見出し画像

京大吉田寮「ヒッチレース」参戦記

はじめに

 京都大学では大きな祭りが年に3回もある.学祭・熊野寮祭・吉田寮祭である.学祭はほかの大学同様文化系サークルの展示,体育会などによる屋台が立ち並び,そしてライブの熱狂が熱くステージを包んでいる.しかし,この大学の寮祭はおそらく日本でも有数の大掛かりな企画を有しているという点で一線を画す.「鴨川でいかだ下りをする」「山の上でマージャン大会」くらいならまだ可愛いものであり,過去には熊野寮で「時計台に登って占拠する」こともあった.しかし,現在でも行われる企画は量はおろか大学の外まで飛び出してしまうという点で突飛である.

 以前,私は熊野寮祭で「エクストリーム帰寮」に参加し,和束町と甲賀市旧信楽町の境界付近より50km弱,合計10時間半歩ききり熊野寮に戻ってきた.このときの記録は下のリンクに残している.

 熊野寮のエクストリーム帰寮は,参加者を数十キロ先まで車で飛ばしてそこから歩いて京都まで帰らせるという点で,いい意味で狂っている.しかし,吉田寮のヒッチレースは,参加者をその何十倍もの距離飛ばし,そこからヒッチハイクだけで帰らせてしまうという点での奇天烈さがある.飛ばされる場所は,最短でも和歌山県潮岬や徳島,下手すると北海道や沖縄もある.なお,飛ばされる地点には,以下の傾向がある.

  • 近流:西は因幡・備後・徳島県・香川県,北は越前・加賀,東は三河・遠州が目立つ.

  • 中流:西は愛媛県・高知県,北は越中・飛騨・信州のゴールデントライアングルが多い.

  • 遠流:東北・北関東・九州のほか,各地の離島・立山黒部アルペンルートもここに属する.非常に遠いうえ,離島や立山黒部アルペンルートの場合は本土に戻る交通機関の運賃を稼ぐ必要があるため,帰還するまでに2~3日を要することも珍しくない.

 ただ,このイベントの醍醐味は,参加者自身が帰洛する過程そのものを楽しむことにあるのではない.むしろ,その過程で参加者が人とかかわって「土産話」を生産していき,吉田寮において「実況中継」や「土産話会」といった形で消費されていくさまにあるのだ.ある人は温泉に入らせていただき,別の方は農家や漁師の手伝いをさせていただきお金をいただく.そういった人の優しさが忘れてはならない外連味となっているのである.

 今回,私の出発地点となったのは,新潟県は糸魚川,フォッサマグナミュージアムであった.「糸魚川・静岡構造線」の北端,すなわちフォッサマグナの北西の端にあたることから,ヒスイが産出され,日本海を通じて全国に輸送されてきた歴史がある.これ以外にも珍しい鉱物が産出されるなど,地質学的に見て非常に興味深い街だ.以下では,そこまで車で連行され帰還するまでの過程を記述する.

ヒッチレース参戦記

吉田寮からの出発

 京大の時計台には,その前にクスノキの大樹を擁するのが象徴的である.煌々と黄白色に光る時計台の下には,パレスチナへの支援を訴えるテントが鎮座している.門の外に出ると,いつも通りとがったコンセプトのタテカンが並んでいる.アニメを題材にしたものもあれば,漢文を引いてきて現在の世相・京大当局を風刺したものもある.別のものは,寮祭の宣伝をしている.

 「ここはひみつきち よしだりょう」などと書かれたタテカンを目印に左に折れると,そこが吉田寮である.午後11時半だというのに,何やらのライブで盛り上がっており,酒に酔った寮生が雑談にふけっている.屋台ではサケが売られており,列をなして人が並んでいた.正面に見える寮内では,左翼活動家が書いたであろうビラが差されており,入り口ではこたつに入って寝ている人がいた.入り口でヒッチレースに参加する旨寮生の方に伝え,そこでしばらく待機する.

