不吉な予言が、当たればいい
例えば不吉な予言をする占い師や予知能力者は、その予言や予知が当たることを、どこかで期待してしまうという。
どんなに綺麗ごとを言っても、人間の奥深くの心理として、それはなんだかわかるなぁ…と、感じる。
そういう心理とはちょっと種類が違うけれど、このワクチン禍において、自分の中にもそういう期待感のようなものを、たびたび感じることがあった。
新型コロナワクチンによる薬害。
接種開始当初から本当に、様々なことが懸念されていた。
私自身も最初はボヤッとしたイメージで、それを打つ必要性はまったく感じていなかったけれど、あまりの接種キャンペーンの激化に、それだけだと大切な人を守れないと思ったので、自分なりに勉強して知識を付けた。
この遺伝子組換え製剤は、調べれば調べるほどリスクしかない代物で、それでも去年は、それらリスクに対して、割と半信半疑でもあった。
まるでSF映画でも観るように、次に何が起きるのか、予想されていた事態は本当に起こりえるのか、そんなドキドキハラハラするような、期待に近い感情をもって世の中を眺めているようなところがあった。
日々報道されるコロナの陽性者数だって、ある時から自分の中でエンタメ化していた。
増える数字を見る度に、それがいかに水増しされた正確性の低いものなのかを分かりつつも、ここからまたどうなるのか、そこに人々がどう反応するのか、憤りもあったけれど、どちらかというとけっこうワクワクするような感覚で、それを眺めていた。
それがここへ来て、懸念されていた様々なことが現実になるにつれ、その事態の深刻さに、そんな浮ついた期待感はしぼんできた。
はっきり言って、3回4回打った人や、子どもにも打たせた人に対しては、もう本当に色々恐ろしすぎて、かける言葉が見つからない。
ずっと調べ続けてきた人たちも、皆同じ意見だった。(超人数少ないけど)
もう、身をもって体験するしか、気づく術はない。
・・・って書いてたら、旦那さんの知り合いの人が3回目接種後に入院して大変だったと電話が来た・・・
「4回目は絶対に打たない」と。。
ダメージが起きてからでは、、、本当に本当に手痛いけれど、そういった気づきはもっと広まってほしいとも思う。
忘れてはならないのは、これは遅効性の毒だということ。
これからますます体調不良の人は増えるだろうし、だけどそれによって、これからますます、健康に対する意識が高まっていくことが予想される。
現代の医療に対する不信感の芽生えも、目を醒ましてものごとを見るひとつのきっかけになるだろう。
「このまま何も起こらなければいい」のかというと、正直私の中ではそうでもなくて、やっぱり身をもって体験して気づいてゆくことも、長い目でみてとても大切なことだと感じる。
それはもちろん、子どもたちを守るという面においても。
何か起きてほしくはないけれど、でもある意味、起きてもほしい・・・
「気づき」のきっかけになるという意味では。
・・・複雑な気持ちだ・・・
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