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高橋陽之25年史

今日3月7日、誕生日です。前夜の新松戸FIREBIRDでのライブから帰る終電の中、小便を我慢してたら26歳を迎えてました。

最近は新たな出会いも多いし、せっかくの機会なので自己紹介も兼ねた「高橋陽之25年史」を(書ける範囲で)書いてみようと思います。


生誕から幼少期

1998年3月7日、新潟県糸魚川市で生まれました。
母曰く、出てきた僕の顔は父方のじいちゃんとそっくりで、あまりに似すぎててひっくり返ったとか。

2歳上の兄と2人兄弟。物心ついたときは祖父・祖母・父・母・兄で6人暮らしでした。よく喋る子どもだったようで、家族からは当時流行っていた「ああ言えば上祐」と揶揄されてたらしいです。まったくけしからん不謹慎な家族ですね笑。

緊張しいでしたが協調性はあまりなかったのか、実家にあったホームビデオには保育園のお遊戯会では、ステージ上でヨダレを垂らして鼻をほじる僕がいました。当時からパンクです。

小学校から中学校

小学校1年のとき、野球を始めました。ずっと背が小さかったけど不思議とセンスはあったのか、最終的には市の選抜にも参加していました。
今もキャッチボール好きだし、バッティングセンターたまに行きます。ちなみにバントと守備が得意な川相タイプ。全然パンクじゃありません。

中学からは隣の上越市にある中高一貫校に通いました。受験当日、受験票をなくし鬼のように怖いと噂の教頭に半泣きで報告したら、やさしく受験票を再発行してくれたのが1番の思い出です。なぜ合格したのかはいまだに分かりません。
ちなみその後、鬼教頭はサッカー部の顧問として故意に6連続オウンゴールするよう指示し八百長したとしてニュースになりました。「故意に6連続オウンゴール」の見出し、面白すぎるやろ笑。

中学でも野球部でした。この頃にはある程度の社会性を得たのか、すっかり普通のおとなしい男子に。陽キャでも陰キャでもない、友達もそこそこいる普通の子。

そんな僕はついにロックと出会います。BSの『Best Hit USA』Dio追悼特集で流れていたBlack Sabbathの『Heaven and Hell』で超痺れて、NHK『SONGS』のEric Clapton特集で脳天を打ち抜かれ、最後は図書館で借りたMetallicaのブラックアルバムで、再起不能になるまでぶん殴られました。

中学入学祝いで、叔母さんにWalkmanをプレゼントしてもらったのも相まって、ハルユキ少年のロック熱がどんどん加速していきます。

高校時代、そして大学受験

ベースを手に入れたのは高1。友達がギターやってたので僕はベースになるという、よくあるパターンです。
XのHIDEのピンク髪に憧れて、教室の赤いチョークを髪に塗ったこともありました。片道1時間かけてコンボアンプを学校に持って行ったり。バカすぎるけど真っ直ぐで一生懸命だったな。
初めて練習した曲はX JAPANの『DAHLIA』。シナロケと出会ったのもあの頃かな。ひたすらダウンピッキングばかり練習してたおかげか、今も大抵の曲はダウンで弾けます。

母校の文化祭はライブがなかったので、ライブステージを企画したくて生徒会に入っていました。ただ残念ながらその夢は、卒業までついに叶わず。
(でも生徒会もやってみるとすごく面白くて、普通に楽しい思い出です)

そして高3になり受験。ぼんやりとしか進路を考えていなかったある日、突如として「教育」というキーワードに目覚めます。

時代は教育だ!東京で教育を学ぶぞ!!
そうだ、早稲田に行こう!!

思考が直線的なので、そうと決まったら話は早い。猛勉強して早稲田大学教育学部に入学しました。広末涼子と斎藤佑樹も学んだ学部。つまりそういう場所です。

バンド生活が始まった大学時代

高校時代にライブをできなかった鬱憤が溜まりに溜まっていた僕は、早稲田に入ってから念願のバンドサークルに入りました。初めてステージに立って人間椅子を歌ったときの感覚は一生忘れられませんね。

コピーバンドサークルだったので、色んなバンドを先輩に教わりました。海外だったらSLAYER、Destruction、Anthrax、Sodom、Dark Angel、Possessed、Kreatorなどなど、スラッシュメタルバンドばかりやっていたな。あとGreen DayとかRancidもやってました。
日本のバンドでも、人間椅子や聖飢魔IIを白塗りでやったり、JUDY AND MARY、相対性理論、ポケビ、森高千里とかもカバーしてました。ジャンル関係ないこの幅広さが、今の僕の礎になっているなと思います。感謝。

そして20歳のとき、同サークルの先輩たちに誘われてWrath of Noahというスラッシュメタルバンドを結成します。僕の初めてのオリジナルバンドです。作曲も作詞もレコーディングも、あらゆる初めてがこのバンドでした。

同時に色んなセッション会にも顔を出していました。Metallicaのトリビュートバンド「ハッタリカ」主催のセッション会でMELT4のメンバーと出会い、ベースを弾かないかと誘われます。Wrath of Noahの活動ペースが落ち着いていたので、そのままMELT4に加入します。

