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わたしたちの愛と革命 ep.1

     一


 スポットライトの光に照らされる少女たちを見つめると、同じように光に照らされた日のことを少しだけ思い出す。客席側が暗くなって、観ている人は誰もが口を閉ざしているものだから、取り残された空間で演技し続けているみたいな感覚を抱いた。当たり前だけど、本番が一番緊張した。そして詩は、舞台上で大勢の視線を浴びることは性に合わない、と改めて思い知った。一度きりの経験でよかったのだ。
 もしかしたらその経験が、今の仕事に就く動機の根底にあったのかもしれない。詩は、大勢の視線を浴びることが性に合う人たちを陰から支えている。
 ショッピングモールの広場にアイドルグループ「花物語」のメンバーが姿を見せると、はじめに驚き、戸惑っていた周囲の気配が歓声に変わった。事前告知なしのゲリラライブだから、観客は偶然居合わせた人たちばかり。彼女たちをどこまで知っているかは、足を止めた人々の中でばらつきがあるだろうが、どの表情も「ラッキー」と言いたげなのを目にすると、ライブを仕掛けた甲斐があった。
 音楽が鳴り出し、彼女たちのパフォーマンスがスタートする。最前列の中央で、一人だけマイクを持ったまま直立しているメンバーが改めてグループ名を告げ、「最後まで楽しんでいってください」と投げかけてから、その娘もパフォーマンスに加わった。
 詩は、自分よりも若いのに堂々としているメンバーたちを捉え、感嘆する。
(わたしだったら無理)
 飛びぬけて容姿が優れているわけでも、根が明るいわけでもない、と詩は自己を評価している。アイドルにどれだけ憧れたって、自分がなろうとは到底思えなかった。
(それに、芸能界の裏側の世界に思いがけず飛び込んだことで気づいた。ただ見た目がいいだけじゃやっていけなくて、面白がられたり、その人らしさが認められたりしていく、その繰り返しだ)
 この世界で大勢に認められることは生半可なことではない。詩はただただ、その荒波の中でも、メンバーたちが自分らしさを失わずに活動してくれたらと願うばかりだ。
 最初の曲が終わって歓声が湧き、その興奮が冷めないうちに次の曲がスタートする。どんな曲でもファンは「コール」で必ず場を盛り上げてくれる。
(あのステージにわたしたちがいたらどうだろう)
 詩はあり得そうもない想像をした。詩には高校時代、特別な存在の同級生が二人いた。一人はボーイッシュで、スタイルがよくて、女子校内で最たる人気者だった。彼女は綺麗な顔をしていたから、「花物語」に混じっていても不思議じゃなかったかもしれない。ただ、本人はやりたがらないだろう。
 もう一人は眼鏡をかけ、いつもお下げで、控えめな性格だった。でも、彼女みたいな子は、男性にとって守ってあげたくなる存在なのでは。
(じゃあ、わたしは?)
 詩は自分がなにも持たない人間だと知っている。見た目も中身も平凡で、どこにでもいるような。だけど、そんな目立たない少女が活動していく中で階段を上っていくシンデレラストーリーは、大衆に支持される類のものかもしれない。
(今さらやれるわけないし、過去に戻っても絶対にならないけど)
 久しぶりに、仲のよかった二人に会いたくなった。今、どうしているだろう。SNSで断片的な近況は見知っていて、元気そうなのは把握しているが。
 舞台袖から客席の方に目を向ける。誰しもきっと、なにかしら憧れの対象はあり、それによって生きていけている。昔を思い出したとき、永遠に続いてほしかったあの日々に今も憧れていることを自覚する。胸の中に甘酸っぱいものが広がった。
 旧友に連絡を取ってみようと、詩は心に決めた。


