頑張れという言葉の難しさ

「頑張れ」

この言葉を発しそうになると、無意識にブレーキがかかる。
言葉をかける相手はもう十分に頑張っていることがほとんどだから。

これ以上頑張ったら壊れてしまうのではないか
プレッシャーになってしまわないか
でも、頑張らないなんていう選択肢はきっと相手にはない
頑張ってるのを知っているからこそ、応援したい

いろんな思いが混ざって、言葉を飲み込む。

そういう時に、適切な言葉が見つからなくて、いつも歯がゆくなる。
まさに今、応援したいのに。

だから、「無理しすぎないでね」「味方だからね」と不器用な言葉を残す。
どうか相手に、このいろんな思いがミックスされたニュアンスが届いてほしいと思うが、そんなのちゃんとこちらが言葉を豊かに選べばいい話であって、相手に要求するのもまた違う気がする。

昔、頑張っている友人に手紙を認めたことがある。
努力の天才で、だからこそ悩むことも多い友人だ。
能力が高いのに妥協はしない。
いつも自分の限界のさらにもう一歩先を掴もうとする。
これ以上「頑張れ」、なんて書けなかった。
応援したいのに。彼女に夢を叶えてほしいのに。
彼女の笑顔が花開くことを願う言葉をどうにかかけたかった。
自分に失望なんてしてほしくなかった。
その一心で、書いた言葉がある。

「呼吸は吸うより吐く方が大切です」

吸いすぎれば過呼吸になる。
経験者は分かると思うが、過呼吸になったら息を吐くことが困難になる。
深呼吸は吸った息を吐いて初めてリラックスできる。
力を発揮する時にはふっと息を吐かなければいけない。
知識も吸ったらアウトプットとして吐かなければ定着しない。
勝手にいろんな意味を詰め込んで、拙い字で手紙に認めた。

何か他にも書いた気はするが、当時の自分の精一杯の応援だった。
その友人が手紙をどうしたか、そもそも読んだかどうかも知らないけれど。

応援って難しいと壁にぶち当たった気分だった。
今でもそれは変わらない。
「頑張ってほしい」「負けないでほしい」「あなたならやれる、乗り越えられる」
そう思えば思うほど、簡単に「頑張れ」と言えなくなってしまうのだ。

あの手紙を書いた当時から数年が経って、辛いことも嬉しいこともいろんなことを経験して、やはり思うのは、

「自分のことを1番大切にしてほしい」ということ

自分の1番の味方であってほしい、そう思う。
私がどんなに応援していても、あなたを守りきれるのはあなたしかいないのだから。

きっとこれからも周りの大切な人が苦しい時には、不器用に気持ちを伝えるだろう。
少しでも伝わることを願いながら。

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