『傲慢と善良』で私が実家を出たかった理由が言語化されてて感動しました【読書感想】
婚活中の人間に深く刺さって瀕死に陥ると噂の、辻村深月さんの『傲慢と善良』を読みました。
500ページ近くあるのですが昨日の夜から読み始めて一気読み。
「自分」を正しく客観的に理解することの大切さが身に沁みました。
が!!!
婚活の話ももちろん刺さって良かったのですが、私が一番「これだ!!!」と思った箇所は、
いつまで経っても実家のルールに縛り付けられて、このままじゃ独立の機会を完全に逃してしまうという焦り
が描写されていた部分。
以下、長いですが引用です。
ネタバレにはならないかと思いますが、未読の方はご注意ください。
イヤーーーーー!!!!!
多分社会人になってからもしばらく実家で暮らしてた人はこれ読んだら何が嫌なのか伝わるんじゃないかとは思うんですけど、まじで無理、ヤバい(語彙力の消失)
いやほんと、これ言う方の意見ももちろん分かるんですよ?
一緒に暮らしてるんだから家事は分担しようとか、もう大人なのに親がずっとお世話してるのはおかしいでしょとか、全然分かる。
なんなら私だってちゃんと家事分担しなくてごめんなさいって申し訳なく思ってた。
だけど、なんか家事分担したら自分の人生が静かに終わりに向かってしまう気もしてて。
なんかもう、そうなっちゃったら家から出ようという気がなくなって、かつ自然な流れで結婚して家を出るとかは無いと確信していたので、なんとなく機会もないまま子供部屋おばさんになっていくっていうとんでもなく恐ろしい未来がチラついて。
なんでか分からないけどその未来への恐怖と、家事をやらないことへの罪悪感の板挟みになりながら実家で暮らしてました。
でもここの描写で、自分のぼんやりした、だけど迫り来る恐怖の正体がなんだったのかはっきり言語化してもらえて、信じられないくらいスッキリしました。
もうね、ここの母のルールに「呑み込まれる」という表現が秀逸。
このままここに居続けたら、呑み込まれて「自分」という一つの独立した存在を保てなくなってしまう。
一度はまったら二度と抜けられない蟻地獄のよう。
多分私は、「家事を分担する」というルールを拒絶することで、蟻地獄に呑み込まれるギリギリのところでなんとか自我を保っていたのだと思います。
無事に実家を出て一人暮らしをするようになってからは、帰省した時にかつてのように家事を出来るだけやりたくないという強い拒絶は特に感じなくなりました。
まぁ、一人暮らしすると帰省中は親が甘くなると一般的に言われているので、ちゃっかり甘えさせてもらっているのもありますが笑
ある程度のところで「親離れ・子離れをする」というのは、結婚の有無に関わらずやっぱり生き物として必要な要素なのだろうなぁと思いました。
余談ですが、実家には社会人になった妹がまだ住んでいます。
母が「家事とか手伝って」と言った時に、
「実家ではやらないことにしている」
と返したのだそう。
強い。
一緒に住んでる時に姉の自分ばかり家事を手伝っていると憤慨していたのですが、妹の方が自我の保ち方をずっと前からわきまえていたのかもしれません。
「いい子」であることにどれほどの価値があるのか。
大きな問いが、作品を通じて投げかけられているように感じました。
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