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つぎはぎ細工(6)

 千巾ヶ丘は私たちが暮らす街の中心にあり、小高い丘である。この街の人たちにとっては馴染み深くて、私が通った小学校は、毎年、遠足に行く。かつて城があったそうで、小学生の頃、調べさせられたが、すっかり忘れてしまった。
 その丘の頂に登れば、街並みが一望できる。中学生になってからは行く機会が減り、ご無沙汰している。
 私は杉内に手を引かれて、久しぶりに千巾ヶ丘へと足を踏み入れた。その姿はあまり変わっていなかった。石が敷き詰められた歩道、手入れがほとんど施されていない木々、段ボールで滑った跡がある緩やかな斜面、錆びた手すり、何一つとして。
 あっという間に頂上まで上がっていき、着くと、杉内は腰を下ろした。私も寄り添うように隣に座った。
 杉内は前を見据えたまま、また黙ってしまった。最初はそれに我慢できたが、次第に耐えかねて、ついに私から話し出した。気分が急に憂鬱になったこと。浜中の誘いをむげに断ったこと。綾にひどい言葉を投げかけたこと。風邪で家に引きこもっていたこと。次から次へと言葉が口をついて出た。
「……」
 杉内はそれらを黙って聞いていた。聞いている証拠に、たまに小さく頷いていた。
 それでも杉内は何も言ってくれなかった。ただ、私の心は胸のつかえが取れたのか、すっきりとしていた。
 突然、杉内が立ち上がった。
「相川、立って前見てみ」
 言われるままに立ち上がり、前に視線を移した。すると、そこには色鮮やかな夕焼け空が広がっていた。
「わー、すごい」
 私は感動して、情けない声を漏らした。オレンジ色と所々に薄い紫が空に描かれていた。神様も粋な落書きをするなあ。
「元気出るだろ」
 杉内の声音は優しかった。
「うん」
「色々、思うところはあるだろうけど、部活来てよ。夏祭り、出ようぜ」
「うん」
「あと、浜中と岩永に謝っておけよ。あの二人、ずっと相川のこと心配してたぞ」
 そうか、心配してくれていたのか。悪いのは、全部私なのに。
「杉内君」
 私は夕陽色に染まった杉内の正面に立って、彼の目を見つめた。
「本当にありがとう」
 そして笑顔とともにそう言った。言ってから、鼓動が高鳴っていることに気がついた。とても不思議な、でも必然的な感情が胸をいっぱいにしていた。
 素敵な一日になった。私と杉内は名残惜しそうに夕陽を見送り、暗くなってから二人で千巾ヶ丘を下り、家に帰った。
 

 それからは部活に復帰し、夏休みの学校にギターを持って連日出かけた。夏祭りは八月の中旬ごろにある。すでに他のメンバーは、練習を始めていたので、私は後れた分を取り戻すように頑張った。
 夏祭りでやる曲は、バンプの『涙のふるさと』。とても良い曲で、練習する甲斐があるものだ。
 バンドに復帰するに当たって、部長である浜中に真っ先に謝罪の言葉を言おうとしたが、「やっと来たか。これ楽譜」と会ってすぐに言うタイミングを作らせなかった浜中の前に屈した。後から考えると、あれは浜中なりの思いやりかもしれない。あるいは、照れ臭かっただけかな。

 綾にはちゃんと謝ることができた。
「大丈夫だよ。私は、いつまでも紗希の友達だから」
 綾は優しくそう言ってくれ、私は泣きそうになってしまった。良い人過ぎる。神様から色々な才能を与えられなかった私だが、こんな素晴らしい親友を授けて下さっただけで、満足だ。 
 バンドの練習は、はかどった。夏休みは一日中、音楽室を使えるし、何より精神面で意欲的にやろう、という気持ちが強かった。
 本番前にはほぼ完璧に準備ができ、前日の夏祭りの会場でのリハーサルも問題なく終えられた。後は、緊張との闘いだけだ。


