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湯布院映画祭で二度目の『女優は泣かない』を観た



湯布院映画祭に行った

水曜日のお昼、ローソンの駐車場で湯布院映画祭に仁人くんが出ると知った。前売券の販売サイトはローチケだった。5分くらい躊躇したあと今いる場所を思い出して、え、ここやん、と思って、その足で前売券を買った。


大好きなアイドルが、かつて住んでいた熊本を舞台とする映画に出る。自分との共通点として勝手に喜びの材料にしている「九州出身」がオファーの理由の一つらしい。嬉しくて嬉しくて、仙台に住む昨年の私は上映を心待ちにしていた。仙台での上映は一般公開より少し遅れていてやきもきした。『女優は泣かない』は、私が今年最初に観た映画だ。

7月、異動で地元の九州へ戻ってきた。

そして8月。湯布院映画祭に行くことを決め、7ヶ月前に観た場所から約1500km離れた地で同じ映画を観ることとなった。おもしろいもんだね。
以下、二度目の鑑賞を終えての映画の感想と、映画祭の感想を書きます。内容説明を省くから映画を観た人にしか伝わらないかも。ネタバレも含みますのでご注意ください。



二度目の『女優は泣かない』を観て

最初に観たときの感想は「真希姉がかわいそう」だった。主人公・梨枝の姉である真希は、三人きょうだいの一番上という点においては自分と同じだった。母親が亡くなってから末弟・勇治の親代わりになった真希。そんな中妹が父親と言い争いながら家を出る。10年後、女優となった妹はスキャンダルを撮られ、父親が危篤のときに突然帰ってくる。その妹に、父の最期の瞬間を撮影され見世物にされる。父親が最期に瞳に映したのも、涙を流した理由も、妹。いや普通に許せない。病人に焼飯を食べさせようとした梨枝を止めようとしたら勇治に自分が止められて、裏切られたように感じたんじゃないかな。それでも最後のシーンで「頑張りんしゃい」と妹に言える真希はすごい。すごいと思う一方で、まあ私も同じ立場だったら結局そう言うだろうなと、確信に近いものを感じてもいた。書きながら気付いたけど、要は真希が、自分と似ている姉像だったのだと思う。


めちゃキレてて草


私は今年に入ってからコンテンツの感想を必ずメモするようにしている。その一つ目がこの、『女優は泣かない』を観て湧き出た怒りの感情だった。(蛇足だけど、同期の活躍を知らされて頭を掻きむしりながら「は?……は?は?」しか出てこないディレクター・咲の苛立ちにはめちゃくちゃ共感して心臓痛かった。)

物語を通しての感動よりも、主に真希姉の目線で納得いかない気持ちの方が大きくて、だからこそ湯布院映画祭に行くのを一瞬躊躇ったのだった。わざわざ二度目を観なくてもいいのではないか。映画の感想はわかっているのに、登壇するゲストに会いたいためだけに参加していいものなのだろうか、と。結局会いたさが勝って行ったのだけれど。


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二度目の『女優は泣かない』の感想は前回とは視点が異なっていた。ドキュメンタリー撮影で地元に帰ってくる羽目になった梨枝は、知り合いに自分の帰郷を知られたくなかった。しかし偶然連れられた居酒屋は馴染みの店で、女将にすぐ梨枝だとばれてしまう。宮崎美子さん演じる女将が目尻を下げてにこやかに微笑んだ。「おかえり」。

4音から温度が溢れ出ている「おかえり」。これは、この1ヶ月私が喰らい続けている、呪いみたいなあたたかさそのものだった。

7月、望まぬ異動で地元の九州へ戻ってきた。
地元に戻る意思なんて、高校を卒業した時点から全くなかった。それなのに自分の力不足が重なって、今結局ここにいる。友人や親戚に帰郷を喜ばれるたびに胸が痛い。宮崎美子さん演じる女将の口調にそっくりな熊本生まれの祖母が、誰よりも喜んでくれた。「おかえり」って何回も言われた。それが一番苦しかった。

