見出し画像

四季、放送室にて ep.2

     うららかな日差しが心地いい春の真ん中 放送室にて


『……というわけで、聴いていただいたのは、BUMP OF CHICKENで「天体観測」でしたー。また、ずいぶん懐かしいのを選んだね』
『ちなみに選曲したのは、赤ちゃんです』
『そうでーす! 私、この曲には思い入れがありまして』
『ほうほう、聞こうじゃないないか』
『聞こうじゃないか』
『小学生の頃、地域のお祭りでたぶん中学校かな? 吹奏楽部がこの曲を演奏してて』
『へー』
『オリジナルの曲を好きになると同時に、吹奏楽への憧れも芽生えて』
『あー、そうだったんだ。――あ、自己紹介で言ってなかったけど、私たちは三人とも吹奏楽部に所属してます』
『私、多和田はバリトン・サックス担当で』
『私、小此木はトランペットです。赤ちゃん――赤西さんは、ユーフォニアムです』
『担当楽器って、不思議とその人らしさを表してるよね。そんな気がする』
『でも、私はあんまりトランペットっぽくなくない? 二人はすごく頷けるんだけど』
『どうだろう……特に、赤ちゃんはユーフォニアム感ある』
『ね。あ、そろそろオリジナルコーナーに行った方がいいらしい』
『時間押してるのかな。というか、ほんとにいつもどおり話してるだけだね』
『それがこのラジオのコンセプトでしょ。――それでは、私たちのオリジナルコーナーは、「クイズ・赤西和歌」です!』


     *


 暑いも寒いもそこにないときに恋しくなるもの。現在は尾の長い寒さがくすぶっているせいもあって、かなり暖かさが恋しい。もう三月に入ったというのに、春を体感できない、今日この頃。
 待ち合わせ場所の喫茶店に、約束していたよりもちょっと早めに着いてしまった。先輩を待たせたくない、という思いが起床してすぐから私を急き立て、こんな時間に来させた。緊張する心を落ち着かせる時間になり得るだろう。先に入って待っていることにする。
 喫茶店で待ち合わせだなんて大人みたいだ。そんな風に背伸びしている自分自身の格好を検めれば、どう見てもまだ子どもだと主張しているセーラー服。なにかと校則が厳しい高校なので、卒業間近の春休みでも制服を着用しなければいけない。思えば、どんな日も制服で過ごしていたのだ。
 緩やかにジャズのスタンダードナンバーが流れている、個人経営の喫茶店。私とそう変わらなさそうな歳の女性店員に席まで案内されながら、もうすぐ卒業するのだ、と今さらみたいに感傷を覚えた。高校という箱は、私にとって世界のほとんどすべてを形作っていた。それがある日突然そっくりなくなり、別の箱が差し出される。頭では理解していても、不思議な心地は拭えない。
 ホットコーヒーを注文し、ぼんやり窓の外を眺めた。いったん裸になった木々たちも、赤っぽい実を纏い始めている。どんなに長く続いてきた冬も、やがて次の季節に追われる。それと一緒に私たちも追われる。見ることは叶わないだろう新入生たちは、あのラジオのことをどう感じるだろう。それに、あれはいつまで残る伝統なのか。塵も積もればなんとやら、ではないけど、学校でひっそりと受け継がれていったら、いつか世間から注目されることも――それはないか。
 これから、もうすでに去年、私たちの箱から追われた人に久しぶりに会う。その人は新しい箱で、また一から日常を積み上げている。きっと大学でも目を引く存在なのだろう。あの人は特別だったから。あんなに傍にいられたのが不思議なくらいだ。
 コーヒーが運ばれてくると同時に、カラン、と来客を告げるベルが鳴った。外の冷気とともに店内へと滑り込んだ彼女は、大人っぽいトレンチコートに身を包んでいて、やはり美しかった。片手を上げて居場所をアピールする私を認めると、さっと頬を紅潮させ、さながら花が咲いたかのようだった。
 誰もがそのひとに憧れ、その人を意識し、そしてその人は最後まで夢を壊さない特別であり続けた。綾芽先輩がコートを脱いでから私の向かいの席に腰掛け、艶めいたその唇が、「久しぶり」と動いたのを目にした。
 恍惚とした思いを抱えながら、どうやらこれは白昼に見せられた夢ではなさそうだと、なんとか現実に踏みとどまった。


