バスケ物語 ep.1
一
そのボールは、きれいな弧を描いてゴールに吸い込まれた。
「よし」
放った少年が呟く。彼が操っているボールは、バスケットボール。誰もいない朝の体育館で、自分の思うままに体を動かし、ボールを放つ。少年が放つシュートは、めったに外れなかった。
「さすがやね、宮尾」
そこに少女が近付いてきた。上下、学校で定められている体育着で、肩にかかるほどの髪を後ろで結わっている。
「今日、始業式やのに、ようやるわ」
明るい表情と関西弁がマッチしている。宮尾は、動きをいったん止めて、少女の方を見た。
「もう二年だしな。今年は勝たねーと」
「そやね。去年は散々やったし」
宮尾が時計を確認し、足元でキュッと、音を立てた。
「尾崎、いつも通り頼む」
「うん」
尾崎は頷くと、コートのゴール下に描かれた台形のラインの中に入った。
宮尾は毎朝、尾崎のディフェンス相手に動きの確認をする。尾崎は中学までバスケの経験者で、今でもマネージャーとしてバスケに関わっている。
二人は時間の許す限り練習した。
練習を終えて教室に入ると、教室内の人間はまだ好き勝手な場所でお喋りに興じていた。
男子の集団が、宮尾と尾崎の方に顔を向けた。
「おう、レイジ。今日も朝練かよ」
「ああ」
宮尾は無愛想に答えた。
「尾崎もやっぱり一緒なんだな」
別の男子が尾崎を見て、言った。
「ミヤオザキだからな」
とまた別の男子が言うと、笑いが起こった。「ちょ、ミヤオザキって何なん?」尾崎が驚いて、尋ねた。
「いつも一緒にいるから、名前がくっ付いちゃった」
また笑いが起こった。「良かったな、また同じクラスで」他の者も調子に乗って加勢した。
そこに担任の先生が入ってきたため、尾崎の反論する暇はなく、席に着いた。
そのやりとりの間、宮尾は興味なさそうに黙っていた。
クラスの中で背が高い方の宮尾は、出席番号順に並ぶと後ろになるが、前が見えないことはない。
学校の一年が三月に終わり、四月になってまた新たな一年がスタートを切る。学年が変わる、と言われただけでは本人たちに中々、自覚が生まれにくいが、これから始まる式には、自覚させるのに十分な効果を孕む。始業式とは、そんなものだ。
宮尾の周りの生徒は、さっきから転入生が来ることを話題に盛り上がっていた。ある先生が漏らしてしまったことで、生徒たちはそのまだ見ぬ転入生の姿を思い巡らしていた。
バスケが上手いやつだったらいいな。宮尾はそう思っていた。
やがて、始業式が始まった。生徒たちの不快指数を高める、校長先生の話を挟んで、転入生の紹介が行われることになった。今まで校長先生の手前、静かだったのが、ざわつき出す。式を進めている教頭先生は、構わずに転入生を体育館の中に入ってこさせた。
そのざわつきは、一瞬、静寂に変わり、やがてさっき程ではないが、またざわついた。
その転入生の姿が、目を見張るような美少女だったからである。ストレートのロングヘアー、緊張で伏せがちな目映い瞳、華奢なその体。男子の視線は、自然と集まった。
転入生のクラスは、宮尾と尾崎と同じ二年B組だった。担任は簡単に話を済ますと、転入生を教室に引き入れた。体育館は、遠くて見えない部分もあったが、教室では全身を目の当たりにされる。彼女は先程よりも緊張の色が濃かった。
「じゃあ、星野、簡単な自己紹介をしてくれ」
星野は、誰とも目を合わさないように俯いたまま、小さな声で名を告げた。
「……星野クルミです。山梨県から来ました。よろしくお願いします」
まるで声の小さな星野のために、机を動かす音も立てないで寂としていた教室が、一転して拍手に包まれた。星野はぎこちなくお辞儀をすると、担任に示された席に座った。出席番号順なので、宮尾の斜め後ろだった。といって、わざわざ振り向いて、声をかけたりしなかった。全く興味がないわけじゃなく、彼女が見るに耐えるほど緊張していたから、控えたのだった。
それに宮尾の興味の大部分は、バスケで占められている。今も放課後の部活のことを考えていた。
昼飯代わりのおにぎりをくわえながら、宮尾は足早に体育館へ急いでいた。彼はいつも一番乗りで、部活前もボールに触っている。
だが、体育館に着くと、すでに誰かいた。自分より早く来るのが誰か気になった宮尾は、更衣室へ行かずに、その人物に歩み寄った。
よく見ると女子の制服を着ていて、宮尾の頭には尾崎がすぐ浮かんだ。