 日付が変わり午前0時になった.寮の入り口に寮生が密集し始める.適宜集まったところで,シュプレヒコールが上がり始める.「寮祭貫徹,自治領防衛,在期粉砕,闘争勝利」というのを何度も繰り返し大声で叫ぶのが流儀である.熊野寮での「権力」粉砕とは一句だけ違う.それにしても,「在期」とはいかなる意味であろうか.このシュプレヒコールが終わった後も,「わーい,わーい,楽しいな,吉田寮祭,吉田寮祭」という吉田寮祭の歌がどこかしらから自然発生的に歌われ始める.この歌がちょうど歌い終わったあたりで,「ヒッチレース参加者はこちら」と声がかかり,食堂に入る.

 40人の参加者と12人のドライバー,そして大勢のギャラリーが集ってきたところで簡単な説明会が開かれる.参加者は何も吉田寮生に限らず,京大以外の学生(阪大や神大など)もみられる.ここでは,簡単なルール説明に始まり,ドライバーを決めるくじ引きやガソリン代を賄うためのカンパまで行われた.参加者が4人,ドライバーが2人そろったところで,車まで歩いていよいよ出発と相成った.

 ドライバーの後ろでは簡単な自己紹介が行われる.足もとからは以下にもバイパスらしい走りの音が聞こえてくる.その瞬間,ここが湖西道路であることを確信した.国道1,9,171号線はそういう道路ではないからだ.目をつむって1時間ほど寝ていたが,ブレーキがかかったところで目を覚ますと,目の前に3か月前に泊まった快活CLUBが現れた.見た瞬間に鯖江であることを悟り,心の中がムンクのような顔になった.

 そこからしばらくして,再び車の速さがやけに早くなる.どうやら永平寺勝山道路に入った模様だ.うねうねとした山道のところから現れたのは,恐竜のオブジェである.時計は朝3時半を示している.まさかのここで1名が下車となった.ドライバー曰く「この人が最速での下車」とのことである.外の空気はやけに冷え込んでおり,半袖では到底耐えられないものであった.彼はどのように帰ってきたのだろうか.ここから油坂を越え飛騨の山村,荘川や明宝などで放り出されてしまうことがいやでも想起された.

 月の光が左の窓から否応なく差し込んでくる.山を穿つ隧道の中を高速で走り抜けていく.先ほどの情報と照合するに,国道157号線を白峰村のほうに向かって進んでいるのであろう.少なくとも酷道418号線の大日峠ではあるまいと考えていたが,その予感は見事に的中していた.白峰や吉野といった手取川上流の素朴な山村に,雲が悠々と流れており,手取川ダムの水面は静かに揺れている.この山で降ろされないかと震えていたものの,進行方向に2か月前に訪問した道の駅「しらやまさん」が見えて安堵した.鶴来のあたりで手取川の扇状地が開け、朝日が否応なく右の窓から差し込む.進行方向的には寺井や小松に進むのはないだろうから,このまま山環に進んで,森本からは石動か福光に進むものだと思われた.交通機関の不便な山奥で降ろされてしまったらどうしようかと動揺が広がる.

 ここで一睡し,次に目が覚めると,横から「ここ北陸やん,終わったわ」という声が聞こえてきた.ドラッグストアの看板を見た感想である.ほかにも,コンビニが二重窓になっていたり,明らかに雪国の街並みが見えたことで,明らかに車内のムードが暗くなる.そこからしばらく,国道8号線を東に進み,滑川の市街に入っていた.ホタルイカミュージアムの前で1人下車となった.静かに揺れる日本海をドライバーとともにゆっくり眺めたあとは,水橋,岩瀬と富山湾沿いに形成された漁村の中を進んでいく.やけに道が狭く,朝ラッシュとも重なりスピードが低下した.新湊大橋を渡った時には,その上から見える富山新港の工業地帯の風景に皆が息を呑んだ.さらに雨晴海岸へと進み,さらに1人が下車.朝の日差しのもと,砂浜の上から氷見の街を見渡すことができた.車内に残るは,ドライバーのほか私1人となった.

 ちょうど奇岩の奥に立山連峰を望むところで,氷見線のたらこ色の汽車がやってきた.来た道を戻り南に進む.ここで三度寝ていると,再び起きた時には朝日町であった.越中宮崎,市振と懐かしい駅を過ぎ,左手奥に日本海を再度望むようになると,親不知の峻険な絶壁沿いの道に差し掛かっていた.最終的には,洞門を幾度も通り過ぎていき,日本海に突き出た北陸道のトンネルや青海のセメント工場を経て,フォッサマグナミュージアムの駐車場で車を降りることになった.

