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ローカル線紀行#06 三陸本線(下) 釜石〜石巻

釜石

 汽車は釜石駅に到着した.駅を出て市街地へ向かう道中,早々に製鉄所が現れるのが印象的である.川を渡るときには,三陸鉄道の堂々たる橋梁を潜るようになっている.そして,その先には低層の個人店舗や住宅のずらずら並ぶ市街地がある.

 それでも,一角だけガラスの広場があって唐突だ.夜でもイオンに向かって車が流れる.イオンそして,制服の高校生がオープンスペースに腰を掛けて何か食べながらだべっている.

釜石市街地

「南リアス線」

 汽車は釜石駅を再び発った.断崖絶壁のリアス海岸の付け根を通るように敷かれた線路の上を,ごおーっと響かせながら南に進む.この区間でもやはり,山手のほうには山裾にへばりつくように上の方まで民家が立ち並ぶ一方で,海のほうにはがらんどうとした空き地に雑草が生えている.海岸付近だけがどこもそうなのである.

恋し浜駅

 小石浜の集落には,恋し浜駅がある.あえて地名と違い「恋」の字を含めている駅であり,海を見渡すホームに鐘を用意してある.そして,小さな駅舎内はホタテの貝殻で埋め尽くされており,裏側に恋愛成就などの願い事が一枚一枚に書かれている.

甫嶺駅付近

 トンネル,トンネルと続いてきた路線も,橋を渡り盛に着けば終点である.かつてはスイッチバック式の配線だったこの駅も,片側はコンクリートになってしまっており,トラロープや点字ブロック,跨線橋がその生き証人になっている.

盛駅

大船渡・盛

盛の市街地

 盛の市街地もやはり道路に沿ってずらりと低層の建築物が並ぶ感じである.とはいえ,シャッターが下りたままで,子供の絵が代わりに書いてある店舗も目立つ.訪問した日は日曜であったのにもかかわらず,ついぞ人を1人も見ることはなかったほどだ.ただし,一角にあるスーパーにはある程度人が入っており,震災関連のパネル展示を眺めている人もいた.周辺市町からの時刻表も貼ってあった.

 翻って,その裏を走る国道を見れば,チェーン店を中心に大型店舗が立ち並んでおり,車も絶え間なく走行していた.歴然とした差であった.

大船渡線BRT

盛駅

 ここからは宮城県柳津までバスの旅となる.もともとはこの区間も鉄道であったが,東日本大震災からの復興を機にBRTに転換し,停留所を大幅に増加させるなど需要喚起を図った.バスはしばらく大船渡の市街地を駆け抜けていく.先ほどとは違いあまりにも人工的な景観が並んでくる.商業施設も連続して並ぶ区間であり,若い女性がごく短い区間で利用するなどしていた.気がつけば,一段下がったところに市街地が広がり,対岸には山,という,いかにもリアス海岸を感じさせるような風景の中になっていた.

 このあたりからは集落同士を結ぶ路線バスのような旅路になる.見える景色も,海辺の都市から漁村へと移り変わる.とはいえここのあたりでは,進行方向左側だけ歯抜けになっているような,哀愁を漂わせるような景観であった.バスと離合を行ってもなお,必ず見ることになるのは3.11の爪痕である.それでもなお,山手のほうを走る区間では,田畑や民家が並ぶ,昔ながらの美しい農村が残っているのである.

陸前高田

 バスは陸前高田の市街地に入った.目に飛び込んできたのは,何もかも真新しい,極めて人工的な都市である.大型商業施設が中心部に配置され,その周辺に広場や個人商店が列をなして並んでいる.スーパーに入ると,魚関係の漢字の書いた書道の展示がなされていた.ときおり見かける小さな看板には,震災前の情景を読みこむためのQRコードが貼られてある.11m下に,つい13年前まであった街並みである.無電柱化も達成され街並みこそ美しいが,その美しさはほかの都市とは明らかに異質なものであった.

 駅まで戻り,その裏に入ると,階段の下に草がぼうぼうと生えていた.そして,一棟だけ,配管から内装までボロボロになった建物が鎮座している.しかし,その上に整備されたコミュニティセンターは,木材とガラスを巧みに利用したこじゃれたものになっていた.海に向かう方向に木製の屋根を備えた追悼施設がもうけられ,多くの花束が手向けられていた.

旧米沢商会
陸前高田の市街地

 バスは高田の街を後にして再び海のほうに入った.次に停まるバス停は「奇跡の一本松」であり,いったん下車した.先の大震災の被害が嫌でも思い知らされる.若木ばかりの松原,中が破壊された道の駅,渡り廊下の崩れたホステル,鉄骨だけ痛々しく残した物産館が立ち並んでおり,パネルの文章の前で立ち止まらざるを得ない.