なおも近付くと、女子でも尾崎とは全然、違う人だと分かった。それは、今日、転入してきたばかりの星野だった。
「星野――さん」
星野の肩が小さく反応した。驚かせたかな、と宮尾は不安になった。振り向いて、宮尾を認めると、黙ったまま宮尾を見つめていた。
「どうした? 何かここに用? それとも、道に迷った?」
「……な、何でもない」
自己紹介のときよりもはっきりと、何でもないことを強調した。
「ごめんなさい」
と呟くと、小走りに去っていった。
意味を測りかねて、首を傾げたがそれほど気に留めず、宮尾は更衣室に向かった。
宮尾たちが通う都立西桜高校のバスケ部は、毎年のように一回戦で敗退している。現役の中で、勝利の味を知っている者は一人もいない。その実力のなさ以上に、くじ運の悪さで有名である。いつも一回戦から全国レベルの強豪校と当たってしまう。
また、顧問がやる気がない。顧問は現代国語を普段は教えている与謝野という男で、練習を見に来たことがない。試合には引率者として同行するが、それでも見ているだけ。指示を出したりしない。バスケに詳しくないのが主な理由であるが、同時に西桜にバスケに詳しい人がいないのが、このやる気のない顧問が顧問になった原因である。
しかし、タレントはそれなりに揃っている。
三年生で部長の村瀬光介。西桜の精神的柱で、ゲームメイクに優れている。ポジションはバスケの司令塔に当たるポイントガード。
同じく三年の佐々井多紀。シュート、パス、ドリブル全てに長け、チームのエース的存在。
二年生の平岡真治。宮尾と尾崎の幼馴染で、ずっとバスケをやっている。そのため、実力はある。
同じく二年の長谷部潤。彼はこれといった長所はないが、短所も見当たらない。試合ではオフェンス、ディフェンスと器用にこなす。
この四人に宮尾を加えた五人がレギュラー。都内でもトップクラスの技術を持ち合わせているが、試合で勝てないのには理由がある。
リバウンドが捕れない。
バスケットでは、シュートを誰かが打ち、外れたボールをリバウンドと呼ぶ。それを捕ることに秀でた選手が重宝されることも多く、そういった選手はフィジカルが強く、また身長が高くて、ジャンプ力が抜群。失点を防ぎ、次の攻撃に結びつくことから、四点分の働きと言われる。
西桜が捕れないのは、フィジカルに問題がある。背の高さは、バスケをする人たちの中では普通だが、五人とも線が細い。
でも試合の勝敗を左右するほどか、と大げさだと捉える人もいるが、リバウンドは、一時のプレーではない。試合中、数え切れないぐらいその機会がある。積み重ねが、どうやっても覆せない点差になるのである。
西桜は今年こそ公式戦勝利を目標に、始動しようとしていた。
「お願いしまーす!」
部活は、挨拶の後、ランニングから始まる。バスケは試合に出ている間、ほとんど走っている。体力は、不可欠要素だ。走り込みは、陸上部並に練習に組み込まれる。体育館が使えない日は、マラソン大会でもやっているのか、というぐらい走る。
走った後は、シュート練習に入る。しかし、基本中の基本だからそんなに時間は取らない。
部活の終盤、二つのチームに分かれてミニゲームが行われる。振り分けは部長の村瀬が決め、均等な強さになるように調整する。スタメンとベンチメンで分けないのは、両者の実力の開きが大きいからである。スタメンが一人でも欠けると、チームの力は格段に落ちる。これも西桜が、部員を多く抱えた強豪校に勝てない理由とも言える。
「レイジ、へばってんな」
腰を下ろして休んでいる宮尾のもとに、平岡が声をかけた。平岡は、宮尾と尾崎の幼馴染である。
「全然。試合用に体力温存してっから」
二人はチームメイトであると同時に、切磋琢磨し合うライバルでもある。それぞれの活躍が、それぞれを刺激する。
「違うチームだといいな」
「だな。一年の最後の部活は、シンジと同じだったし」
そこにマネージャーの尾崎が近寄ってきた。バスケ部のマネージャーは、今のところ彼女一人。
「へへん、さっき村瀬先輩が持っとったメンバー表の紙、盗み見してきたで」
「マジ? おれとレイジ、別チームだった?」
平岡が食いついた。
「うん。平岡は佐々井先輩と、宮尾は村瀬先輩と一緒やで」
「ほう」
宮尾が不敵に笑った。プレーヤータイプ的に、自分と村瀬が合っている、と思っているからであった。
平岡はそれを自分への軽い挑発と受け取って、「負けねーから」と意気込んだ。