 ――ラジオ?
 高校は住宅地の一角にあり、十年前に大々的な改装工事を行った関係で、校舎はとても綺麗だ。昔からある伝統校で、なおかつ内装も外観も綺麗となったら、自然と人は集まる。
 ――うん。さっき、先生に言われた。来週の木曜日だって。
 上に立つ人間はどんなに善行に励んでも、必ず誰かしらの不平不満をぶつけられてしまう。だったら、とにかく役割を細分化して、誰がどのくらい影響力を持っているのか極めて曖昧にすれば、人は不満をぶつける対象を失う。決まった少数の人たちに任せなければいい。そんなようなことをときどき思う。思うというか、最近読んだ本に書かれていた。
 ――私と、たっちゃんと、赤ちゃん?
 たっちゃん、とみんから呼ばれている多和田美音が頷く。小顔で、切り揃えられた前髪の下では愛らしい瞳が瞬いている。よく一緒にいた三人の中では最も異性の受けがよさそうだけど、女子校だから確かめる機会には恵まれなかった。そして、三人の中では私が一番異性の受けが悪い。これは確かめなくとも自明なこと。
 校内ラジオはすべてがあまりにも円滑に運びすぎて、誰のどんな意思が介在しているのかはっきりと分からない。入学したらそれとなくその存在を知らされて、卒業するまでには当たり前のものとして脳裏に焼き付いている。どうやら他所にはない特殊なものらしいが、まあ、あってもいいだろう、くらいの。
 ふとしたタイミングでアンケート調査があって、そこで仲のいい友人を五人書かされ、その結果を受けて二人、または三人の組み合わせでラジオをする。だからメンバーはランダムで、やる順番もランダムだ。今回みたいに突然言い渡され、内容を相談しないとならない。
 私は確かに、仲のいい友人としてたっちゃんこと多和田美音と、赤ちゃんこと赤西和歌を記入した気がする。彼女たちも私の名を挙げたのだろう。そうじゃなかったら、たぶん一緒にはできない。
 この三人は、一年生の一学期にはもういつも連れ立つようになっていた。新しい学校の最初にできた友達はその後、上手くいかなくなるケースも多々見受けられるけれど、私たちの場合はずっと上手くいった。仲よくなれたきっかけは、部活動だった。三人とも中学校から吹奏楽部に所属していて、高校でもそれに入ろうと決めていた。部活の練習はそれほどきつくなかったが、毎日のように活動があったため、距離を近しくするには十分だったのだ。
 その吹奏楽部の一つ上の先輩に、綾芽先輩がいた。
 内野綾芽、という名前を気づいたら知っていた。その名前と対になる人として、河瀬智恵という名前もまた、把握していた。こちらから知ろうとするまでもなく、いつでもどこかで話題の俎上に上がっていて、そして必ず彼女たちについて肯定的な見解しか聞かれないのだ。しばらく違和感は拭えなかったけど、本人たちを直に確かめて、その違和感はあっという間に霧散した。ぞっとするほど、かわいくて、美しくて、儚いのだ。
 綾芽先輩は部活動に熱心だった。楽器はフルート。長い髪を揺らして吹く姿は、やはり惹かれる。後輩の面倒見もよく、いつも明るい笑顔を絶やさなくて、だけどどこか一歩下がって俯瞰している瞬間もあり、つまり出しゃばりじゃなかった。後々の話だが部長にもならなかった。私が先輩自身だったらもっと調子に乗ってしまうかも、なんて妄想はあまりにも虚しい。
 ――かける曲とか、オリジナルのコーナーとか考えなきゃね。後で、三人で話し合おうか。
 ――そうだね。
 そのときはまだ、綾芽先輩も智恵先輩もラジオを経験していなかった。やるとしたら絶対にこの二人だろう、と誰しもが予想していた。やがてそれは現実のものとなるのだが、一年以上も待たされなければならなかった。