高田松原
ユースホステルと奇跡の一本松

 中でも注目すべきは,道の駅の中にある東日本大震災津波伝承館だろう.波の威力に押し曲げられた看板や,破壊された消防車などが展示されている.小学生の頃に「テレビで見た悲痛な映像」の実物であり,何とも言えぬ感情になる.記録映像や証言集もよく見ておくべきであるし,当時の災害対策本部に関わる資料が非常に貴重である.

東日本大震災津波伝承館にて

 道の駅を出て,再びバスは南に向かって走り出した.段丘のような地形になっており,海こそ近いものの山間部の集落のような風情を呈している.バスは狭い峠道を越え,ついに宮城県に入った.そうこうしているうちにバスは三陸自動車道に入り,高速走行をはじめた.路線バス仕様のバスが高速道路を走るのは,かつて名古屋に走っていた高速1系統を思い起こさせるような感じであった.鹿折の新しい市街地を過ぎると,BRTは鉄道とバスとの結節点,気仙沼駅に到着した.一関へ向かう人々が汽車へと吸い込まれていった.

気仙沼線BRT

気仙沼

みしおね横丁

 気仙沼の市街を出ると,再び三陸海岸特有の景観になる.海岸に向かって荒地があり,反対側には集落,という構図だ.車窓の左手には三陸道の斜張橋・気仙沼湾横断橋が架かっており,青空に映えている.

気仙沼湾横断橋

 松岩や岩月のあたりでは大堤防が築かれ海原が覆い隠されている.そして,その反対側には国道沿い特有のロードサイド店舗が並ぶ.ファストフードやレストランからパチンコ店まで何でもある通りだ.

大谷海岸

大谷海岸付近
道の駅大谷海岸

 大谷海岸の海は凪いでおり,平穏そのものであった.白屋根のパラソルの下にはベンチがある.静かな海が暴れる姿というのは,事情を知らなければ決して思い浮かばないものであろう.この辺りも周辺地域同様津波の被害を被った地域であるが,地域の象徴たる砂浜を守るために防波堤が建設されなかった経緯がある.

 道の駅に入ると,買い物を楽しむ人々でにぎわっており,水槽の中でエイが悠々とこちらを見つめていた.2023年に封切られた映画のモデルの舞台ともされており,登場人物が食したというふかひれラーメンなどを口にする人の姿が見られた.

 バスは大谷海岸を経てさらに南下する.もう間もなく三陸海岸も終わりである.青い海は徐々に見えなくなっていき,灰白色の壁が覆っていく.小さな集落をいくつか過ぎ,志津川に降り立った.

蔵内駅付近

志津川

 志津川の街に入ったバスは,集合住宅地,役場,道の駅とめぐっていく.どこも非常に人工的な街割りで,新しい建物が並ぶ市街となっており,再建されたものであることをうかがわせている.商店街状の道の駅「南三陸さんさん商店街」には多くの車が止まっており,コンビニでの買い物から散髪までさまざまな所用をこなしに来たのだろうとうかがわせる.この町のグルメとして知られる「キラキラ丼」の店も並んでおり,幟を立てている.

南三陸町震災復興祈念公園・モアイ像(別日撮影)
キラキラ丼(別日撮影)

 少し歩くと目の入ったモアイ像の広場に出る.1i960年のチリ地震でも被災地となった同地の住民のため,イースター島の彫刻家が島内の石を利用してこの街の再興を祈願するために制作したものである.橋を渡れば震災以降となった結婚式場や防災庁舎がたたずんでおり,ここでも甚大な被害があったことをうかがわせる.

 志津川を出ると,また狭い谷に入る.ついに海岸線ともお別れで,ここからは内陸に変わる.谷間の集落のバス停にも止まりつつ柳津に到着した.ここはバスと列車を乗り換えられる駅であるが,このバスはまだまだ田園地帯を駆け抜けていく.

 桃生の街にたどり着くが,あくまでこのバスは「気仙沼線」であり,快速運転を行っていることになっている.そのため,この区間は停まらず素通りしてしまう.一面の田園地帯の中を駆け,北上川を渡り,線路をまたぎ越した.そして,再度集落に入ると,石巻線都の乗換駅,前谷地に到着した.

 駅舎のベンチに腰を掛けてから再び暖かい車内に入った.相変わらず仙北の田園を汽車は抜けていく.そして,家々が立ち並び,久しぶりの街になると,ついにこの列車は終点の石巻にたどり着いた.

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