青和(はるちか)

生き場所、死に場所、あらまほし。 感情と論理性の狭間で、矛盾を愛したい。 猫好き。ドス…

青和(はるちか)

生き場所、死に場所、あらまほし。 感情と論理性の狭間で、矛盾を愛したい。 猫好き。ドストエフスキー好き。noteは思考の垂れ流し。自称「負のINFJ(Feを憎む)」 性格診断はINFJ-T/5w4/LIIなど。

マガジン

最近の記事

私を覆う絶望の皮が莞爾とした笑みを浮かべる。その様を私は月の下からせせら笑う。

    • 「成熟」という言葉が嫌いだ。

         私は成熟という言葉が嫌いだ。  毎日のように私は変化を遂げている。  一つ新しいことを知り、きっと一つ古いことを忘れている。  私たちはそうした変化を「成長」として賛美したがる。    けれども、そうした変化の多くは、環境に適応するために強いられたものだ。  良いものか、悪いものか。そういったものではなく、ただその人が生きていく中で必要な変化であっただけだ。  私たちが「成長」と呼びたがるそうした変化は、ただその人が生きてきた環境を反映しているに過ぎない。  私たち

      • 「私は貴方のオーダーメイド」―INFJの対人姿勢―

         皆様、お疲れ様です。  今回はINFJの対人姿勢について考えたことを書きます。  ベースとなっているのは自分自身の考えなので、他のINFJの方にも当てはまるのかどうかはわかりませんが、もし自分と似た思考の癖を持つ方の心の整理や、こういう考え方のやつもいるのかという発見に繋がれば幸いです。 INFJはオーダーメイドであろうとする  「INFJはカメレオンのように相手によって自分を変える」  INFJに関する記事などでそれをよく目にするように思います。  ある人の前では

        • 本来個別的に処理すべき悩みを一元化する癖がある人は注意するべき。例えば、人間関係の問題全てを「自分に自信がない」せいだと結論してしまったり。基本的に問題は各個撃破していくべきだし、まとめてしまったら頑張って個別化していく必要がある(ここまでの文章は全て自戒です.......:)

        私を覆う絶望の皮が莞爾とした笑みを浮かべる。その様を私は月の下からせせら笑う。

        • 「成熟」という言葉が嫌いだ。

        • 「私は貴方のオーダーメイド」―INFJの対人姿勢―

        • 本来個別的に処理すべき悩みを一元化する癖がある人は注意するべき。例えば、人間関係の問題全てを「自分に自信がない」せいだと結論してしまったり。基本的に問題は各個撃破していくべきだし、まとめてしまったら頑張って個別化していく必要がある(ここまでの文章は全て自戒です.......:)

        マガジン

        • INFJについて
          8本
        • いちINFJから見た他タイプ
          2本
        • ドストエフスキー
          1本
        • 自己分析。
          4本

        記事

          「崖下人の理想」~崖から落ちそうな君を下から押し上げる人間でありたい~

           自分が人間としてどう在りたいか。  それは私が生を送る中で自己に投げかける問いの一つだ。  その答えの1つは、  「崖から落ちそうな人間を下から押し上げる人間」だ。  そりゃあもちろん、崖の上から引っ張り上げる人間が一番素敵に決まっている。崖の上からなら落ちそうな人間もよく見えるだろうし、多くの人を引っ張り上げられるだろう。そして、引っ張り上げた後も一緒の道を進むことだってできる。  けれども、それは崖の上にいる人間にしかできない。自分が下にいる以上、それをいくら夢想

          「崖下人の理想」~崖から落ちそうな君を下から押し上げる人間でありたい~

          とあるINFJの理想―「訪れる人に安らぎを、去り行く人に幸せを」―

           皆様お疲れ様です。  今日はいちINFJの私の対人関係においてこうありたいという理想の話をします。  当たり前ですが、全てのINFJの方に当てはまる考え方ではないでしょうし、INFJを代表するつもりもございませんので、このような人間もいるという程度にとらえていただければと思います。 (発信する以上、誰かの参考になったり、共感してくださる方がいれば嬉しいかなとは思っております)  閑話休題。 さて、私は長年、対人関係に関しては基本的に「来る者拒まず、去る者追わず」のス

          とあるINFJの理想―「訪れる人に安らぎを、去り行く人に幸せを」―

          「みんな」に自分を含むかどうか

           みなさん今日もお疲れ様です。  今日のテーマは「みんな」という言葉に自分を含むかどうか、についてです。  みなさんは、「みんな」という言葉を使うときに、自分を含む場合が多いですか?  それとも、自分以外の人間を一纏めにするときに使うことが多いですか?  本来であれば、「みんな」という言葉には全ての人が含まれるのだと思います。  しかし、よくよく自分の言動(独白)を振り返ってみると、自分自身は含めないような表現で使用していることが多いことに気づきました。 ・みんな、凄い

          「みんな」に自分を含むかどうか

          「価値観が合う」には①良いと思うものが一致する②良いと思う基準が一致するの2パターンがある。②ならば①も満たす場合が多く、②>①と思いがちだが、①だけ満たすのもそれはそれで新鮮な学びが多くなる関係性。また、①を満たしていないからといって②を満たさないわけではないことに注意。