 打ち上げ花火の音が、空に響き渡った。それを合図に、今年も祭りが始まった。軒を連ねる屋台の数々。ヨーヨーつり、タコヤキ屋、射的、わたあめ、ラムネ。あちこちから威勢のいい声が聞こえてくる。
 人が増えて、会場が人で溢れるようになると、物見台を中心にして、盆踊りが始まった。これといった難しい動きはないため、途中から入っても普通に踊れる。
 最初の打ち上げ花火から一時間が経過し、ステージでは地元の小学生たちによる和太鼓の演奏が終わったところだった。次は、つぎはぎ細工の出番だ。
 今日の緊張は、いつもと一味違う。いつもなら同世代で、知っている人も多少はいたが、今回はそうはいかない。世代は幅広いし、知り合いはかなり限られる。
 そしてもう一つ、私は違うことにも緊張を抱いていた。
 千巾ヶ丘に二人で登って以来、杉内のことを直視できなくなっていた。見ようとすると、頬が紅潮して、妙に胸がドキドキしてしまう。
 そんな私だが、今日は祭りという事もあって、浴衣を着ている。髪も未姫によってかわいく結われている。これなら人前に出ても心配ない、と思ったが、動きづらくて敵わない。
 未姫は松田歩、阿部あおい、それから綾の三人と一緒に、私の応援も兼ねて祭りに来ていた。彼女らも浴衣で、色違いの洒落た、小さな手提げ鞄を持っていた。未姫の手作りらしく、彼女の器量の程を窺がわせた。
 ステージ裏で出番を待っている時、杉内を直視できないため、彼の今日の服装さえ分からなかった。おそらく、小笠原と浜中がいつもと変わらない服装であるから、特別な格好ではないだろう。
「続きましては、有志バンド、つぎはぎ細工の演奏です。どうぞ」
 紹介を受けて、私たちは順々にステージへと上がった。
 上がってから、綾たちと目が合った。私に声援を送ってくれている。私は笑顔で、手を振った。おかげで緊張が少しほぐれた。
 その勢いで隣の杉内を見てみた。ちょっと照れたが、やっと表情を拝むことができた。涼しい顔で、ギターを肩にかけ、マイクを握った。服装は予想通り、いつもと同じだった。夏休みの間にすっかり見慣れた私服だった。                               
「こんばんは、つぎはぎ細工です。今日は夏祭りで演奏する時間を頂いて、とても嬉しいです。精一杯やるので、温かく見守って下さい。バンプ・オブ・チキンで涙のふるさと」
 いつも思うが、杉内の語りは堅い。でもまあ、こういう公の場ではふさわしいのかもしれない。それに長過ぎない。浜中に喋らせたら、杉内の二倍は語りそうだ。小笠原だったら、冗談を言い出しかねないし、私だったら緊張で良く分からない事を言いそうだし、杉内が案外、適役だったようだ。
 さて、演奏の方はというと、練習ではノーミスできていた小笠原のベースがややはやり気味になり、私は戸惑った。だが、浜中が落ち着くよう目で合図し、目立ったミスにはならなかった。
 とはいえ、今回ばかりは皆が皆、顔が緊張で硬くなっていた。表情に余裕が見られない。落ち着くように指図した浜中も、小笠原に負けないぐらい落ち着きがなかった。
 私はギターに自信があるから、集中すればミスしないものの、他者を顧みる余裕はさすがになかった。
 そんなライブでの初めてのピンチを救ったのは、杉内だった。彼の歌とギターは安定していて、その空気が次第に伝播し、小笠原と浜中も徐々に緊張が抜けていった。
 そして最初のサビに入る頃には、いつもの調子を取り戻し、四人の音が重なり合った。歌が聞こえ、ギターの音が流れ、ベースが響き、ドラムがリズムをとった。バンドにとって当たり前のことが、苦労して到達できた。苦労した分、達成感は大きいし、この四人以外の誰にもこの気持ちは決して分からない。
 数週間前の沈んでいた自分を思い出した。あの時の私は、何で迷っていたのだろう。こんなに素敵な仲間が側にいるのに。あの時の私は、どうしてライブできる喜びを忘れていたのだろう。こんなに温かくて、楽しくて、充実した瞬間がここにはあるのに。
 これからもずっとここに来よう。心に悩みを抱えて辛い日も、悲しみに打ちひしがれている日も。きっと、また私を迎え入れてくれるから。
 ライブは成功といえる内容で終えた。終わった後のジュースは格別に美味く感じた。
 その後は綾たちと合流し、祭りを思う存分、楽しんだ。たくさん笑った。