ミニゲームが始まった。チームはゼッケンを着るか着ないかで分かれる。ゼッケンチーム(紅)は、村瀬、長谷部、一年の香村、矢部、そして宮尾。対する白は、佐々井、平岡、二年の岩田、持田、一年の長島。
ジャンプボール。宮尾と佐々井が飛んで、白にボールが渡った。白の岩田から平岡にパスされて、そのままドリブル。紅の香村をかわして、シュート。
決まった。白がまず二点。
「どーよ?」
平岡がすれ違うときに、宮尾に言った。宮尾の闘争心をかきたてる。
紅ボールからリスタート。村瀬が運んで、マークを外してフリーになった宮尾にパス。そっからスリーポイントシュート。
外れた。リングに当たって、それを紅の長谷部が拾って、またシュートを打った。
それも外れた。今度は白の長島が取って、前を走っていた佐々木にロングパスが通った。
佐々井は、スピードとキレを兼ね備えたドリブルで、香村と矢部をあっという間に抜いて、ゴール前は宮尾一人。宮尾は低く構えた。目で動きを追った。左にフェイク、右にフェイク、シュートフェイク――違った。シュートだった。
決まった。紅0―4白
紅の反撃。村瀬から矢部にパス、宮尾にパスしようとしたが、平岡がパスコースに入ったため、村瀬に戻した。
ここで絶妙なパスが出た。ゴール下でフリーになっていた長谷部に、白のディフェンス陣を掻い潜って、パスを通した。それを長谷部がシュート。
入った。紅2―4白
白の反撃。平岡にボールが渡った。ドリブルで中に切り込み、レイアップ(リングにボールを置くように放つランニングシュート)しようと見せかけて、佐々井にパス。
そこで長谷部がパスカット。紅のカウンター。長谷部がドリブルして、佐々井が来る前に宮尾にパス。宮尾はまたもスリーポイントシュート。シュートには、自信がある。
決まった。紅5―4白
「よっしゃ」
宮尾がガッツポーズを平岡に見せつけた。
――試合が終わった。紅69―70白で後半の二十分(バスケは前半二十分、ハーフタイム十分、後半二十分)が終了した。今日の練習は、ここまで。
宮尾は着替えると、家が近い平岡と帰った。
二
次の日、学校は休みだった。部活も大会前以外は、学校が休みならない。
宮尾は暇つぶしに本屋にでも行こうと自転車にまたがって、家を出た。中学二年から愛用している、青の自転車。
公園が見えてきた。バスケコートがある珍しい公園で、宮尾もよく来る。以前は不良のたまり場になっていて、付近の住民の悩みの種だったが、宮尾と平岡がバスケで勝負を吹っかけて圧勝し、それからは来なくなった。
そんなこともあったな。宮尾は小さく笑った。
思い出に浸りたかったからか、前から車が速めのスピードで来ていたからか、宮尾は無意識のうちに公園の横で止まった。そしてバスケコートの方に目をやった。
そこには、意外過ぎる人物がいた。星野がバスケットボールを持って、一人でいたのである。力ないフォームでゴールに向かってシュートを放ち、外れては取りに行って、またシュート。
宮尾はぼんやりと見つめていた。車が横を通り過ぎて、我に返った。自転車から降りて、バスケコートに入っていった。
星野はすぐ近付いてくる男に気が付いた。シュートを打つのをやめて、宮尾を目で捉えた。
「バスケ好きなの?」
星野は黙って、なかなか答えなかったが、やがてこっくりと頷いた。
「中学の頃、少しやってた」
その華奢な体型で、人形みたいな顔立ちからは想像し得なかった。
「へえ、意外だな」
宮尾は正直な感想を漏らした。
「それで昨日、体育館に来てたってわけ?」
「……うん、マネージャーになろうかと思って」
「じゃあ、何で帰ったの?」
もしかして、おれのせい? と宮尾が尋ねると、星野は首を横に振った。
「バスケは好きだけど、ちゃんと働ける自信がなかったから、迷ってたの」
「大丈夫」
宮尾は反射的に励ましにかかっていた。「おれの幼馴染の尾崎ってやつがマネージャーやってるから、色々と助けてくれるぜ」そう言ってから、まるで勧誘しているみたいで、普段の自分じゃ、こんなことはしないのにと思った。
そんなに異性を意識したことはないが、星野は性格も相まって、放って置けない気がした。
「じゃあ……入ろうかな」
「え、マジで。それはありがたいけど、よく考えた方がいいんじゃね?」
「でも、私はバスケ好きだから」
その短い言葉は、宮尾にとって何よりも頭に響いた。
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