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光(四)

 日中は汗ばむくらいになってきましたが、夜はまだ冷え込みます。寒い季節が続いていたため、そろそろ夏が来てくれないかしらと、現金なことを望みます。
 ふと空を見上げると、今日は満月でした。心なしか、いつもより大きいような気もします。わたしたちの元まで光が降り注ぎます。
 せっかくまた新たなメンバーが加わったからと、今夜は簡単な歓迎会を催すことにしました。場所は紅亜の家の喫茶店。
「たぶん、この時間は空いてると思うから。それに、目の行き届くところで夜を過ごしてくれたら、親からしても安心でしょ」
 そうは言いますけど、親御さんにご迷惑をおかけしないか心配です。ただでさえ、わたしと舞子は頻繁に寄らせてもらっているのに。
 そんな心配は杞憂に終わるほど、紅亜のご両親は温かく迎えてくれました。いつも以上に豪華な顔ぶれに、どこか嬉しそうな節もあります。紅亜は「二人ともいつも厳しい」としばしば愚痴っていますが、素敵な方たちですよ。
「さあ、せっかく来てもらったんだから、好きなのを頼んでいいよ」
「え、いいの、お父さん?」
「今日は特別な。その代わり、たまには店の手伝いをしてくれよ」
 はーい、と紅亜はやや不服そうに答えます。

 料理を待つ間、先に運ばれてきた飲み物を片手に、話し込みました。
「くれあ、って珍しい名前ね。響きも、漢字も」
 茶髪の美波さんが言います。髪を染めるのは禁止されているため確かめてみると、地毛だという。彼女はフィンランド人の父親を持つ、ハーフなのだそうです。どうりで、印象的な瞳の色やすっとした鼻梁が日本人離れしているわけです。
「読めないよねー。名前にはかなりこだわったみたいで」
 しかし、紅亜は自分の名前をかなり気に入っています。確かに、彼女に相応しい名前じゃないでしょうか。
「くれあちゃん、か。素敵だね」
 さくらさんも頷きます。
「みんなはどうしてアイドル部を始めたの?」
 根本的なことを尋ねられ、わたしたちは順繰りに説明していきます。
「まず、わたしが元々アイドル好きで、仲のよかった二人をイベントに誘ってみたんです」
 と、舞子。
「そのイベントでわたしたち、感動しちゃって! すごくきらきらしてて、かわいくて――アイドルっていいな、って感じたんです!」
 と、紅亜。熱い。
「紅亜がわたしたちで部活を始めないかと提案して、三人でまずは同好会としてスタートしたんです」
 と、わたし。
「最初のステージだった新入生のオリエンテーションで先輩方のパフォーマンスを見て、わたしたちはその姿に憧れて、この部に入りました」
 と、美帆。嬉しいことを。
 聞いていた美波さんは腕組みをして、ふんふんと頷いています。
「じゃあ、まだ創部して間もないのね。部員募集をしてたくらいだから、当然か」
「美波さんとさくらさんは、どうしてアイドル部に?」
 と訊いたのは千歳。
 先ほどから、いい匂いが漂ってきていました。もうすぐ料理ができあがるでしょうか。自然と笑顔になれます。

「三年にもなって、と思うかもしれないけど――わたしはずっと何か新しいことを始めてみたくて。アイドルについてはまったく詳しくないけれど、興味はあったのよ」
 美波さんに続けて、さくらさんも口を開きます。
「わたしはそんな美波に誘われて――女子校で女子アイドルをやるなんて、おもしろいなって思ったし」
 あと、と言葉を継ぎます。「あと、そうそう。ポスターの絵がよかったから」
 みんなの視線が一斉に美帆に向きます。それに気づいたさくらさんが「あの絵、美帆ちゃんが描いたんだ。かわいらしくて、よかったよ」とさらに褒めると、美帆は照れ笑いを浮かべていました。
 そのタイミングでそれぞれがオーダーした料理が運ばれてきました。練習で体を動かしていたわたしたちは、お腹が空いてしょうがなかったです。すぐに食べ始めました。