 髪をばっさり切った、という話はなんとなく小耳に挟んでいたのだが、いざ目の前にすると喪失感みたいなものを味わう。フルートを吹いているときに、背筋を伸ばして歩いているときに、その艶やかな黒髪はうっとりするほど柔らかく揺れていたから。それに、綾芽先輩の対の花、智恵先輩こそがずっとショートカットだった。
「似合わないかな」
 ふと気づけば、綾芽先輩はこちらの瞳をじっと覗き込んできていた。目の色によぎる考えを見透かすように。やっぱり敵わないな、とどこかで思っている自分がいる。
「似合ってます。毛先を巻いてるから、余計大人っぽく見えます」
 高校卒業を控えている今、ずっと遠い「大人」の領域だと思っていた大学生は、もしかしたらそんなに大人ではないのかもしれない、と最近捉え始めている。だけど、向かい合わせで座るその人は、紛れもなく大人の女性に映った。たった一年。たった一年顔を合わせなかっただけで、こんなにも差は開いてしまうものなのか。それとも、先輩が特別なのか。
「大学は、どうですか。もう慣れました?」
 久しぶりに会いたいと持ち掛けたのは、私の進学先が先輩と同じ大学になったからだ。ギリギリまで行けるかどうか微妙で、むしろ受験するのを諦めようとしていたところで、だけど、ほんとうに諦めたら悔やみ切れない気がして。実際、奇跡的に合格できて、また先輩と学び舎を同じくしたのだから、一歩踏み出してよかった。
 エスプレッソで少し口を湿らせてから、「どうだろう。必修とか語学が慌ただしくて、まだ慣れた感じはしないかも」と先輩は答えた。その口調にはなにかを憂えている陰は見当たらなくて、かえって余裕がある風に見えた。
 そこから、私が大学生活について質問を重ねてゆき、その一つひとつに先輩は丁寧に答えてくれた。学習面のこと、サークルのこと、飲み会のこと、アルバイトのこと。気になっていることは山ほどあった。まだ高校に踏みとどまっている私からすると大学はただただきらきらしいイメージで、しかし実際の話を聞くと、決してその目映さが霞むわけではないが、具体性を伴って思い浮かべられた。
 先輩は書店でアルバイトをしているそう。重たいものを運ぶ機会がけっこうあることや、憶えなければいけないことがたくさんあることなどは教えてくれたけど、どこのお店なのかは明かしてくれなかった。知ったら見に来られると分かっていたからだろう。
 先輩が卒業してから一年近く。同じ箱に住まわなくなって心理的な距離が開いたような、でも、話しているとそんな距離は感じないような気がする。この人にどれほど憧れを抱いただろう。淡い恋心みたいな感情だったのかもしれない。夢にその姿が何度も出てきたくらいだ。――私は今日、久しぶりの再会に当たって、どうにか上手く訊き出せないかと目論んでいた。それは、綾芽先輩と、智恵先輩の話。
 あれは不意に訪れた。いったいなにがあったのか、外から見ている立場の人間には、綿々と受け継がれてきた校内ラジオの存在よりもずっと謎だった。どう切り出したらいいか頭の片隅で思い巡らした挙句、短く息を吸い込んでから尋ねた。その瞬間の綾芽先輩のなんとも言い難い表情を、私はきっと忘れないだろう。
「綾芽先輩、最近、智恵先輩と会ってます?」
 伏し目になり目元に影をもたらす睫毛、優美に引き結ばれ、容易に言葉を紡ぎそうにない色づいた唇――そうだ、お化粧についても訊いておけばよかった。大学生になったら、ある程度自分でお化粧できないと困るはず。
「会ってないよ。どうして?」
 面から笑みは消えていないのに、声の響きから余計な追及を許さない拒絶を感じ取れてしまった。
 あの頃なにがあったのか、ますます嫌な予感に駆られる。