どこかで聞いた言い回しの受け売りになるけれど、真希には真希の、勇治には勇治の、そして梨枝には梨枝の地獄があるのだ。最も感情移入できなかった梨枝に初めて共感してそう思えた。「おかえり」のシーンなんて一度目は気に留めてもいなかった。この環境下で二度目を観ていなければ、絶対に得ることはなかった感想。コンテンツの感想は作品そのものの出来だけで決まるのではないと改めて学んだ。視聴する側の置かれた環境によって、その作品の見え方は大きく異なる。


そう考えると、食わず嫌いはおろか、一度苦手だと感じたものやそれと同じジャンルに括られるものを永久に避け続けるのは、勿体無いのかもしれない。そういう心の余裕をもって自分の観るもの聴くものを選択できれば、コンテンツを通して見える世界はもっと広がる気がする。二度目の『女優は泣かない』に、少し大人な考え方を教えてもらった。機会を与えてくれた湯布院映画祭と仁人くん、ありがとう。



満たされまくりの80分間

上映後は会場を移動し、有働佳史監督、吉田仁人さん、木滝和幸プロデューサーを迎えての「シンポジウム」が行われた。

いや、シンポジウムて。

最初に映画祭のサイトで見たときは笑ってしまった。大学の掲示板に貼られた見向きもしないチラシとかでしか見たことない単語、シンポジウム。一体何が行われるの。笑ってしまったものの、言葉通りの意味に受け取れば仁人くんの話を深く聞ける機会ということだ。私はかなり楽しみにしていた。


80分間をフルに使って観客の感想発表や3名との質疑応答が行われた。映画祭の常連さんからの感想は賛否両論。褒め称えてばかりではない、しかし穏やかな雰囲気のまま、一つの作品について語る空間がとても心地よかった。私は100人中100人が傑作だと拍手する作品なんて嘘だと思っている。

特に印象に残ったことの一つが、作品中の方言は舞台とされている熊本の本当の方言ではないと意見が出たことだ。監督によると、ほかの視聴者からも言われたそう。そしてこれは私自身も思っていた。熊本で数年暮らしていたけれど、まず熊本出身の友人たちは登場人物が喋る言葉を使っていない。「よかよ」って言ってる人、祖父母の世代以外で見たことない。かと言って年配の人たちの訛りとも違う、「ザ・九州弁」みたいでリアルじゃないなと感じて、全く知らない地域が舞台だった方がこの点では入り込めたのかなーと1回目の鑑賞の時点で思っていた。

その後、別の方が、「方言に関してはそれでいい」と言った。同じ福岡の方言でも北九州と博多と久留米の方言は全く違うという喩えにぶんぶん頷いてしまった。一地域の方言を「熊本の方言」として描いてしまうべきではない、ということなのだろうと私は受け取った。監督はこれらの意見に対して、「あえてニュートラルな方言にした」と話していた。ご当地映画にするつもりはなく、より広い範囲に届くように、九州を知らない人が感じる九州っぽさを描いたそうだ。自分が感じた「ザ・九州弁」はあえてそう描かれたものだった。

私は普段、コンテンツを観て得たマイナスな感情は発信しない。他者に作品の批評をするなと言いたいのではなく、私がそれをする必要はないと思っている。しかし方言に関して違和感を抱いた意見が出なければ、今回監督の思惑は聞けなかったのだ。自分のスタンスは特に変わらないけれど、こういう場での意見交換は良いものだなと、ほくほく満たされていく感覚があった。あなたはこう思うのね。オケ、でも私はこう思うよ。そんな感じで感情を昂らせずに行われる議論、穏やかに一つの題材を深掘りしていく空間が私は大好きなのだと改めて実感した。