 それから部活の時間を重ね、わたしたち七人は遅々とした歩みながらも、着実に前進していました。完成度を高めていき、あとは学期末のライブを待つばかり。
 ところが、その前に別の問題が持ち上がってきたのです。
「はー、どうしよー」
 さっきから紅亜は嘆きに嘆いています。彼女が気落ちした横顔を見せるなんてめったにないことです。
 わたしと紅亜、それに舞子は教室に残って勉強をしています。期末試験が近いので、それに向けての勉強をしているのです。――というよりも、主に紅亜に教えているのですが。
 我が校では期末試験で最低ラインに達していない、つまり「赤点」の人は再試験を必ず受けなければなりません。そして、それは文化部が合同で開催するライブの時間帯と被っています。言い換えるなら、ライブに参加できないように被せられています。ちゃんと学生の本分を弁えていない人は、楽しい行事に参加する資格がない、という意味でしょう。
 これに悲鳴を上げているのが紅亜。勉強がほとほと苦手で、しかも集中力が欠如しているので、いつも赤点をたくさん取ってしまうのです。今までは部活に所属していなかったからなんともありませんでしたけど、今回はライブに出るため話が違います。しかも、彼女は部長でセンター――と、わたしが興奮しても仕方がないですけれど。

 そんなわけで一緒に居残って、舞子と教えてあげているというのに、紅亜はさっきからすぐに音を上げます。これで大丈夫なのかどうか。
「ちょっと、紅亜。そんなんじゃ、ライブに出られませんよ」
「ひっ。美桜、怖いよー。そんな顔しないで。スマイル!」
 きっとねめつけると、ようやく教科書に目を戻しました。
 しばらく根気強く紅亜に付き合っていると、美帆が顔を覗かせました。
「おつかれさまですー。紅亜さん、がんばってますか」
 当の紅亜はだいぶ集中できているようで、黙々と勉強に取り組んでいました。美帆に向かって、唇の前に人差し指を当ててみせます。あたかも、赤ちゃんを寝かしつけた後みたいです。
「がんばってますね。千歳もたまに怠けますけど、なんとかやらせてますよ」
 一年生の教室では、千歳が紅亜と同じ立場。やはり、二人は相通ずる部分があります。
 ちなみに三年生の二人はとても優秀なので、心配する必要がありません。部活に入っていなかったのは、去年まで生徒会に入っていた関係もあるほどで、かなりの優等生なのです。
「ライブ、絶対にみんなで出たいですからね」
「そうですね」
 美帆の言うとおりでした。ずっと練習を積み重ねてきたのだから、やはり七人でステージに立ちたいです。
「美桜さんは自分の試験勉強できてますか? 時間ないんじゃないですか」
「いつもより割ける時間は少ないですけど、でも、赤点は回避できると思うので。美帆こそ、大丈夫ですか?」
「わたしも同じです。今はとにかく、千歳のために」
 そう言って、にっこりと微笑みました。二人はほんとうに仲がいいのだな、と感じます。
「実は、ちょっと考えているんですが、」わたしは声を潜めました。「仮に紅亜か千歳が合格点に届かなかった場合、ライブには参加しないつもりなんです」
「え――」
 美帆の瞳が、戸惑いに見開かれます。
「残念ですけど、フォーメーションとかもあって、一人欠けるだけでも難しくなりますし。それに、特に紅亜はセンターです。彼女なくして、わたしたちのパフォーマンスは完成しません」
「でも、そんな……」
 暗い表情をする美帆の肩を慌てて掴みます。
「それは最悪のケースです。そうならないように、なんとかみんなで赤点を逃れるんです」
 一緒にがんばりましょう、と最後に付け加えると、はい、と小さな返事がしました。

 一足先に講堂の舞台に立って、深呼吸を一つ。まだ誰もいない、静かな空間。しばらくしたらたくさんの人が来て、騒がしくなることでしょう。
 七人体制になってから初めてのライブ。期末試験の結果、勉強の甲斐あって紅亜と千歳も赤点を免れ、全員で参加できることになりました。ほんとに、胸を撫で下ろしました。
 あとは思い切りやるだけです。吹奏楽部や軽音楽部に続いてパフォーマンスすることはどんな風に受け取られるか分かりませんが、気にしすぎず、わたしたちらしさを貫いていくべきでしょう。
 不意に肩を叩かれました。舞子が傍に立って、にこやかな笑みを浮かべています。
「今日は楽しもうね」
 せっかくの晴れ舞台ですから、そのつもりです。わたしは微笑み返して、改めて観客席側を見据えます。
 見に来る人たちの中にはバスケ部員もきっといるでしょう。自由参加という形をとっていますが、ほぼ全生徒がここに押し寄せるからです。顔なじみもいるかもしれません。歌って踊っているわたしを、どう捉えるのか。
 わたしは自分の実力のなさを恥じて、戦いから逃げました。でも、だからといって、ほんの気まぐれでスクールアイドルを始めたわけではありません。親友の二人と、新たにできた仲間たちと本気で取り組んでいるのだと、今日のパフォーマンスで証明できれば。
 そんな風に思っています。
 少しずつ、遠くから喧騒が近づいてきていました。もうすぐです。