     二


 この行為は、なにも変わっていない自分自身を確かめているみたいだ。新しい春を迎えたことによる、ちょっとずつの環境の変化。学年が上がり、後輩ができた(接点があまりないから実感が湧かない)。文系か理系かの選択を迫られ、文系を選んだ。同時にクラス替えが敢行され、文系クラスの一つに放り込まれた。
 ほんのちょっとの変化だ。それくらいじゃ、菊池詩を劇的に変えることにはならなかった。一年はあっという間に過ぎてしまった。この調子だと、高校を卒業するのもあっという間かもしれない。
 明確に足りないものが見えているわけじゃない。だけど、詩の胸にはぽっかりと空いたスペースがある。そこを埋めるものをあくせくして探すべきかどうか、詩は思案している。
 放課後の教室は人の姿がまばらだった。だいたいの生徒が部活や委員会に出向き、中には早くも塾や予備校に通う人もいる。そのいずれでもない、詩みたいな少数派だけがなんとなく教室に居残っていた。
 桜でも見ようと席を立って、窓際に近づく。桜は好きだ。あんなに綺麗に咲くのに、風に吹かれるときは徹底抗戦しない、潔いところが。窓から眺めると、校庭を囲うように並ぶ桜が目に飛び込んでくる。こんなに綺麗なものを見られたのだから今日はもう帰ろうか、という気に詩はなった。
 ふと、数人分離れたところで、詩と同じように窓際で桜を見つめている女生徒がいることに気づいた。詩は、彼女のことをよく知っていた。五十嵐茉白。髪のアレンジの施しようがないショートカットに、すらりと伸びた肢体。肌が綺麗で、鼻筋も通っている。プリンス、と称えられるのも頷ける。女生徒だけど。これから、どれだけの一年生を泣かせるだろうと、勝手な心配をしていた。
 そっと窺うように目を向けていたが、茉白はだいぶ前からその視線に気づいていたらしく、しっかり目を合わせてきてから、さりげなく距離を縮めた。
「なあに?」
 間近で話しかけられ、少し緊張した。
「ごめん」
「なんで謝るの」
「特に理由があって見ていたわけじゃないの。たまたま目に入って。桜と一緒」
 最後の一言は余計だったかもしれない、詩は不安を感じたが、茉白は笑ってくれた。
「そっか、私は桜か。桜じゃなくて、ほんとうは五十嵐――」
 茉白でしょ、と詩が遮る。驚いたように目をぱちくりとする。
「知ってるんだ。同じクラス、初めてなのに」
「知ってるよ。あなた、有名人だから」
「へえ、そうなの」
 茉白のその反応からは、自覚的なのか無頓着なのかははっきりとしなかった。どうしたって、茉白は目立つ。本人も周囲と比較してみれば、すぐに分かりそうなものだ。
 気がつけば、教室内は二人と、離れたところで黙々と読書に耽っている一人だけになっていた。六限目までの喧騒が嘘みたいだ。
「菊池詩さん。わたしはあなたの名前を知ってるけど、あなたも有名人?」
 さっきも言っていたように、二人はこの四月に初めて同クラスの一員になった。詩は、茉白が自分のことを知っているはずがないだろうと踏んでいた。
「よく知ってるね、わたしみたいな無名人」
「無名なの? 綺麗な名前だなって思って、印象に残ってたけど。ぴったりの名前だね」
 瞳の色に、考えを見透かされそうな深みがある。同年代の同性を前にして、詩は今まで覚えたことのない感情の只中にいた。
(彼女は特別なのかもしれない。わたしとは住んでいる世界が、見えている景色が、息づいている言葉が、なにもかもすべて違うのかもしれない)
 ねえ、詩、と早くも下の名前で呼んでくる。詩は平静さを取り戻そうと努めた。これが茉白のやり口なのかな。丹田、という最近憶えた体の一部を意識して、続きを待った。
「わたしたちで革命を起こさない?」
 革命、という熟語がたいそう魅力的に響いた。


 部活を立ち上げる際の校内規定を、詩はまるで気にしたことがなかった。入るとしても既存の部活に参加するだろうし、入りたいと思う部活がなかったとしても、自ら立ち上げようとはしない。帰宅部を選択すればいいから。
 ――わたしたちで革命を起こさない?
 ときめいたが、具体的にどうしたいのか分からなかった。続きを待つと、新しい部活を立ち上げたい、と茉白は告げた。詩は我が耳を疑った。どうして部活を作るのか。どうしてそれに誘われているのか。
 ――ぶかつ?
 ――部活。
 ――えっと、何部を……?
 ――名前は決めきれていないの。革命部でもいいけど。
 革命部だなんて、活動内容が見当もつかない。詩はもう少し考えてみた。もし、ほんとうに二人で新しい部を立ち上げるとしたら。
 ――そもそも、部員二人だけで許可が下りるの?
 茉白は美しい眉を顰めた。
 ――下りないかな。とりあえず、生徒会に掛け合ってみようと思ってる。
 ――顧問の先生は?
 ――暇そうな先生を適当に捕まえようと思ってる。……本気で考えてくれてるみたいね。
 詩は虚を突かれた。茉白があまりにも考えなしで、すっかり相手のペースに巻き込まれていた。これが茉白のやり口だろうか。
 その日のうちに生徒会に申請しに行きそうな勢いだったが、詩は一旦回答を保留し、帰宅することにした。よく分からない話なのに拒まなかったのは、以前から惹かれていた茉白に誘われたからかもしれないし、誘い文句が胸に響いたからかもしれない。自分でも気持ちを持て余していた。
 家に帰り、携帯を義務付けられている生徒手帳を開いてみた。開いたのは入学から二度目、最初に渡されて以来だ。部活動に関する規定を確認する。
「無理じゃない」
 部屋で一人きりだったが、思わず漏らしてしまった。新しい部活を創設するには、最低でも五人の部員が必要。当然、顧問も必要。活動内容について生徒会に確認してもらい、了承を得なければならない。そんなようなことが書かれていた。了承を得られれば、規模に応じた部室と、予算が与えられる。
 生徒手帳を鞄に戻し、ベッドに横たわった。白い天井を見上げ、考える。
(わざわざ部を作る必要あるのかな。個人的に集まって、好きなことをすればいいのでは)
 人数が二人じゃなくなったとしても、規模とよく分からない活動内容からして、部室も予算もそうは望めない。茉白の目的はどこにあるのか。
(それにしても、どうしてわたし……?)
 物思いに耽る途中で睡魔に襲われた詩は、眠りの世界にトリップしてしまった。

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