糸魚川からの帰還

 フォッサマグナミュージアムを後にして,蓮台寺PAへと向かった.紙に書くべきは,富山方面「越中境PA」か,上越方面「名立谷浜SA」か.前者なら最短で帰洛でき,小矢部砺波JCTから東海北陸道に折れることもできる.後者なら迂回ルートになるものの,さらに妙高SAか小布施PAあたりで関西方面を狙えばなんとかなる,と逡巡した.しかし,後者の場合,流動を考えると,関西や東海から新潟・東北へは別ルート(北関東道,圏央道など)の可能性が高く,時間がかかってしまう.そう考え,上りのPAのゲートをくぐった.その先では,コンビニと小さなレストランがある,素朴な感じの建物が待っていた.

 ひとまずどうしようかと考えて私は,PAを後にしようとするドライバーの方々に向けて,寮祭企画の趣旨と,乗せていただきたい旨の2点を仔細に伝えることにした.紙には「富山・金沢・飛騨方面」と書いていた.しかし,何台も断られてしまう.相手の善意に甘えさせていただくことは,そう甘い話ではないのである.ただ,「そこまでは行かない」という返事が返ってくることもあった.そこで,「越中境PAまででも良いので……」と頭を下げることにした.すると,その尋ねた方の車に乗せていただくことができた.

 最初に乗せていただいた方は,富山県東部の在住で,これから帰る所であった.PAを出て本線に合流すると,車窓には一瞬だけ糸魚川の市街が見えた後は長大トンネルのオンパレードとなった.この方にこの企画の趣旨を聞かれ,答えたものの,「名古屋の大学生が京大のイベントに参加し,ヒッチハイクしている」という状況に戸惑いを隠せない様子であった.一瞬のうちに親不知を越え,富山県に戻ってしまった.越中境の駐車場では20分ほど聞き込みを行ったのち,夫婦の方に載せていただくことができた.

 続いて乗せていただいた方は,富山県内を観光している方で,ホタルイカミュージアムを見学したのち宇奈月温泉に宿泊されるとのことであった.しかし,前方ではgoogle mapを見ながら,どのICで降りるべきか,という話題をしている.ひとまず,停まっている車が多そうだということから,有磯海SAまで,とお願いしてみたが,どうやらgoogle mapは黒部ICでの下車を指示しているらしく,ここまで来たのに乗れない可能性が出てきた.それを察し,「入善PAまででもいいので……」と伝えたところ,乗せていただくことができた.ヒスイ海岸の車窓が次第に遠ざかり,黒部川の扇状地の田園地帯が一気に開ける.4月中旬はここのあたりで「四重奏」がみられるので,この時期に一度は訪ねてみたいものである.

 入善PAはトイレしか設備がない.有磯海か越中境かで休憩する人が多いようで,車も少なく,ここに入った時には後悔しかしなかった.ここの駐車場でも改めて聞き込みをする.停車している車は2台しかなく,片方はトラック,もう片方は乗用車である.なんという奇跡だろうか,乗用車のほうに載せていただくことが決まったのは,入善に着いてたった5分後のことである.しかも,「岸和田に行く」とのことで,一気に関西まで行けることになってしまった.

 3台目の方は,おそらく在日ブラジル人の方であろう.乗って早々,ポルトガル語の音楽が流れてきたり,同僚か誰かに電話を掛けたりしていた.「京都と大阪,道が違う」と言われたので,ひとまずどこまで乗せていただくか考えてみる.草津なら新名神が合流した後に存在するゆえに停車台数こそ多いが,京都行きが捕まるかは何とも言えない.対して,菩提寺や黒丸,秦荘なら京都行きも多少は停まっているかもしれない.車は黒部川を渡り北陸新幹線の黒部宇奈月温泉駅の横を通り過ぎ,そのまま呉東の河岸段丘を行く.途中,立山ICで道路工事があったようで,運転手の方はどこか戸惑ったような様子であった.そのまま次の流杉ICで北陸道へと再流入し,再び西に進む.神通川を渡河する地点では,南側に富山空港があるがゆえに「航空機に注意」という看板が見えた.車の前方からは,相変わらずポルトガル語の音楽が聞こえてくる.庄川を渡り,砺波平野の散居村が開けるあたりで心地よすぎて入眠してしまう.

