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眼を大切に

先日眼科を受診しました。

少し前から目の奥が時々痛くなり、以前は一晩眠れば治っていたのですが、最近は翌日も続くようになっていました。

仕事が一段落して、年明けには眼科に行くかーと思っていたのですが、やはり年内に行っておこうと思い直しました。

7年くらい前に同じ症状で行った眼科に予約を入れ、多分その時と同じようにドライアイの診断を受け点眼薬をもらって帰ってくる、、と想定していたのですが、事態は思ったよりも深刻でした。

問診、視力検査などを終え、眼圧・眼底の検査。
すると、診察しながら医師が「裂孔がありますね、、」と。
「裂孔」と書きましたが、言われた時はすぐにこの字をイメージできず、ただ何か問題があることだけが分かり、急に心拍数が上がりました。

さらに詳しく調べたいので、と写真をたくさん撮られます。

眼の診察って、当たり前ですが詳しく調べようとすればするほど眼に負担がかかっているのがよくわかります。今回も眼を多く開けられて何やら丸い枠のついた物(医師は「レンズを入れますね」と言っていた)をはめられて、その時点でかなり圧迫感があって苦しいのですが、その状態で上下左右、斜め上下などを見るように言われます。

意識せずとも頭を後ろに引いてしまうと、看護師さんに後頭部をやさしく抑えられ、そうすると自然に肩に力が入ってしまい、「力を入れるとレンズが目から押し出されるから力を抜いて」と言われます。検査が終わった時点ですでにぐったり、、。

結果は、重大、の一歩手前とも言える「網膜の裂孔」ということでした。
放っておけば網膜剥離につながるため、今日このままレーザー治療をした方がいい、と。明日、裂け目が大きくなって剥離してしまう可能性もないわけではないと。

そこまで言われれば、「やります」となりますね。不安を抱えたまま一晩過ごす勇気はありません。

それでも、裂孔の場所によってはレーザー照射ができず手術になるし、大きさも小さかったことは不幸中の幸いです。

レーザー照射自体は眩しいだけでしたが、やはり先ほどのレンズを目にはめている状態が続き、相変わらず後頭部を抑えられるは、「力を抜いて」と言われるは、で。あ、もちろん、看護師さんは当たり前の仕事をしているだけですし、言い方もとても優しかったです。

レーザー治療自体は数分で終わりました。

裂孔の原因は特定できておらず、体質で網膜が薄い場合もあるし、加齢による場合もあるそうです。50代、60代で発症することが多いそうです。

幸いだったのは、パソコンを使う仕事や読書を含めて生活自体に何ら制限を課す必要がないことです。もしそうでなかったら、、と考えると恐怖でしかありません。仕事も読書も私にとってはとても大切なことですので。

ただ、ドライアイも結構深刻なようで角膜に傷がついていると。
こちらは仕事の途中で目を休め、意識的にまばたきをするなどの対策は必要なようです。

60年もずーっと、働いてきてくれた眼。
正直、これまで労わる気持ちはありませんでした。
意識せずに見ることができて当たり前だと思ってきたことは否めません。

身体の声を聞くことに多少なりとも敏感であったつもりなのに、全然そうではありませんでした。網膜裂孔の方は自覚症状はないけれど、ドライアイの方はバッチリ、症状がありましたから。

レーザー治療ができたことや大きさも小さいなど、不幸中の幸いが重なって大きな問題に至らなかったけれど、そうでなかったことを考えては一人、恐怖に襲われていました。その日に限ってオットは出社&忘年会で帰宅が遅く、「先延ばしにせず年内に行ったこと、その場で治療ができて大事に至らずに済んだことは本当に不幸中の幸いなんだ」と何度も言い聞かせつつも、心が乱れました。

NHKの「まいにち 養老先生、ときどき、まる」の再放送だったと思うのですが、その中で養老先生が「不安と折り合うことが成熟するということ」というようなことをおっしゃっていたのを思い出します。

網膜裂孔は自覚症状がないので、おそらく定期的に検査に行くことになるんだろうな。とりあえず1ヶ月後にチェックです。

ふと、晩年眼のトラブルを抱えていた父のことを思い出しました。
その診断が下った日、私は夕方には帰らなければならず、父を一人にしてしまったけれど、きっととても心細かったに違いありません。
今の私のように家で一人でご飯を食べて、一人でテレビを見て、一人でベッドに入る父を想像すると、なんとも言えない気持ちです。

その日の夜7時頃だったかな、父から電話があって。
そんな時間にかかってくることはあまりなかったので何かあったかと思い、電話に出てすぐ「どうした?」と聞いたら「いや、買ってきてくれた刺身がうまかったから、報告しようと思って」というようなことを言って。
すごく緊張して電話をとった分、力が抜けて「なんだ、良かった」と言った記憶があります。
久しぶりに刺身が食べたいというので、帰宅する前に買い物に行って、置いてきたのでした。

心細くて、誰かと話したくて電話したのかもしれないなーと今さらながら思います。亡くなる2ヶ月くらい前のことです。

あまりそういうことは思わないほうだけど、年明けに先延ばしにしようと思っていた私に「早く行ってこい」と父が背中を押したのかもしれませんね。



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