三題噺2 【永遠に、永遠に】

【ジャム、海、メモ帳】
『いきあたりばったり』掲載作品です。
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朝、目が覚めるとイチゴの香りが鼻をかすめた。
外はもう明るくて、鳥たちの会話も落ち着きを見せ始める時間。
ベッドから起き上がった私は、うさぎのスリッパをはいて、リビングへと向かった。
「おはよう。よく眠れた?」
いつものように私が起きるタイミングに合わせて焼きたてのパンとおいしそうなイチゴジャムがテーブルに並べられていた。
「ありがとう。今日もいい天気のようね。何か予定は入ってる?」
部屋を出て行って私の予定を確かめに行ってくれる。
彼は人間ではない。だけれども人間である。
名前はつけていないし、二人しかいないのだから名前がなくても会話は成立する。二人称とはなんて便利なものなんだろう。
同じように私も人間であって人間ではない。
彼が来るまでは、森の奥で一人だった。


彼がやってきたのは雨の降る朝だった。
ひさしぶりに「朝」といわれるような時間帯に起きた。
しとしとと降っている雨を横目に見て、気分がよかったのでお気に入りのイチゴのジャムを使おうと思って戸棚を開けた。
そしたら、いた。
そこからそいつはそこに住み着くようになって。
戸棚を開けたらいつもそこにいて。
感情のない目でこちらを見上げて。
ほおっておけなくなるの、わかるでしょう?
私も化け物だから、同情してしまった。
「…………そのままか、使われるか。選びなさい。」
そいつは少し目を見開いて、でも確かにつぶやいた。
「…………使われる。」
そこから、今の生活が始まった。


パンを食べ終わった後、彼が戻ってきた。
私のメモ帳を探すのに手間取ってしまったのだろう。
「ごめん。遅くなって。今日の予定は『海に行く』」
そうだった。今日は海のものを取りに行く日だった。
海のシーズンではないから人はそんなにいないだろう。
「ありがとう。それじゃあ行ってくる。夜には戻るから。」
「僕も行きたい。」
唐突だった。だからすぐに返事が出来なかった。
行きたい?外に出たいってこと?
今まで言わなかったのに?
どういう心境の変化なの?
頭の中の疑問は消えなかったが断る理由がない。
「…好きにしなさい。五分後に出るから。」
初めての外はどうだったのか、結局聞けないまま、海についた。
人はいない。二人だけで、会話もない。
「私はこのあたりをうろうろしているから。何かあったら呼びなさい。ただ、人に見られないようにしてね。」
「わかった。」
海の塩や、貝殻は私にとって重要な材料になる。取れるときに取っておかなくてはいけない。
独りで黙々と作業を進めた。
そうしているうちに日は傾き始めて。
空が紅くなってきたのでもう帰ろうと声をかけようとした。
でも。
海をただひたすら見続けて。
飽きたりもしないで。
ただただ見つめて。
その横顔を見ていたら。
声が出なくなった。
波の音。
かすかな吐息。
開いたままの目。
全てに、一瞬引き込まれた。
彼に、惹きこまれた。
「海って、なんなんだろう。」
彼が小さく呟く。
その目にきっと海は映っていない。
「あなたの目の前にあるものが、『海』と呼ばれているもの。大きな、水の集まり。そして、いろんなものを飲み込んで、抱いて、温めて、自分のものにしてしまうの。」
私は何を言っているのだろう。
でも、彼はわかったようなそうでないような顔をした。
彼も飲み込まれそうで、怖かった。
「帰ろう。」
「うん。」
失うのが怖くて。
私は、独りになる勇気もなくて。
彼を海から遠ざけてもきっといつかは……。
そのいつかが来るまでは。
せめて、その時までは。


二人だけ
森の奥地
日の光
さす朝に舞う
永遠に永遠にと

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