 最後に見た打ち上げ花火は、とても綺麗だった。


 蝉の鳴く声が聞こえる。この声を聞くと、今が夏なのだと実感できる。
 今年も暑い日が続いた。一方で今年の私は、いつもと違う。いつもは、だらだら過ごして、夏休みを生きていたが、部活があったことで有意義な時間の使い方ができた。
 でも、誤算もあった。いつも、それなりにコツコツとやっていた夏休みの宿題をやる時間が部活のせいでなかったのだ。部活以外の時間にやれば良かったのに、と思うだろうが、そうはいかなかった。
 私は部活があると、それで体力を使い果たしてしまい、その日はもう何もやる気にならない、というだめ人間なのだ。
 そして夏祭りが終わり、本当はその後も部活が入っていたのに、私が宿題を終えてないために、二学期になるまでなしとなった。といっても、終わっていないのは私だけでなく、小笠原と杉内もで、一人しか参加可能な人がいないため、自動的になしとなった訳だ。
 私は綾を家に招いて、成績優秀な彼女に手伝ってもらった。でも、答えを写さしてもらう、なんていうずるい事は小心者の私はしない。きちんと教わりながら地道にやっていく。
 ただ、ずっと勉強しているだけだとつまらないから、時折、休憩を挟んだ。話したり、お菓子を食べたりと、まったりした。
「実は私さあ」
 その日も休憩時間と称して、お喋りに励んでいた。
「うん」
 綾が相槌を打つ。
「好きな人ができた」
「本当に?」
 この年頃は、恋愛話が大好きで、私たちも例外ではない。
「誰、誰?」
「どうしよう、言おうかな」
「そこまで言ったんだから、教えてよ。絶対、誰にも言わないから。秘密にする」
 こういう話題のときに頻出する言葉、「誰にも言わないから」。これを言う人ほど逆に信用できないが、綾は信頼しているから、教える事にした。
「あのね……」
「うんうん」
 綾の前でも、どうしても照れてしまう。
「杉内君」
 うつむき気味でそう言って、上目づかいで綾の顔の反応を窺がった。すると、その顔は納得気味で、悪戯っぽくニヤついていた。
「そうなんだ。それで、どうするの?」
 つまり、その想いを伝えるのかどうか、という意味だ。
 私は当然、迷っている。想いを告げて上手くいけば杉内と付き合えるが、部活の雰囲気が悪くなる可能性もはらんでいる。それを考えると、無理して想いを告げる必要はない気がする。
 でも、そんなのは思い上がりに過ぎない。上手くいく可能性は限りなく低いと思う。むしろ、伝えて、断られた時、部活の関係、特に私と杉内の関係がギクシャクしてしまう。この方が現実味のある話だと思う。
「綾、どうすればいいかな?」
 とりあえず話の流れで綾に尋ね返してみた。
「そうねえ」
 綾は少し困った顔をした。恋愛経験は、ほとんどない綾にとって、この質問は酷だったかもしれない。
「修学旅行がそろそろあるから、その時、伝えたら?」
 いつもは的確なアドバイスを授けてくれる綾も、月並みな事しか言えなかった。
 私はとりあえず頷いておいた。


 綾に杉内を好きになってしまった事を打ち明けてから、余計に彼を意識するようになった。
 二学期が始まり、始業式が終わった後、杉内とたまたま廊下で対面し、「明日から部活だからな」と言われただけで緊張した。
 だけど同時に嬉しくもあった。今は、話せるだけでいい。それだけで幸せを感じられる。
 綾に恋の相談をしても納得のいく答えが返ってこない。まあ、私と綾が逆の立場だとしても、私は綾に納得させる答えを返す事はできないだろう。
 代わりに恋の相談相手を探してみると、すぐに思い浮かぶのが竹早未姫だ。
 未姫は男子からの人気はものすごいし、いつ彼氏ができてもおかしくない。つまり、未姫には今、彼氏がいない。
 未姫は言動から振る舞いまで、余裕に溢れているように見える。自分が選ばれし人間だと誇っている訳ではないが、そんな風に見える。だから、こうして恋に悩んでいる私のような子羊は、未姫に向かって羨望と嫉妬の入り混じった鳴き声をあげるしかないのだ。
 とにかく、私はそんな完璧人間の綾に相談したかった。ゆっくり話す機会が欲しかった。

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