 去年の春に高校の最終学年を迎えて、当たり前だけどいくつかの変化がもたらされた。一つには、一つ上の代の人たちが卒業し、それまで学校中を賑わしていた双の花が遠くなってしまったこと。みな、信奉者を失い呆然としている風で、かく言う私も例外では決してなかった。受験が控えていたこともあったかもしれないが、学校がずいぶん静かになったと思えた。
 それと、付き合っている人ができた。高校は女子校なので、その相手は当然外の人間である。私は大学受験のために塾に通わせてもらっていて、そこで自分でも思いがけず恋人を得たのだった。とはいえ、そういう魂胆があって塾に通い出したわけじゃまったくない、むしろ真摯に取り組む姿に、彼は惹かれたと言ってくれる。
 田中虎之助、それが彼の名前だ。スポーツをやっていてもおかしくないくらいがっしりとした体格をしているが、高校では軽音楽部に所属していたそうだ。ボーカル&ギター、確かに声はいいと前から思っていた。付き合ってすぐのタイミングで引退ライブがあり、観に行きたいと望んだがしかし部外者は立ち寄れないみたいで(しかも彼は男子校に通っているから、そもそも行きづらい)断念、代わりに後日、映像で見させてもらった。
 私はカラオケが好きでよく行く方だけど、音楽にちゃんと詳しいわけじゃない。だから、彼らのバンドの歌や演奏がどう評価されるのか皆目見当がつかない。ただ、感じ取れるものはある。一生懸命で、場を盛り上げようとしていて、そしてなにより虚勢を張らない。それが彼の最もいい部分だな、と。
 私たちは受験勉強の合間を縫って、たまにデートした。高校生だし、そんなにお金はかけられないけど、彼といるといつも楽しい。馬鹿やって呆れさせられることもあっても、私が異性と一緒にいてなんの衒いもなく笑えるのは、きっとすごいことだと思う。出会えてよかったのかも。
 そんな彼に、綾芽先輩と智恵先輩の話をなんとなく伝えていた。胸中がずっともやもやしていて、誰かと共有したくてたまらなかったのだ。
 卒業式を翌日に控えた夕方過ぎ、綾芽先輩と再会した話をしたくて田中に電話をかけた。コール音が鳴り終わっても彼は出なかったが、ほんの少ししたら向こうからかかってきた。落ち着きのない、慌てた口調で。
『悪い、すぐに出られなくて。なにかあったのか』
 大したことじゃないと見えない相手に向かって首を振り、「ちょっと話したいことがあって」
 そして、綾芽先輩と再会したあらましを簡単に伝えた。田中は食い気味で相槌を打ちながら、話が終わると感心したような息を吐いた。『お前、すごいな。先輩に直接訊きに行くなんて』
「別に、メインは大学のことにあって、そのついでにそれとなく訊いてみただけだよ。部活の先輩でよく喋ってた仲だし」
 ただ、結局なにも分からなかったのだけど。
「どうしてここまで頑ななんだろう。智恵先輩となにがあったのか、まるで想像つかない」
 真相は闇の中、ということなのだろうか。
『さあなー。正直、人となりが分からないから推測のしようもないんだけど……』
 田中は綾芽先輩にも智恵先輩にも面識がない。私があんまり美人な二人だと褒めるから、写真はないのかとせがまれ、しぶしぶ一緒に映っているものを見せた過去がある。そうしたらやっぱり心を掴まれたらしく、あんまり惚けた顔をしているからその頬をつねってやった。「ないんだけど……?」
『普通に考えれば、仲のいい女子二人がある日突然赤の他人に戻るとしたら、男絡みじゃねーの』
 あれはあまりにも突然だった。一緒にいるところを見かけない日はなかったほどに、二人は寄り添う花だったのに、彼女らが三年生になって半年、二学期に入ってすぐの頃、急に疎遠になった。そしてその事実は生徒間だけに噂として出回り、実際の様子がその裏付けとなった。
 どうしてそうなったのか、誰も知らない。根も葉もない憶測が現れては立ち消え、現れては立ち消えした。私は別々の場所で佇むそれぞれの姿を捉えて、やりきれなくなった。どうしようもなく悲しかった。どうなっても構わないものはたくさんある。だけど、これだけは変わらずにあってほしいと願うものは稀で、そしてそう願うものほどそのままでいてくれないのだ。
 私は分かりたかった。ただ純粋に、はっきりさせたかった。うやむやにされたまま卒業するのはご免だ。
『どっちかの好きな人を、どっちかが奪った、みたいな。そういうときって引くに引けないもんだし、しかも男子の取り合いで仲悪くなったなんて、周りに言えないだろ』
 今度は私が感心したような息を吐く番だった。「田中、男子校なのにそんな話よく分かるね」
 男子校だからこそ、気になって少女漫画とか読んじゃうんだよ、と不貞腐れたみたいに答えた。『あと、いいかげん田中、ってやめろよ。付き合ってるんだから虎之助、でいいじゃん』
 田中は田中だ。虎之助だなんて、人前で呼べないじゃない。


