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僕のなでしこ


十数年来の製図のお仕事を辞めて、
3ヶ月両親に甘えた日々をおくり、
その後の3ヶ月ものびのびと学校に通い、
花屋に就職した。


ずっと花の仕事をするのが夢だった。


花の仕事をしたいと思うなんて、
なんて女性らしくて、可憐なんだろうと
思われそうだけれど、
全然そんなことはなく、
私は元々ものすごく花が好きだったわけでは
ない。
小さい頃から、樹木は好きで、
よく日向ぼっこしていたけれど。


花を仕事にしたいと思ったのはいつからだっただろう。。

ちょっと深く潜って

思い出してみよう。

ぶくぶく......




進学校で見事に落ちこぼれた私は、
そのまま強すぎる自我をこじらせて、
母を悩ませた。

生まれつきの性分なのか、
感受性が強すぎる私は
些細なことに深く傷つき、
すぐに自分を閉ざす傾向にあった。


100%理解してくれないなら、
何にも話したくないって
本気で思っていたりして。。


0か100、
白か黒、しかなかった。
間をとる、
グレーでもいい、
いやいや、
グラデーションもありだぞ。
そんなアイディアや選択肢が全くなかった。
あったとしても、受け付けなかった。
苦しかった。


もっと楽しめたはずなのに、
苦々しい思春期を誰のせいでもなく、
自分自身の劣等感と
強い感受性に振り回されながら、
絶望感と共に過ごした。


上品で頭のいいクラスメイト達は
わざわざ人をいじめたりしないし、
それが無意味と分かっているから
自己研鑽にひたすら励む。

なんとなくの疎外感が
ずっとずっとあって、
それがまた私の被害妄想と劣等感を煽った。



元来、人の影響を全く受けない、
いわゆる陽キャな母にとって
「私」という存在は
理解不能だったみたい。

母に悩みを打ち明けても
本当に全くこれっぽっちも
共感してくれない。
望む言葉をもらえなくて
悲しくて泣く。
もういい。
何も話さない。
そう思っても、
他の人に心を開けないから、
忘れた頃に、ついつい話してしまう。

そして、やっぱり分かってくれなくて、
苦しくて泣く。
嫌い。
拗ねる。
寂しくなって、
都合よく甘える。
また、分かってもらえなくて泣く。
その繰り返し。


人の気持ちが分からない、
ひどい母親のように書いてしまったけど、
そんなことは全くない。

母より優しい人は
この世にいないんじゃないかな。



母は見返りを求めない。
真っ直ぐ愛し、
惜しみなく与え、
手放す。
それが出来る、強いひと。
お日様のようなひと。



私の一番近くにいて、
私の感受性を理解出来ないことに
母は戸惑いながらも
真剣に向き合ってくれた。
一緒に傷ついてくれた。

私を最も理解出来ない人でありながら、
私を理解しようと世界一努めてくれたのも
母なのだ。


辛い高校生活から離れたくて、
誰も私を知らない土地に行きたくて、
大学は東京に出た。
おじいちゃんが埼玉に住んでいて、
「おいで」と言ってくれた。

おじいちゃんは
母をそのまま男にしたようなひとで、
それに輪をかけて愛情深いひとだった。

兄の就職が決まった日に
庭に鶯が飛んできて
見事に鳴いたんだよって
何度も何度も同じ話をしたりして。
話相手を呆れさせてしまう。

愛しすぎて
尽くしすぎて
ウザがられるタイプの
愛が空回り気味のひと。


母よりも人の気持ちの機微に敏感で、
入学式が近づくにつれて
元気がなくなっていく私を
とてもとても心配していた。
らしい。。

私には言わなかったけど。


私の父は放任主義だったので、
男親にあたる役割の人に
過干渉を受けたことがない私には
おじいちゃんの愛情表現は
衝撃だった。
カルチャーショックだった。
受け容れてくれた恩を忘れて
かなりの拒否反応を起こし、
気管支炎になってしまったくらい。。


