自分

嫌われない自分を演じる自分

ふたりの自分を目の前に立たせて、それぞれになりきって、お互いの感情を感じ切った。

今まで押し殺して見えなくなっていた「怒り」の感情が現れて、乗っ取られるんじゃないかと怖くなった。

けれど、それも全部感じきったら綺麗に流れていった。

感情が綺麗に流れていったことで、自分のこれまでの言動をまっすぐ受け止め、認めることができた。

これまでの自分の苦しさや痛みがどれほどのものだったか 俯瞰して見ることができた。

たった2時間という短い初回セッションで原因がきれいさっぱり解消して、やるべきことが見えた今、

あとは
「未来のために、過去の自分とありのままの現在の自分を信じてどれだけやれるか?」という段階に入った。

今までとは見える世界が変わった。
現在の自分の立ち位置が見えた。
やるべきことが見えた。
大事にしてくれる人の愛をまっすぐ受け取れるようになった。

あとは自分次第。よしっ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?