 翌日はよく晴れた。今冬は例年以上に寒かったために、桜の開花が卒業式に間に合わなかった。だけど、木々たちの下には少女たちのいくつもの笑顔が咲き誇っている。なににも代えがたい光だ。
 友達と会ってこれまでの思い出を語らい、そしてこれからの話を交わした。厳かな雰囲気の中で式も行われた。そういう、卒業を実感させる瞬間を重ねることで、やっとここから巣立つのだと心づいた。今抱えている感情をより強く意識したら、きっと涙を流せるだろう。だけど、私はみんなの前で泣けない。ずっとそういうポジションで生きてきたから。
 私には歳の近い兄と弟がいて、そのせいか小さい頃から女の子らしいものごとが苦手だった。だんだんと背も高くなっていって、サバサバとした性格も相まって、頼れる姐御キャラみたいな扱いをされるようになっていった。実際、この高校に来たらお嬢様が多くて、女の子らしさの塊のような子たちに囲まれていると、そんな扱いをされているのが楽になった。居心地がよくなった、と言うか。共学の学校に行っていたら、また変わったのかもしれないが。
 赤ちゃんは、いつでも天真爛漫で、今日も絶えず泣いていた。赤ちゃんだからといって、おぎゃあ、と泣くわけではないけど、同じくらい清らな涙を流せる彼女は魅力的だった。この先もその素直さを失わないでほしい。――ちなみに、赤ちゃんは、最初は和歌ちゃんと呼ばれていたのだけど、顔立ちや言動が子どもっぽいところから、いつしかそう呼ばれるようになった。
 たっちゃんは華奢な体つきで、異性が守ってあげたくなるような、庇護欲をかき立てる見た目をしていた。しかし、内面はしっかりしていて、ちゃんと芯のある誠実な娘だ。――たっちゃん、というのは簡単で、多和田という苗字からつけられたニックネーム。
 名実ともにお嬢様学校であるここで、しかしやはり最たるお嬢様として通ったのは、綾芽先輩と智恵先輩の二人。あそこまで抜群の存在がいると、ただただ憧憬を寄せる以外にない。私は二人に憧れ、もしかしたら淡い感情を抱いている刹那もあったかもしれない。
 卒業を迎えて、改めて思う。だけれど、私は二人みたいになりたいと望みはしなかった。素敵だと思う傍ら、自分は自分だと感じていた。誰かに憧れ、変わりたいと願ったとしても、人の本質はそうそう変わらない。むしろらしさや個性を失って、迷走する可能性がある。赤ちゃんは大学に入ったら、もうそんな風に呼ばれなくなるだろうけど、彼女がまったく別人になるとは思えない。
 だからかもしれない。仰ぎ見る美しい先輩たちがどうして寄り添わなくなってしまったのか、純粋に気がかりで、つい本人に尋ねてみたのだ。
 この答えは得られないのだろうか。二人が再び放送室のマイクの前に向かったら、胸の内を打ち明けてくれるだろうか。――でも、知っている。寒さで縮こまっている木々を見上げて、噛みしめた。そんな日は永久に訪れないことを……。

この記事が参加している募集

#スキしてみて

528,964件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?