見出し画像

わたしたちの恋と革命 ep.15

 担任の話が終わると、日直の号令がかかる。放課後、部活動の時間へ。詩は早歩きで、すっといなくなろうとする芽衣に追いついて、その腕を掴んだ。
 芽衣がハッと振り向いて戸惑いの色を浮かべたが、振りほどこうとはしなかった。茉白から事情を聞いていたこともあり、一歩踏み込む勇気を得る。
「芽衣、話したいことがあるんだけど」
 分かりやすく瞳が揺らいだ。拒絶するつもりはないが、しかしできるだけ距離を置きたいのがほんとうだろう。詩は言葉を重ねることなく、首を縦に振ってくれるのを辛抱強く待った。
「うん。どこで話す?」
 相変わらず表情は硬いままだが、第一段階はクリアした。詩はあらかじめ決めていた答えを口にする。「部室」続けて、嫌がるだろうと分かっていたから、すかさず「大丈夫、二人だけだから」と強調することも忘れない。芽衣は同意を示してくれた。
 部室へ向かって歩き出す。校内は放課後特有の、部活動や委員会の活気に包まれていた。そこここから掛け声や、楽器の音が耳に届く。
(一年前の自分だったら、この喧騒になにも思わなかった)
 詩を変えたものは出会いと、行動だ。三人は出会い、部の創設のために生徒会に掛け合い、実現させた。前もってレールが敷かれていない「行動」だったから、どうなっていくか未知数だった。自分たちなりのレールを敷いていった。そして演劇は、彼女たちの小さな革命の集大成と言えるかもしれない。
 部室と呼んでいる小教室に足を踏み入れる。部活のときみたいに腰掛けると、こうして向かい合うことがほんとうに久しぶりに感じられた。実際以上に時間の流れを感じさせられる。
 詩はまず芽衣の様子を窺った。茉白のときと違って、二人の間になにがあったのかおおよそ把握している。本人の意思を確認しながら、どうやって持って行きたい方向へ誘導していけるか。
(持って行きたいのは、もちろん……)
 三人の在りし日の日常だ。
 芽衣が不意に詩の方に視線をやり、二人の目がしっかり合った。詩は切り出し方を決めかねていたため、つい目を逸らしてしまう。
「茉白ちゃんのことでしょ」
 芽衣はずっと、詩も茉白も「ちゃん」付けで呼んでいた。たった今発された「茉白ちゃん」は、かつて覚えたことのない距離感が存在している気がした。
「さすがに分かるよね」
「ううん」芽衣が首を横に振ることで、お下げ髪も一緒に揺れる。「こっちこそ、文化祭が終わった途端にこんなことになっちゃって、ごめんね」
「――茉白から、大体のことは聞いた」
「そっか」困ったように芽衣の眉根が寄った。「そうなんだ」
「二人の間のことだから、わたしにできることには限界があるけど。とりあえず、希望を先に言うと」
「うん、希望」
 詩は心の中でカウントし、間を十分置いてから言い切った。
「わたしは、戻りたいって思ってる。三人の、現代日本文化研究会の活動をしていた日常に戻りたい」
 引き続き、心の中でカウント。一、二、三、四……どこまで数えたら返答をもらえるだろう。焦りや緊張はなかった。これまでの積み重ねを思ったら、これからのことを考えたら、待っていられる。
 静かな室内だったから、芽衣が微かに息を吸う気配が分かった。
「もう、戻れないよ」
 薄く笑う芽衣の、眼鏡の奥の瞳が陰る。もう、戻れない。
「そんな……」
「わたし、なにもかも分からなくなっちゃった。茉白ちゃんの想いとどう向き合ったらいいのかも、今後どう接していったらいいのかも。なにより、あのとき、茉白ちゃんを怖いと思っちゃった。普通に向き合える気がしない」
 芽衣は大人しそうな見た目に反して、好奇心旺盛で、基本的に前向きだった。だから、顔を俯けて暗いトーンで言葉を紡ぐ彼女は初めて見る姿だ。
「元通りとまではいかないまでも、また三人でいることを選べるかもしれない。――だけど、構えて、気を遣って、上手く笑えなくて……そんな風になってまで一緒にいる意味ないよ」
 詩の胸中にはいろんな思いが溢れていたが、上手く言葉にすることはできなかった。芽衣の気持ちが痛いほど分かった。しょうがないことだ。
(茉白のバカ)
 言葉にできない代わりに、心の奥で、誰かを好きになるという感情を精一杯罵ってやった。