おじいちゃんはもっと孫と
楽しくて、
甘い同居を望んでいたと思う。
あんなに愛情深いひとなのに、
おじいちゃんとおばあちゃんに
お世話になっているにもかかわらず、
私は数少ない
気の合う、
心の優しい友達と
心休まる大学生活を
私なりに満喫し、
2人の待つおうちに帰ると、
自室からあまり出ていかなかった。

お茶したり、
ご飯食べたり、
笑い合ったり、
きっと、もっとしたかったよね。。


そんなおじいちゃんは花が好きで、
おじいちゃんの庭は
本当に樹木も花もいっぱいで
手入れも行き届いていて、
季節に合わせた花がいつも
咲き乱れていた。

おじいちゃんの豊かな愛情を
そのまま形にしたような
とても綺麗な庭だった。

5月に石楠花が咲くと、
もう見たからいいよって言ってるのに、
何度も何度も呼ばれて、
石楠花が咲いたんだ、
綺麗だろうって
ちゃんと見に来るまで言われた。
あの時の子どもみたいな笑顔が
いつまでも忘れられない。

いや、忘れてたけど。
今も思い出せる。

ふふふ。




ある時、一緒に庭に出て
おじいちゃんはなんの花が好きなの?
と聞いてみた。
今度の誕生日に買ってあげようって
珍しく殊勝なことを思って。

おじいちゃんは考え込んで
すぐそばで咲き誇る薔薇を
ついさっきまで自慢してたくせに、
薔薇は好きじゃない。
なんて言い出した。

なかなか出てこないから、
話題に飽きて、部屋に帰ろうとした時に
ポツリと、
「じいちゃんは撫子とか好きだ」って
呟いた。

撫子。
なでしこ
なでしこかぁ。。
大和撫子ってやつ?
随分と古風な。
楚々と咲く花が好きなのね。
日本男児ですねぇって
ちょっと皮肉混じりに思った。

ひどい孫だ。


おじいちゃんとの同居生活は
長く続かなかった。
大学2年の夏前くらいに
おじいちゃんは体調を崩した。

大学から帰って、
顔面蒼白なおじいちゃんを
薄情な私もさすがに心配した。

おじいちゃんは間も無く入院して、
介護が必要な状態になり、
老人ホームに入った。

老人ホームに入ってから、
最初は会いに行ったけど、
段々と会いに行く頻度は下がった。
もっともっと
会いに来て欲しかったに
違いないのに。

おじいちゃんはホームにいながら、
入退院を繰り返すようになり、
段々と認知症を患うようになった。
私はお見舞いに行くと、
知らないひとの名前で呼ばれるようになった。
あんなにウザがってたくせに、
私の名前を呼んでくれなくなって、
なんだか悲しかった。

身勝手な話。



おじいちゃんの誕生日が近づき、
お見舞いに行く前に、
ふと、
撫子を買ってあげる約束を思い出した。
花屋に行ってみたものの、
そんなに都合よく撫子はなかった。

仕方がないから
折り紙で撫子を切り絵にして
誕生日カードを作った。

おじいちゃんは認知症の中でも、
覚醒する日があって
その日はハッキリ私を認識してくれた。
嘘ものの撫子を何度も何度も
指差して
出てこない言葉を探して
目をキラキラ輝かせて
喜びを表現してくれた。

帰り道、
なみだが
ポロポロ流れた。


おじいちゃんは
夏生まれなのに
夏が苦手だった。
夏になって、
また体調を崩して
そのまま亡くなった。

まだ峠じゃないから
来なくていいと
言われたのに、
なぜか胸騒ぎがして
会いに行ったら、
2時間後くらいに
静かに亡くなった。


おじいちゃんの手を握っていて、
一番近くにいた。
死んでいくってこういうことなんだって
見せてもらってるような。。
心臓は動かなくなっても
温もりが今もあって
まだそばにいて
私を
家族を
見ている気配が
ずっとずっと残っていて。。


