早慶レベルに受かるには-予備校と独学の関係-

慶應義塾大学、早稲田大学。早慶と言われるこの私学の雄は言うまでもなく、ごく一握りしか受からない。(早稲田などのマンモス大学では合格者の数もまた多い為、さらには、今は情報が氾濫しているが為、いかにも周囲が合格者だらけのように「錯覚」してしまうが無論それは錯覚である。)

「そんな事は鹿爪らしくお前に指摘されるまでもない!言うまでもない事だ。」
諸君はそう思うであろう。しかし、このともすれば忘れられがちな明々白々な事実を冒頭に述べておく事を私は余計だとは思わない。以下、その理由について述べていく。
以下は塾や予備校への非難でもなければ、そこに従事している諸先生方への敬意を欠いたものでもない。あくまで、私の経験に起因する私見に過ぎない。

 基本的に自分は参考書至上主義である。基本的、と付したのは西きょうじ先生の京大英作文は唯一有益であったからである。
世間的に自分は少数派だと思う。統計をとったわけではないが、勤務していた進学校状況から推論的に帰納すると、7割くらいの方が予備校を利用しているからである。
 自分について言えば、予備校の自習室を利用する目的で代ゼミの単科講座を曜日がばらけるように取った。「取った以上、授業くらいはでるか。」と最初こそ思ったがすぐに受講をやめた。"講義をきいていたら落ちる!"そんな"危機感"を覚えたからだ。理由は「遅い。」これだけである。自分でやった方が20倍ははやく、また効率的にできると確信したのだ。
 講座のレベルが低かったわけではない。代ゼミの英語で最もスピードが速いと言われる富田氏のハイレベル読解などである。それでも全然遅いのである。
私が特別に利発だったわけではないであろう。自分は冗談抜きでゼロからやりはじめたのだから。(英語は速読英単語入門編から始めた。)

 繰り返すが、私は予備校を否定したいのではない。「塾や予備校の講座を受講するという行為に潜む"心理"に特段の注意をするべきである」というのが眼目である。
"心理"とは何か。それは、「正常化バイアス」である。予備校、特に大手のそれには「必勝!早稲田大学特講‼︎」「ハイレベル慶應英語!」「徹底解析、慶應小論文!未知から既知へ。」「知の泉。早稲田現代文必勝ストラテジー」「スペシャル東大英語」「徹底解析、最難関大学古文」等々、受験生の焦りや願望を刺激する魅力的な講座名がズラリと並んでいるだろう。カリキュラムが設定されておらず、受講したければ好きな講座を好きなだけ受講できる単科ゼミを取ることのできる代ゼミ生であれば、どれを取ろうか目を輝かせているかもしれない。そしてきっと、金銭が許すならば、できるだけ沢山受講したいと思う者も少なくはないだろう。
 ここに先の正常化バイアスがはたらく。沢山とることではない。繰り返すが、かかる魅惑的な講座を取るという「行為そのもの」である。
 こうした講座を取る。すると、受験生心理としてはなんだか「早稲田、慶應が近づいた"ような"気持ち」になる。安くないお金をだし、授業を受けるにあたっては、予習をし、一流と喧伝されている講義を傾聴し、その後はしっかり復習するのだから当然の心理であろうという反駁があるかもしれない。
しかし、これは非常に危ういと考えている。合理的な学習を確立した自習者にはスピードにおいて絶対にかなわないと確信するからである。どうしたって早さが段違いであるのはYouTubeをみていても明らかだ。
「しかし、早慶クラスなら。」また半畳を入れたくなるかもしれない。だが、自分も高校教師ゆえわかるが、集団授業では早慶だろうと東大だろうと基礎を前提として講義せざるを得ない。そもそも応用を前提した座学などは、それが講習という名の座学においては不可能なのである。それは各人がアウトプットのなかで試行錯誤していかなければならぬフェーズである。

 なんであれ、講座を取る場合は目的と手段を間違えてはならない。「間違えるわけない」と思いながら間違えてしまう陥穽に非常に多くの人がはまっている。予習→傾聴→復習のサイクルで学習に満足してしまうからだ。なまじこのサイクルが大変なだけに厄介である。しかし、どんなに大変でも予備校生は、自学を一義、講義を副次と認識しなければ合格はあり得ないであろう。比率で言えば、予備校生"だからこそ"自学が7、講義が3くらいである必要があると考えている。繰り返すが、自学の方が圧倒的に速いのであるから、実は予備校生は自学生より多くの学習時間を確保する必要があるという次第である。
 先日述べたように予備校講師こそプロであると思っている。授業が格段に上手い。しかし、皮肉なことに、この格段の上手さが大多数の受講生をして蜃気楼の学力に浸らさしめてしまう。実に残酷である。

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