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アダルトチルドレンで生きづらかった私が自分の心を癒して、育てていく。

幼少期からぼんやりとした生きづらさがありました。
学校でも、家族ともうまくやっていけない。

浮き沈みはありながらもなんとか大人になりましたが、自己肯定感も何もないまま社会に出てからはメンタル疾患で休職→退職になりました。

休職中に出会った本や考えていたことをここでまとめることで
私と同じように生きづらさを感じている方の何かヒントになれば嬉しいです。

読みたいと思った本を読む


仕事を休んでいる期間は、図書館や病院で本を借りて読んでいました。
初めの頃はエッセイなどの軽く読めるものを少しずつ読んだり、飛ばし読みしたりしていましたが、そのうちにいわゆる自己啓発本のような、メンタルヘルス系も読むように。

休む前まではそういった本を読むことに抵抗がありましたが、その時はなぜか手が伸びて積極的に読んでいました。

全てが共感できるものばかりではなかったけれど、人と話すのが怖い状態だった自分にとっては、自分以外の考えを聞くことのできる数少ない方法の一つでした。

もしも、今走っているレールの上に居心地の悪さを感じているなら、一度列車から降りてみることです。
各駅停車に乗り換えて、ゆっくりと車窓からの風景を見ながら、人生を楽しむことです。
あるいは、いっそ列車に乗ることをやめてみてもいい。
ぼんやりとした道の中を一歩一歩踏み締めていけばいい。

寂しさや不安を癒す人生のくすり箱


何に従って生きていけばいいのかわからない中で、本の中の言葉は前に進むヒントをくれました。


自分が好きな自分で居られる場所にいる


休んでいる間に考えていたことがありました。
それが、自分が好きな自分でいられる場所にいたい、ということです。

前職ではストレスの多い環境かつ、プレッシャーの大きい仕事で自分の性格がどんどん攻撃的になっていくのがわかりました。
そうすることでしか自分を保てなかったのだと思います。


そのときのことを振り返りながら、自分はどうありたいか考えると、
・自分の好きな自分でいたい。
・死にたいと思わないように生きたい。

そんな気持ちが出てきました。

地方にある実家は、近所の人や同年代の人の状況を比べて、噂話や陰口が日常的に起こっているようなところでした。

〇〇ちゃんは〇〇大学に入ったんだって、
〇〇君は落ちたんだって、将来どうするんだろうね。
最近入った若い子が仕事を辞めるんだって。
いじめなんていじめられる方にも問題があるのに。

日常的にそう言われ続けると、
家族の期待している人生から外れてはいけない。
頑張り続けないと褒められない。
頑張らない自分には価値がない。

自分の気持ちなんて押し殺して、苦しくなってしまいました。

今では少し家族とは距離を置いていて、
私が私のままでいることを許してくれる人との関係性を大切にすることにしました

自分のままで受け入れてくれる人と過ごす時間は本当に穏やかで、心地いいです。

仕事も、本当にやりたいと思えることを今はやっています。

自分を周りの基準に合わせることばかり頑張ってきたけれど、自分が好きな自分でいられる場所を自分で見つけてそこに身を置くことができるようになりました。



体力がないのも、メンタルが強くないのも、たまたまそういう個体だったというだけ。


周りに言われたことに振り回されないようなメンタルの強さは技術でもある一方で、持って生まれたものや恵まれた環境であったという側面も大きいと思います。

大食い番組に出られるほど食べられるのも才能です。
どんなに鍛えても私はギャル曽根さんほど食べられるようにはなれません。

自己啓発本やテレビで取り上げられるような成功者の屈強なメンタルも同じで、
生まれつきや環境的にメンタルが弱くなってしまった人がどんなに鍛えても限界があるのではないかと思っています。

生まれつき胃腸が弱い人に対して、刺激物をたくさん食べさせて胃腸を鍛えようとはしないですよね。
食べるとお腹が壊れてしまうものを避けることは逃げではないと思います。

弱いけれど、決してダメではない。

自分はそういう特性を持った個体だったと諦めることで多少楽になりました。


自分の心に従っていい。


私が心を病んでいる間にずっと頭を悩ませていたのは "世間的"   "一般的" な考えでした。

"世間的"にはこれくらい辛いのは当たり前。我慢しないと。
"一般的"には仕事を辞めちゃいけない。

限界を迎えている自分の心と体。
それと相反してもっと頑張らせようとする考えとに板挟みになり、身動きが取れなくなってしまいました。

家族関係もうまくいかず、酷いことを言われてしまった時にも、
家族だから許さないといけない。我慢しないといけないという考えに囚われていました。

そんな時に、大切な人から
「あなたが嫌だと思ったら、世間的にとか、社会的にとかは気にしなくていい。
嫌なことは嫌だって言っていい。
それを無視して否定する人とは関わる必要はない。」

と言われました。

これくらい我慢しないととか、家族だからとか、
世間一般的な考えに囚われて生きるのは本当に辛かったです。

周りに基準を合わせてしまっていたので、
・何か起きると自分が全て悪いと責める
・家に帰っても仕事の反省ばかり
・指摘されると過度に落ち込む
ただ1日生きるのも本当に苦しかった。

けれど、環境を少し変えて心も体も少しずつ元気になってきたら、

・起きてないことは心配してもしょうがない
・もうお給料は発生してないから仕事のことは悩まない
・指摘されたら反省して次失敗しないようにしよう


と思える様になりました。

考え方のクセとか、性格とか色々な要因はあるのかもしれないけれど、
心と体が健康だったらそこまで思い詰めることもないです。
逆にいうと、
過度に思い詰めて生きるのが苦しい時は心と体の元気がなくなってしまっている状態なんだと思います。


自分自身が辛さを感じているのに、それが甘えなんてことは決してないと私は思います。


最後に


私自身、時間をかけて少しずつ元気になって、日常生活を送れるくらいになってきました。

それでも、あの出来事がなければ、あの家に生まれなければ。
過去のことを思い出しては辛くなったり、どうしようもなく恨んでしまいたくなることもあります。

でも、これから先は自分が好きな自分でいられる場所は作ることができる。

苦しくなく過ごせる場所を探すこと。
好きなもので自分の部屋を満たすこと。
美味しいご飯を食べること。
美しいものに感動すること。

嬉しい気持ちも、悲しい気持ちも敏感に察して、

自分なりに自分の心を癒して、幸せになれるようにしていきたいと思っています。



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