 双方の言い分を聞いた。一方は、どうしようもなく高まった想いを抑えられなかったのだと言う。もう一方は、その想いに対してどう向き合えばいいのか分からないと言う。その間にあって、詩はどうすればいいのか容易に結論を出せなかった。無理なことをしてもきっと逆効果だろう。
 諍いを起こしたわけではないから、心のどこかで高を括っている部分もあった。時間が解決してくれるはず。ひょんなことがきっかけになって、またかつての日常が帰ってくるのではないかと、詩は期待していた。だから、ひとまず静観してみることにした。
 茉白、芽衣、それぞれと二人で言葉を交わす場面はあるし、笑顔も見せてくれる。だけれど、心の距離が以前のそれに戻るには程遠く、関係性はコツコツ積み上がっていくもので、失われるのはほんの一瞬だと痛感する。
 三人は各々、一人でいる時間が増えていった。もちろんクラスメイトがいて、それぞれのコミュニティがあるから、まったく一人だというわけではない。出会う前の、どの部活にも所属していなかった頃の三人に戻った。現代日本文化研究会も自然消滅まっしぐら。
 そうこうしているうちに二年生の冬が終わり、春が近づいてきても、詩の目算は外れ、むしろ時間は彼女たちの隔たりをこれまで以上にしていった。


 詩の視線の先に、答辞を淀みなく読んでいる萩原葵の姿がある。詩だけじゃなく、全校生徒が彼女を注視し、その口からこぼれる言葉を一つひとつ拾っていた。始まったものは終わるのだと、当たり前のことを噛みしめる。
 ここのところは三寒四温、寒い日と暖かい日が繰り返されていたのだが、卒業式当日の今日は五月並みの陽気になった。空が気持ちよく晴れている。桜がまだ咲いていないことを急かしているみたいだが、いきなり咲けと言われて芽吹くものでもない。
 卒業生を代表して答辞を読む生徒は、誰もが予想していたとおり葵だった。生徒会長を務めていたから、その学年の顔とも言える存在だ。その葵を見つめながら、詩は在りし日のことを思い返す。
 生徒会室に同好会の申請をしに行った日。
(同好会の名前考えて、活動内容も拵えて、あんなにがんばったのに)
 革命のエチュード。あそこから動き出していった。
 読み終えた葵が深々と頭を下げた。詩の周りは、すすり泣いている生徒が少なくない。詩の頬にも一筋の線が走る。こみ上げてくるものがあった。
 拍手に包まれている葵の、下半分だけ縁のある眼鏡の奥も、心なしか潤んでいるような気がした。
 茉白は、芽衣はどんなことを感じているだろう。同じようにあの日を思い返していないだろうか。


 校内の至るところで、教師や後輩と別れを惜しんでいる卒業生たちが溢れていた。詩は葵と、生徒会元副会長の吉岡美月を見つけたが、やはりいろんな人に取り囲まれている。
 踵を返そうとしかけたところで、名前を呼ばれた。輪を抜けて、二人が詩の方へ来てくれる。
(そんな、わざわざ……)
 恐縮するあまり、まず頭を下げた。
「ご卒業おめでとうございます」
 美月が鷹揚な笑みを浮かべる。「ご丁寧にありがとう」
「あの二人は一緒じゃないの」
 葵の言う「あの二人」とは、間違いなく茉白と芽衣のことだろう。なんとも答えかねて、詩は曖昧に微笑んだ。
「文化祭の劇、すごく佳かったよ。今さらだけど」
「ああ、評判も佳かったよね。三人で作り上げたんでしょう」
「そうです。芽衣が脚本を考えて、わたしと茉白が演じて」
 二人の名前を口に出すことも、最近めっきり減った。
 目の前の二人が卒業したら、詩たちに残される高校生活は残り一年となる。受験も本格化する。与えられた時間はそんなにないのかもしれない。
「なにがあったのか知らないけど」
 まるでほとんど知っているみたいな口振りで、葵が言葉を継ぐ。「あなたたち、とても相性がいいようだったから、もっと一緒にいた方がいいかもしれないよ」
「そうそう」
 美月も同調する。「性格が違っていても、心の形が似てる、みたいなことはあると思う」
 口を揃える二人を目の当たりにして、実際に葵と美月は似ていたのだろうと、詩は捉えた。
 輪に戻る彼女らに背を向けて、詩は歩き出した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?