 再び目が覚めた時には,石川県どころか福井県も間もなく終わろうかというところであった.南条SAが目の前に映っていた.ここからは旧北陸本線を活用したルートで木の芽峠を越えていく.途中,杉津あたりで「北陸線一番の車窓」とまで謳われていた敦賀湾の美しい車窓が右手にかすかに映る.なにごともなく敦賀を越えても,谷間の道路はまだ続く.木之本からはいよいよ湖東の平野が開け,伊吹の山を見渡すようになった.ついに待ち焦がれていた関西である.長浜,彦根,八日市と滋賀県の町を名古屋~京都の高速バスのように次々飛ばしていく.途中PAが見えるたびに,どこで降りるかと聞かれた.草津JCTを過ぎたあたりで,「ここでお願いします」と伝え下車する.

 草津PAは,名神・新名神・第二京阪の交わる要衝である.そういうこともあり,家族連れの方の大きな車が目立って停車している.PA内の土産売り場も東海・関西が交わる十字路だし,車のナンバーも関西を中心にさまざまだ.しかし,関心ごとと言えば,「京都市内に入れるか」に尽きるので,そちらに行けそうな車を探す.4台目の車は,15分後になって見つけることができた.カップルでここまで運転して来られた,群馬県の方であった.曰く,第二京阪に逸れるとのことだが,「面白そうだから乗せてみた」とおっっしゃっていたので乗ることにする.車は瀬田東JCTより京都から遠ざかっていき,瀬田川の流れに沿って南西に向かう.途中,大学名や吉田寮祭の内容を聞かれつつ,笠取より長大トンネルを突っ切り,宇治,久御山と通る.久御山JCTでさらに南に向かい,物流・工業団地を突っ切るように走る.新興住宅地のマンションが連続するようになると,京田辺PAである.非常に小さなこのPAに,京都駅からやってきたバスの姿も見られた.

 PAを下りから上りに渡ったのは,西日のまぶしい18時半のことであった.ここで車が見つからなければ歩いて上洛しようと決めつつ,京都市街へと向かいそうな車がないか,聞き込み調査を始める.草津と違って,「京都か滋賀か」に行き先が絞られるのが良い.運がよいことに,最後の5台目は,1発で見つけることができた.運転手は京都市内在住の若い男性の方であった.彼も「はじめてヒッチハイカーを乗せた」とのことであるが,ここまでと違ったのは人生の価値観について議論できたことである.「京都でデートするなら,あまりにも有名で常に大混雑な観光地よりも,知名度こそ低いが歴史があって静謐な寺院が良い」という話に共感していただけたのは,これが初めてである.車は先ほどの道を逆走していき,第二京阪を鴨川東で下車.以降は川端通に沿って北上していく.鴨川に沿って,憩う男女の姿があった.七条,五条,四条と数字が若くなっていく.最終的に吉田寮の前に戻ってきたのは19時半であり,参加者40人中3番目での到着であった.

土産話会

 前述したとおり,この企画の本懐は,旅程が土産話となる所である.今回は,「5浪して京大に入った人」「36歳女性の参加者」,「他大学でサークル内の罰ゲームで負けたがゆえに参加した人」などがいてバックグラウンドも多様である.思い出話も,「離島に飛ばされ地元企業のバイトでフェリー台を稼いだ人」「一発で京都まで連れて行ってくれる車を見つけたが,その運転手がホストであったために1日だけホストを体験した人」「地名がわからずに街に行ってくれる運転手を逃した人」「温泉地に飛ばされ,日帰り入浴を行ったら,そこの女将さんが京都に帰る人と交渉し,見事乗せていただけた」「たまたま地元で開催されていた花火大会を見れた人」の話などがあった.こういった話を4時間ほど聞き続けても,全員が全く違う旅路を歩んでおり,聞き飽きないものである.

ヒッチレースのコツ

  1. 主要地名・SA/PAに詳しくなること.

  2. 無闇に高速道路を降りないこと.

  3. 「乗せていただけそうな方/場所」を見極めること.

  4. 乗せていただける人が見つかるまでは,あきらめずに声を掛けること.


この記事が参加している募集

#わたしの旅行記

2,359件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?