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7月なったしとりあえずnoteを開いた


好きな音楽に出会ったときに「あの人はこれ好きかな」って考えるの、もしかしてめちゃくちゃ恋なのでは、とか思った。「もしかしてめちゃくちゃ恋」って何だそれ。好きが一致していたら嬉しいな、私が教えた私の好きを好きになってくれるのも嬉しい。自分の好みとは違う、と矢印が反るのも、それはそれで楽しい。

最近の好き。『春』が特に良い。


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あ、ちょっと楽しい
花が咲く手前みたい

ヨルシカ『ルバート』

楽しい、と書いて思い出した歌詞。「楽しい」に続く描写が「花が咲く手前」なの、心の底が震えた。心震える言葉に出会う瞬間って首の裏が粟立つ感覚がある。なんでか首の裏。ぞぞぞ、となる。「花が咲く手前」を切り取る感性も、それを「楽しい」と連想させる発想も、きっと一生をかけても自分のものにできない。



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5月の終わり頃から予期せぬことが起こり続けている。ずっと落ち着かない。ずっと慌ただしい。自分の感情に気付いたり情けなさを自覚したりひとの優しさにあたためてもらったり、人間関係なんて脆いものだなとぽっかりした穴を感じたり、反対に、この数年で意外にも築けていたものがあるのだと知ったりしている。


昔々に好きだった人と数年振りに会話する機会が何度かあった。そわそわしたことは認める。でもあの頃の思い出のままで留めておきたかったなという気持ちが大きい。こちらを向いているあなたは私の好きなあなたではなかった。LINE追撃なんてしてくるようなタイプじゃなかったじゃんね。私は、私なんて眼中にない人の遠くを見ている視線が好きなのだと思う。それを勝手に追いかけているだけで充分満たされていた。……とか言いつつこの1ヶ月を思い出して書いてるのがこれな時点で負けなのかも。

なぜか最近友人たちとよく「本当の好きって何」みたいな話になる。おもろい。そんなん私も知らん。


結婚した幼馴染が居酒屋の入店時に告げた聞き慣れない苗字。彼女が何気なく発していた「旦那」。お酒を飲まない友人との夜ごはんってどうしてたっけ、って塩梅がわからなくなったこと。何も言わなくてもわかる、は、一定の間柄においては多分本当にある。わかるからこそ噛み合わない、みたいなこともある。親しき仲にも礼儀がある関係性が好きで、それ故に遠慮がぶつかり合って時が進まない瞬間がもどかしい。



望んでいない別れと望んでいない出会いが待つ7月が来るよー。いやだよー。


7月1日中に上げたかったのに過ぎた、洗濯物を畳んでいる途中の思いつきで書き出したものたち。

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