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京大熊野寮「エクストリーム帰寮」参戦記

※この記事は,エクストリーム帰寮アドベントカレンダー2023の25日目の記事です.(※遅刻してすみません)

ファミマと連帯

名古屋から高速バスと京阪電車を乗り継ぎ2時間半,神宮丸太町駅に降り立った.東に数分歩くと,突如としてタテカンがにょきにょきと生えている壁がそそり立っていた.そして,庭にこたつを出してスクリーン上に移された映画を鑑賞する人,友人と談笑する人を見かけた.京大熊野寮である.

熊野寮

寮内に入ると奥からなにやらにぎやかな声がした.折田先生像(過去作)の脇を進み食堂に入った.畳の上を見渡すと地図を広げて何やら談笑しているグループが.奥の方で皿をとり,鍋を入れ,このグループに混ざった.青ヶ島や清水峠の話,京都市の都市計画の話などを聞くことができた.しばらくすると,寮祭実行委員の方がカンパの箱を持ってやってきた.「ファミマと連帯やります」とのことで段ボール箱を差し出した.私もいくらかのポケットマネーを差し出し参加した.

門の外へ出て「寮祭貫徹」「自治寮防衛」「権力粉砕」などとシュプレヒコールをあげつつ丸太町通を東に進みファミマに入った.そして各自カゴをもって狂ったように商品を買いあさった.自腹ではYoutuberくらいしかやらないだろう.気がつくとおにぎりからポテトチップスまであらゆる商品がカゴを埋め尽くし満杯にしていた.カゴの数は10ほどにもなっていた.ファミマの前では入店BGMをかけながら巨大な旗を振り回している寮生がいた.

寮に戻ると豪勢なパーティーが開かれた.ファミマで買ってきた商品(総額14万円分)を畳の上に広げ,周囲に目当ての商品をとりたい人がかるた取りのように集まってきた.

ファミマの商品14万円分

エクストリーム帰寮

京大生としゃべっていると,時刻は午前2時前になっていた.いわゆる「丑三つ時」である.食パンを1斤渡され,裏庭に停めてある車に何人か詰め込まれ東に攫われた.いつの間にか蹴上,山科と進み,国道1号に入り,やがて滋賀県へ.膳所のあたりでしばらく車が逡巡するも,少し眠っていると国道422号線の看板が見えてきた.そのころ車内の前方では50kmコースの学生が熟睡している一方,後方では42.195kmコースの2名の学生が談笑し意気投合していた.さらに,ドライバーの方がエクストリーム帰寮の創設者であったため,誕生秘話やインドでの限界旅行などのお話を聞くことができた.

「休憩」と称してドアが解放されたときには「甲賀・伊賀越え」の幟が立っていた.50kmコースの学生が信楽の山道で下車となった.

朝宮の交差点から西に入り,いったんは和束に入り,茶畑が見えるようになった.この辺で下車と予想していたが,湯船から北に峠を越え,さらには滋賀県に逆戻りし和束との境界付近のゴルフ場にて下車となった.時刻は午前3時半,標高の高さと相まって空気が清冽としていた.気温は-1℃とのことであった.気温を示す標識の奥に青看が確認できた.「枚方」や「京田辺」の文字が確認できたので,そちらの方に自信満々に進んだ.

最初は意気揚々と歩いており,トンネルを越えて宇治田原町に入ってもまだまだぴんぴんとしていた.コミュニティバスのバス停が目に入り,時刻表や路線図の確認をとる.とりあえず国道を西進すれば間違いないとのお墨付きが得られたので,その通りにする.そのうえ,この先町の中心部はおろか宇治川沿いまでの地図が掲載されていた.

しばらく歩いていくうちに町の中心部に出ることができた.道中ではお茶関連の幟が目立ち,お茶ソフトを扱う店まであった.また日中に訪れたいものである.コンビニがあったのでトイレを拝借させていただき地図の立ち読みを行った.

宇治田原

宇治田原からは山道を北進し宇治川ラインまで進んだ.ここのあたりは以前通ったことのある道である.山並みはまだ緑であり,川の水面は碧水を浮かべていた.道端には散った楓の葉が丘のように積もっていた.

そうこうしているうちに平等院の前に到着した.時刻は朝の8時半であったが,体感では昼過ぎであった.紫式部の銅像の近くに腰を掛けて例の食パンをまたほおばった.給水機の水を山ほど飲んだ.その先の宇治の市街地はいかにもなロードサイドであった.狭い府道に沿ってチェーン店や住宅が立ち並び,ちょくちょく学校もみられた.

宇治川のほとりにて

伏見に着くころには陽が高く昇っていた.観月橋の交差点に差し掛かるころには大腿の筋肉が強張りだした.足の裏や脛のあたりはいうまでもない.御香宮の前を車やバスがひっきりなしに通っている.奈良線の線路に合わせて←にカーブしては右に戻る.左方には京阪・近鉄の丹波橋駅があるが,JRにはなぜかない.住所が墨染に変わったころ,一路直進し伏見街道に入る.

路地に入るといかにも古くからある感じの情景になった.道の両側に個人商店や一軒家が立ち並ぶようになった.名神高速をまたいですぐ,途中の藤森あたりでは商店街となりいかにもな幟が立っていた.

奈良線の線路をまたいだ.六地蔵駅以来の再会である.踏切の先,旧東海道本線のランプの先では,伏見稲荷大社に参拝する観光客・修学旅行生向けの飲食店が軒を連ねていた.抹茶のスイーツやなにやらをほおばる旅行者が目立った.もちろん彼らがこの手の旅行を好まないのは重々承知していながらもなんだか

東福寺駅からはついに鴨川の岸辺を通る区間になる.JR奈良線,琵琶湖線,と丸太町通りへのカウントダウンが始まったが,まだまだ距離は長く感じられた.途中では,道端のベンチが見つかるたびに腰を掛けてはパンを口に含んだ.今度のダイヤ改正で日中には上洛しなくなるはくと号が橋を渡っていた.白鷺が川に入り,小さな子どもが道端で走り回っていた.中学生くらいの男子はスケボーをしていた.天然物の「ヨーロッパ諸国の都市にありがちなオープンスペース」ではないか.

三条大橋

神宮丸太町駅のサインが見えたときには1時半になっていた.そして,寮に戻り,ソファに座ったまま4時間ほど仮眠をとった.横には帰寮者が何人か倒れこんでいた.仮眠から目を覚ました時には空がほのかに暗くなり出し,焼いた食パンを口にしていた.クスノキと時計台の広場さえも遥か遠くに映った.

この日もコンパに参加した.左翼活動家からノンポリの学生,さらには京大志望の高校生まで,さまざまな立場の人が談笑していた.

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