バンドにのめり込むほど落ちていく単位。教授には「来ない方の高橋くん」と呼ばれたこともありましたが、最後は気合いで単位をゲットしまくり、無事4年で卒業できました。あのとき助けてくれた同級生には頭が上がりません。
受験や大学時代のエピソードは、挙げればキリがないほどたくさんあるんで、そのうち気が向いたら書こうかな。

バンド活動が本格化する20代前半

卒業後はしばらく、MELT4のメンバーとしての活動が主でした。フジロックや川崎CLUB CITTA、渋谷duoのような大きいステージから西横浜EL PUENTEのような小さな熱い箱まで色んなステージに立ちました。あちこち遠征もしたし、レコーディングでも色んなスタジオで色んなプロフェッショナルたちと時間をともにしました。

今振り返るとミュージシャンとしての基礎体力を作る期間だったと思います。100回の練習より、1回のステージ。100万回動画見るより、1回のレコーディング。これは間違いないです。

ちなみに新卒で大手塾に就職もしたのですが、放課後と休日が仕事時間なのでバンド活動にはさすがに無理があり、1年で退職しました。

24歳まで3年間MELT4でベースを弾いていましたが、自分のバンドをやりたい気持ちが高まり2022年に脱退を決意。文字通り「方向性の違い」です。
最後のライブは渋谷CYCLONEで対バンがSEX MACHINEGUNSとGargoyleとOne’s Truth、ゲストでVOLCANOの屍忌蛇さんが出演いただいたのは嬉しかったなあ。
AnchangやSHINGOさんに「次のバンドも頑張って」と言われたのも、すごい励みになりました。

その合間でもWrath of Noahは年に数回のペースで活動したり、レコーディングプロデュースやサポートベースをやったりもしていました。

現在の音楽活動

やっと自己紹介に入れますね。今現在の僕は、2つのバンドで活動しています。

1つはロックンロールバンドのOh! Friends(オー フレンズ)。
もう1つはデスラッシュバンドのMachete Tactics(マチェーテ タクティクス)です。

Oh! Friendsは2人組で、僕はベースとボーカルを担当しています。相方のドラマー工藤のキャラクターとビートに惚れ込んで、結成しました。
作詞作曲も(今のところ)全部僕でやっていて、自分が表現したいことを、表現したい形で演奏できています。アーティストとしてはこれ以上ない喜びですね。
理屈じゃない「ロックの歓び」を全員でシェアできるバンドを目指しています。中高時代の俺が大好きで大喜びするようなバンドです。

Machete Tacticsは3人組のデスラッシュで、僕はベースを弾いています。
天才リフマスター嶋崎さんの作る曲と森川さんのビートがすごく好きで、曲ができるたびにメタラーわい大歓喜。最初から高い水準で完成されたバンドでした。海外アーティストの来日サポートアクトも何度か務めたり。
今現在2ndアルバム制作に向けて爆走中です。デスラッシュの持つ凄みを煮詰めて、練り上げています。

¥他の活動では、アダム(ex. SUNNY CAR WASH)のサポートでベースを弾いたり、ビクター所属新人アーティスト「田中くん」のアレンジとトラックメイクをしたり。そんな感じで色々やっています。

あと24歳からシーナ&ロケッツの奈良さんに弟子入りしてベースを教わっています。BOOWYの松井常松に憧れて以来、ピック一筋だった僕に「高橋くんはリズムがいいから指で弾けるようになりなよ」と言われ、練習すること早2年。かなり上達してアダムのサポートはかなり指弾きでやりました。

奈良さんはBLUE HEARTSやLUNA SEAを世に出した伝説のプロデューサーなのに、本当に優しく正直で、そしてこんなにベースが上手い人は会ったことがありません。間違いなく音楽人生の師匠です。

これからの話

やっぱり音楽を長く続けたいです。やりたいことは何かと聞かれたら、やっぱり音楽なんですよね。年々その気持ちが強まっています。音と音楽家の魔力に取り憑かれています。

次の25年間がどんなものになるか分からないんですが、いくつかやりたいことを書きます。

①売れたい
やっぱり売れたいです。ヒット曲を作りたいです。その方が活動が長く続くのは間違いないし、「続ける」と「続く状況を作る」の違いは絶対あります(詳しくはこちらのnoteから)。

作品が音楽家を色んなところに連れて行ってくれる。その楽しさは何にも代え難いですよね。大真面目に世界ツアーとか行けるようになりたいです。

②上達したい
もっと歌もベースも上手くなりたいし、作曲も作詞もアレンジも上手くなりたい。いい作品をたくさん作りたい。技術じゃなく音楽を売りたい。

③健康になりたい
身体が資本という言葉が身に染みる年齢になってきました。健康じゃないとライブもできないし、上達もしないし。今さらながら最近のテーマは「稼いで食べること」です。

ざっとこんなところでしょうか。次の25年史を書くのは50歳か〜全然イメージ付きませんが、目の前のことを一生懸命に続けていこうと思います。
今年も応援よろしくお願いします!


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