 わたしたちは美帆が手作りした衣装を身に纏っています。できあがった段階で一度試着していたとはいえ、本番を前にするとすごく恥ずかしいです。あまりにかわいくて、気後れしてしまうから。
「美桜、ちゃんと背筋を伸ばさなきゃ。自信を持って舞台に立っていないと、かえってかっこわるいよ」
 舞子に指摘されてしまいました。せっかく美帆が精魂込めて作ってくれたのですから、今のわたしが誰よりもかわいい、そのくらいの気持ちで臨まなければ。
 白を基調とした衣装で、袖とスカートの色が全員違っています。美帆はせっかく七人なのだからと、虹の七色をそれぞれにあてがいました。本人のイメージを考慮し、紅亜には赤、舞子には橙色、千歳には黄色、美波さんには青、さくらさんには紫。美帆自身は緑で、わたしに与えられたのは藍色。好きな色なので嬉しいですし、それに、ほかのメンバーもよく似合っています。
 基本の立ち位置は前列三人、後列四人。センターは紅亜で、わたしと舞子が右と左に。後列の内側二人が千歳と美帆で、外側に美波さんとさくらさん。虹色の順番とは異なるわけですけど、踊っている間に変わっていくため、それよりも個々のイメージカラーを重視しました。
 前回の三人のライブから、あっという間に七人に。わたしたちは確実に前進してきました。無駄な時間を過ごしてこなかったことを、かつて逃げてしまった過去のわたし自身に証明してみせます。
「よーし。みんな、今日は楽しもうね! 笑顔で!」
 紅亜の掛け声でメンバーに気合が入ります。ステージに一歩、踏み出しました。
 こちらを観ている人たちよりも一段高いところにいても、自然とたくさんの視線とぶつかります。普段なら、臆して目を逸らしてしまうでしょう。でも、今はアイドル。ちゃんとまっすぐに見つめ返して、微笑まないと。
 紅亜が簡単な挨拶を済ませた後、曲紹介をします。場内がしんと静まり返り、いよいよ始まるのだと意識させられます。集中――。
 一曲目はAKB48で『君のことが好きだから』。

 全力で踊りながら、心を込めて歌いながら。わたしは別のところで考えていました。バスケ部を辞めて、これからどんな目標を掲げて学生生活を送ればいいのか迷い、そんなときに、アイドルのイベントに誘われました。はじめは深い考えもなく足を運んだのに、ぐっと心を掴まれてしまったのは、きっと迷っていたから。ぽっかりと空いた胸に、すっとあのときの輝きが入り込んできたから。
 アイドルは誰しもに必要とされている存在ではないかもしれません。それでも、誰かの笑顔を作り、誰かの背中をそっと押していることは確かでした。それに気づき、そして憧れました。
 紅亜と舞子はどんな風に捉えていたのか判然としませんけれど、わたしがすぐに一歩踏み出せなかったのは自信がなかっただけ。楽しそうだなと、遠くから眺めていました。
 二曲目のHKT48『そこで何を考えるか?』がサビに差しかかります。

  悔しい

  次のチャンスはまたあるよね これで決まるわけじゃないし

  いつもより練習すればいい 目標はそうモチベーション

  涙拭ってもう一度 新人の頃を思い出そう

  汗を流したその分だけ どんな願いだって叶うんだ

 演奏が終わり、きっと前を見据えると、そこにはたくさんの笑顔が。喜びよりも、ただひたすら安心していました。
 誰かの笑顔を目の当たりにすると、こちらも自然と笑顔になれますね。

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