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ピクミン2に心に穴を開けられた

僕のデジタルゲームデビュー作品は「ピクミン2」というゲームです。
やったことない方でもCMが有名なので知っているんじゃないでしょうか。

初めてのゲームで「2」なんですね。
というのもまだゲーム機を持っていなかったときに友人の家で遊ばせてもらったのがきっかけだからなんですね。
やらしい話、ピクミン2をやるために友人の家に遊びに行っていました。
すまない、友人M。

このゲームによって影響は大きく、今こうしてアソビクリエイターの道に進んでいるのもこのピクミン2大先生からの教えに習ってです。
僕にとってゲームとは遊びの先生なんですね。

ピクミン2の面白さについて語り出すと止まらなくなるのでここではやめておきますが、最初にこのゲームを見たときの衝撃は小学生ではありましたが凄まじいものでした。
テレビ画面に映る現実に似た世界に、たくさんの小さなピクミン(2cmくらい)たちが動き回っている。
それは当時大好きだったアリンコの観察と似た感覚であり、さらにその世界を自分の手で動き回ることができる。
圧倒的感動。

またピクミンとの関係性も面白い。
プレイヤーが操作するキャラクターはピクミンに指示を出して色々な作業をこなしていくのだが、このピクミンへの指示は基本「投げる」だけなのだ。
このピクミンを投げることによって、敵を倒したり、運んだり、壊したりとピクミンへ指示を出すのだ。
なんとも荒い。

というのもピクミンは何を考えているかわからない。
言語でのコミュニケーションはできないのだ。
まるで人と犬との関係性と言えばわかりやすいだろうか。

だからこそ「投げる」のだ。
ピクミンを「投げる」という非常に無慈悲な行為でなんとかピクミンに指示をするのだ。
だからこそ、うまくピクミンに指示を出せない時もある。
だが、このすれ違い感がたまらなく面白いのだ。
このすれ違いは動物とのコミュニケーションに近いものを感じる。
フィクションであるのに、その妙にリアルな動物との関係性を感じることでピクミンが生きているように感じる。
そして愛着が湧く、大切にしたいと思う。

だが死ぬ。ピクミンは死ぬ。
プレイヤーの誤った指示によって死ぬのだ。
いとも呆気なく。
ピクミンの断末魔とともに。
泣いても、誤ってもそのピクミンは生き返ることはない。
リセットボタンを押さない限り。

この恐ろしいほど残酷でリアルな自然の摂理によって、よりピクミンという存在が生き物たらしめる。
生き物たらしめるほど、ピクミンの死というのはプレイヤーの心に穴を開けられるほどの火力になる。
ピクミンの断末魔を聞くだけで背筋が凍る。

この話はピクミン好きなら共感してもらえる…と思う。
知らない人とっては何のこっちゃって感じですかね。

とにかく、僕はこのピクミン2によって心に穴を開けられました。
今は塞がっていますが、あの開けられた感覚は忘れられないでしょう。

私がどのような遊びの提案をしたいというとこの「心に穴を開ける」ということだろう。
その遊びでしか味わえない猛烈に濃厚な攻撃によって人の心に穴を開けたいのだ。
私がピクミンによって開けられたときのように。

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