エッセイというものの魅力にとんでもなく魅入られてしてしまった人間の思いの丈を聞いてください【エッセイ】

文系科目が大の苦手だったので消去法で理系としてこれまで過ごしてきたのですが、そこそこまとまった文章であるエッセイを唐突に書いてみたくなってしまいました。

原因は、松浦弥太郎さんの「エッセイストのように生きる」を読んだことです。

原因って書くと悪いことみたいですが、文章を自発的に書きたいと思うなんて、私にとっては
「自分はこれまで人間の子だと思って生きてきたけど、DNA鑑定してみたら実は火星人の子孫だった」
と判明するくらい今までの日常がぐるりとひっくり返るみたいな衝撃的なことでした。

エッセイを書くことの何にそんなに惹かれたのかと本を読み返してみると、
・出来事を書くというよりも、どう感じたかを書く
・忘れたくないことを書き記して残しておく
・自分の考えていたことをあとから見つめられる、人生の軌跡
と紹介されていて、そこに計り知れない魅力を感じているようでした。

少しここからTwitter(現X)の思い出話をします。
私はTwitterというSNSが大好きで、中学・高校の頃はよく1日に100近い(時にはそれ以上の)全く有益でもなんでもない思考垂れ流しのつぶやきを息をするように投稿しながら生活していました。

その頃には既読の代わりにいいねを押すという習慣を持つ人が周りにたくさんいて、いいねを押されるたびに過去に自分が投稿した内容を見返して、馬鹿なこと言ってるな〜と笑ったり、そうそうこんなこと考えてたよねと思考の整理をしたりするのが大好きでした。

大学に入学して同じ学科やサークルの人たちが既読代わりのいいねの習慣がないどころかほとんどTwitterを見ないことが判明し、そこから意識して投稿数を減らしていきました。
思考を垂れ流すのは相変わらず好きで周りの人よりは投稿頻度が高かったけど、反応がないから思い返す時間がもてなくて魅力は半減もしくはそれ以下へ。
大ダメージでした。

そんな時にエッセイの魅力を熱弁する「エッセイストのように生きる」という本に出会ってしまいます。

この考え方って自分の好きだったTwitterとの向き合い方とそっくりじゃないか!と。
今までは140文字という制限の中でひたすら気の向くまま投稿してきたけど、エッセイというものとして、一つ一つの思考を掘り下げて書いてみるのもまた楽しいのではないかと。

そんなことに唐突に気付かされてしまいました。
しかも少し調べてみると、一般人がエッセイを自由に投稿できる場所があること、投稿頻度が高くてもおそらく迷惑がられないこと、他にもたくさんの人がエッセイを書いて投稿していること。

そんなことを知り、Twitterに向けていた熱量をエッセイという一つのまとまった文章を書くことに向けてみたいと思うようになりました。

そんな私が今から一番楽しみなのは、自分で後から読み返すこと!
自分の思考の過程を見返すのってなんかよく分からないけどすごく楽しいんですよね。
もはや趣味と言っても過言ではない。

一年分溜まったら自分用にこっそり文庫本みたいに製本してくれるところに印刷をお願いしてみたいと思っています。
ふふ、一年後が楽しみです。
(待ち切れずに冬あたりにいったんまとめ始めそうな気もします笑)


P.S.
本っぽく印刷するのが野望なので、文章はいったんpagesというアプリで縦書きで書いてから、noteにコピペして横書き用に整えてます笑

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