遠くから駆けつけることが出来なくて、
夜行バスで泣いてる母の分も、
繰り返し
繰り返し
愛してるって
魂で言われた。



見返りを求めない、
本当の愛。。
苦しくて
しあわせで
息が出来なくなりそうな
受け取りきれない
大き過ぎる愛。。


私の感受性がピークの頃だったからなのか、
あんなに薄情だったくせに、
あんなに薄情だったからか、
無償の愛をずっと与え続けてくれた
おじいちゃんの死は
受け入れられないくらい
悲しかった。


葬儀の前々日に
大学の一番近くの花屋で
園芸用の撫子が売っていた。
少しだったけど、
おじいちゃんの棺に
おじいちゃんの一番近くに添えた。

生前にプレゼントしてあげられなくて、
ごめんね。。




なんの話していたんだっけ。。

深く潜りすぎた。




花を仕事にしたいと思ったのはいつからだっただろう。

これだ。


たぶん、
就職活動中の自己分析の一貫で受けた
「職業適性診断」がきっかけ。

だったかな。。

自分と似た感受性を持つ人の心に
寄り添いたいと思って
心理学を学び始めたのに、
自分と相手の悩みの線引きを出来る自信が
全く生まれなかった。


適正はなくはないと言われたけど、
人の心を救えるほど強くなかったその頃の私は
心理学、心理カウンセラーの道から
早々に逃げ出し、
社会学や社会心理学に興味をシフトさせた。
だけど、その方面って
なかなか就職に結びつかない。。
マスコミに行けるほど、
頭も良くないし。。

何がやりたいのか
全然分からなくなっていた。

その頃、
私は美容師の卵に片想いしていて、
思いっきり彼の影響を一方的に受け、
何か手に職を持ちたいと思っていた。

浅はかすぎる。
痛すぎる。
恥ずかしい。

見事なまでに片想いで終わったけど。。
へへへ。



手に職を持ちたい願望強めの私が受けた
「職業適性診断」の上位だったのが、


CADオペレーター
フローリスト


なんかクリエイティブで楽しそう。
という理由で
フローリスト(花屋)に
より強く惹かれた私だけど、
何社か受けた大手花屋は

見事に落ちました。。

ふふ。


そして、何にも出来ない私を
正社員で雇ってくれた建築事務所で
CADオペレーターとして
働き始めた。

本当に何も出来なくて。

先輩たちから
「なんの役にも立ってない」って
ハッキリいわれたくらい。。

がーん。。。

まぁ。その話は今は割愛。



事務所の所長は
おじいちゃんと同じくらい
庭の花木が大好きな人で、
事務所の先輩には
花を教えている人がいて。。
一人暮らしを始めた大家さんが
活花の先生で。。
父方のおばあちゃんも花が大好きで、
手入れの行き届いた
ささやかだけど、瑞々しい庭で
まるで妖精のように
微笑んでいたっけ。




私の周りには常にお花が好きな人がいた。
彼らの熱がいつしか私に移っていった。
花が好きになった。

お花は生涯の趣味にしよう。

そう思って、大家さんから活花を習い始めた。

先生は教えるのが上手くて、
花を愛でる心を
教えてくれた。。

なにより

花は宿題がないところが!

良い!!

(いや、本当は自主練した方がいいけど。。)

いつかやっぱりお花の仕事がしたい!

そう思うようになっていった。

心理カウンセラーの道から
逃げ出した私だけど、
花を通してなら、
人の心に触れられる。
悲しみや喜びに
寄り添える。

午後の一杯の紅茶のように
ささやかな、
ほんのひと時の時間だけ

誰かの心を軽くしたい。

花でなくても良いんだけど、
でも、花がいい。


花に触れている時、
私は死者とも繋がれる。

私に愛を教えてくれたひと。
大和撫子は女性とは限らない。
私の、なでしこ。

私の撫子はおじいちゃん、です。

今日は命日なのでした。
ナムナム。



私のお花との馴れ初めでした。

花屋遍歴はまた、いつか。

Thank you.


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