遊びにおける「準備」させるということ
お疲れ様です。
今日は…なんでしょう、遊びにおける「準備」させる大切さの話だと思います。
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コーヒーって美味しいじゃないですか。
僕はコーヒー飲むとお腹を壊すんであんまり飲まないんですけど、最近ようやくコーヒーの美味しさがわかってきたような気がします。
でもコーヒーって苦いとわかっているから、その苦味を楽しむことができると思うんです。
もちろんコーヒーって苦味が全てじゃないと思うんですけど。
というのも、例えば「これ、これコーラだよ」って言われてコーヒーを渡されて、「あぁ、コーヒーか」って完全に騙された(そんなことありえないんですけど)状態でコーヒー飲んだら、どんなコーヒー好きでも吐き出しちゃうんですよね。
当たり前かもしれないんですけど、不思議だと思いませんか?
どんなにそのものが高級だったり、良いものだったとしても、受け手が準備できていない、予想と違うことをされると受け止めることができないんですね。
起承転結とか、王道とか言われるものの何がすごいって、この人の準備させるところなんじゃないかぁ。
ゲームとかってよく新しいものを作りたい!ってなるけど、ただの新しいものは全然遊び手にとってわからないものなんですよね。
だからって新しいものが不必要なわけではない。
予想通りすぎるものというほどつまらないものはない。
だからこそ、今あるコンテンツとか、定石を利用することは大事でありますし、新しい体験、感覚をどのように与えれば遊び手が受け止めてくれるか考えることが大事なのかなぁと思う。
実はゲームにおける地盤作りって地味な感じではありますが、命だったりするわけですね。
地盤を作った上で、それを自ら崩す。これが面白さの肝ですね。
また、作り手って作ったものを一番理解している、いわゆる楽しむ準備ができちゃっている人なので、ここと遊び手の差が起きていることをちゃんと理解しないといけないんですよね。
そういう意味でも遊びの構造を理解していないといけない。
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普段、人が「苦味」といった嫌がる要素も、状況を作れば楽しむことができる。
だけどやっぱり僕はコーヒーが飲めない。
かわりに最近何故か炭酸水にハマっています。
炭酸水の苦味と口の弾け具合、皆さんぜひ準備した上で味わってみてください。
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