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心配とは優しい言葉なのか?

ひねくれているのかもしれないが、僕が辛い時期に一番人からされてキツかったのは「心配される」ということだった。
もう少し説明するとそういう言葉をわざわざかけてくること。
心配してくれるなんて優しい人じゃないかと、その優しさを真意に受け止めないお前は性格悪いなと思うかもしれない。
実際、僕もそう思った時もあった。

でも、相手の心配という言葉を聞いていると、これは本当に優しさなのか疑問になざるおえなかった。
そういう人の話をよく聞くと、別に僕に興味を持っていなかったことに気づく。
ただ、自分ではなく、自分の取り巻く状況をチラッとみて、それだけで自分という人間を評価しているような。
その瞬間、その人の中で自分のことを見下ろすようになる。
正直、心配するなら自分のことをまず心配しろと、いつも思っていた。

荒くいってしまえば、心配してくる人はその人が目障りなんだと思う。
もちろん、絶対そうだとは思わないが、心配という言葉思っている以上に優しい言葉ではないような気がするのだ。
何より、心配されることが強烈なボディーブローのように効いてくるのだ。
ただでさえ不安定な道を歩いているから、なんとか安定させようとするのに、それを揺らしてくる感じ。
無視したくても、じんわりと頭に残るのです。
心配されてよかった試しはない。
その経験から、やっぱり心配という言葉を使い方には気をつけている。

結局は自分に余裕がないのだ。
そういう時はもう1人になった方がいいと、周りと関わらない方がいいと思う。
ブレそうな時ほど1人になって突っ走る。
それでちょっと安定してきた時、ようやく外と関わった方がいい。
そこで影響を受けて、不安定になって、また籠る。
そんな感じ。
今はちょっと安定していると思う。
だからもう少し頑張ってみようと思う。

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