率直な感想に一つ一つ思いを返していく監督や笑いながら話を聞く仁人くんを見て、創り手って心が広いな…とも思った。すごい。

ほかにも、「展開がベタだ」という感想に対して「ベタであることが良くないとされている風潮に納得がいかない」と反論があったり、あからさまなご当地ものではなくその土地の風景や自然の姿から熊本を表したかったという監督のこだわりを聞けたり、九州の人たちがジョイフル(作品内に出てくるファミリーレストラン)好きすぎて笑ったり、とにかく楽しかった。かくいう私も、帰ってきたし行っとくかと火曜日にジョイフルで唐揚げ定食を食べたばかり。仁人くんが「ジョイフルおいしいですよね」と言ったときには思わず声を出して笑った。

ジョイフルのアプリ



仁人くんの話

登壇する仁人くんを見たい目的で来たはずが、彼以外の側面でも十分に満たされてしまった。それに加えて、後方の席から顔を見ながら仁人くんの話をじっくり聞けて、なんかほんと、ほんと夢みたいな時間だった。


この作品に関して「アイドルが出ている、という色眼鏡で観られるのは作品に対しても害かなと思ったので。しっかり監督のいうことを聞きながら、いい感じに馴染(なじ)んで、作品に押していく流れになればいいなと思いました」。

鹿児島出身のM!LKリーダー吉田仁人が登壇!九州愛を大いに語る【第49回湯布院映画祭】

「害」って表したのがものすごく印象に残っていて、絶対忘れたくなくて脳に赤ペンを刻み込んだところ。記事で再確認できて嬉しい。


自分にも弟がいて、15歳のときに家族総出で上京したから、弟はもしかしたらこんな気持ちだったのかなと思いながら勇治を演じた話。「東京」に対する感情。いろいろな話が出た中で、特に、自分が勇治だったら彼のような良い弟になれる?という質問が心に残っている。他のお二方がなれないと答えた中、仁人くんは「姉に対して思うことは当然あったと思う」「でもそれを表に出すのは男として格好悪いと感じるのではないか」「もっと良い弟を演じることもできたかもしれないけど、あえてそこまではしなかった」と話した上で「自分が勇治だったら同じく良い弟をやると思う」「家族にはそれぞれの役割があるから」と言っていた。記憶頼りのため断片的な表現です。以前ラジオで話していた家族観の話と重なる部分があった。

九州の良さについての話は、これは私の完全な主観というか妄想だけれど、戻らないと覚悟を決めている人が語る故郷への想い、という感じがした。私も戻る気なかったのにな……と思い始めて痛かった。

自分が知らない仁人くんの価値観に新しく触れられるというより、普段様々な媒体を通して聞いている話が同じ空間で語られることで、平面だったものが立体になるような、確かな触感が出るような感覚になった。視聴者からの率直な感想に揺れ動く目線、綻ぶ口元。質問され、即興的に繰り出される回答。そこで紡がれる言葉。私は彼から生まれ出る言葉を知りたくて仕方なくて日々見ているところがあるから、本当に今日来てよかったと胸を締めつけられた。



湯布院映画祭、行ってよかった!

冒頭で書いたように、登壇するゲスト目的で映画祭に参加することを引け目に感じていたのだけど、映画祭常連のおじさま方が「いつもこんなに人は集まらない」「この子たちはみんな君を見たくて来てるんだよ」とネタにしつつも好意的に迎え入れてくれて、その空気感にも救われた。

同じ作品でも時間を置いてみると見え方が変わる発見、作品に対しての意見交換の楽しさなど、作品を鑑賞する上での心持ちが深まる経験ができた。仁人くんの九州トークに共感できる点だけでなく、この映画祭の空気感のあたたかさや今回の体験から、九州出身であることを嬉しく思えた。終了後に由布岳を見ながら食べたとり天がおいしすぎたことまで含めて最高だった。

仁人くんと湯布院映画祭と『女優は泣かない』、8月25日を彩ってくれたすべてに感謝しています。ありがとう。また出てほしい! 絶対行きます!


まじでおいしかったこれ




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