          「価値観が合う」には①良いと思うものが一致する②良いと思う基準が一致するの2パターンがある。②ならば①も満たす場合が多く、②>①と思いがちだが、①だけ満たすのもそれはそれで新鮮な学びが多くなる関係性。また、①を満たしていないからといって②を満たさないわけではないことに注意。

          『焦りの春』 春という季節はどうしようもなく落ち着かない。新たな人間関係の構築への不安感もあるが、それだけではなくて。何というか、前年度の「自分」が「ああ、本当に終わってしまったのか」という漠然とした無力感に近い何か。毎年燃え尽き症候群。三月病。時間に余裕がある日が多いからかも。

          『焦りの春』 春という季節はどうしようもなく落ち着かない。新たな人間関係の構築への不安感もあるが、それだけではなくて。何というか、前年度の「自分」が「ああ、本当に終わってしまったのか」という漠然とした無力感に近い何か。毎年燃え尽き症候群。三月病。時間に余裕がある日が多いからかも。

          『夢のメッセージ性』 夢に花が出てくるとその花言葉からメッセージ性を考える。今回は「ウワミズザクラ」「ウメ」「アネモネ」春が近づいたからだろうがウワミズザクラの「運命は開く」に期待したい。

          『夢のメッセージ性』 夢に花が出てくるとその花言葉からメッセージ性を考える。今回は「ウワミズザクラ」「ウメ」「アネモネ」春が近づいたからだろうがウワミズザクラの「運命は開く」に期待したい。

          INFJの自分が抱える空虚感について

           皆さま、お疲れ様です。  今回はINFJの自分が日々闘っている空虚感について記事を書きたいと思っています。  色々なINFJの方の記事などを拝読して、多くのINFJの方が感じているものなのかなと感じました。  本記事はあくまで私個人の考えている内容になりますが、少しでも同じ悩みを抱えている方の助けになればと思った次第です。 漠然とした空虚感  私が空虚感を感じるとき、その多くは少し時間的余裕があるときです。  忙しく働いているときや、身体を動かしているとき、何かに熱中し

          INFJの自分が抱える空虚感について

          【自戒①】目に見えないものが全てではない

           皆さんお疲れ様です。  少しずつ暖かくなり、朝も明るくなってきましたね。  梅の花も綺麗です。  春が近づくと、心に形容しがたい焦りと寂しさを感じます。  前置きはこのくらいにしておきまして、今日は自分への戒めの記事です。  「目に見えるものが全てではない」  聊か手垢のついた表現ではありますが、自分は昔からこのフレーズが好きでした。  この表現の背景には、「目に見えるものが一般的に重要視される」という前提があります。そして、物質的なものに惑わされ、大切なものを見失

          【自戒①】目に見えないものが全てではない

          山ごもり期INFJ-ほうっておくべし-

           皆さま、お疲れ様です。  題名の通りですが、今日はINFJの私には無性に1人になりたいときが訪れるという話をします。  基本的に1人でいる時間がとても恋しいのがINFJみたいで、私の場合も「1人時間の長さ>誰かといる時間の長さ」でないと、異常に疲れが蓄積します。  そして私の場合は周期的に「山に篭りたいレベルで一切の人間関係を遮断したい時期」がやってきます。  私はこの時期を「山ごもり期」と呼んでおり、一部の理解ある友人に誘われた時などは「ごめん。今、山ごもり期」で通じ

          山ごもり期INFJ-ほうっておくべし-

          キリスト者にとっての「神は死んだ」とは「善は死んだ」「愛は死んだ」つまり「生きる目的は死んだ」ということなんだろうな。キリスト教徒ではないがその絶望感は察して余りある

          キリスト者にとっての「神は死んだ」とは「善は死んだ」「愛は死んだ」つまり「生きる目的は死んだ」ということなんだろうな。キリスト教徒ではないがその絶望感は察して余りある

          「愛」とは、「愛する」とは何か

           皆さま、お疲れ様です。  今日のテーマは表題のとおりです。  私が「愛」「愛する」について考えたことを書き連ねます。  愛とは何かについて考えたことがある方は多いと思います。  今の時代、愛について調べれば、様々な格言や定義が出てくることかと思います。  「愛」という語を国語辞典で調べたとしても、出てくる定義は様々です(私が学生の頃は新明解国語辞典の意味が話題になっていた記憶があります)。  その中で有名なものとしてはエーリッヒ・フロムの著書「愛するということ」がありま

          「愛」とは、「愛する」とは何か

          ドストエフスキーが好きって話①

           私はドストエフスキーの作品が好きだ。  彼の作品には、思想の押し付けがない。  ミハイル・バフチンが「ポリフォニー」と表現した彼の小説の特徴、それは、登場人物一人ひとりが生きた思想を表現しており、なおかつ作者が各思想に優劣をつけることなくその全てを平等に尊重することで成り立つ。  人間には誰しもその人しか歩むことのない物語がある。その人の現在の思想は、その物語から生まれ、一分一秒、日々の生活の中で幾重にも折り重ねられていくものだ。万人に当てはまる普遍的な正義など存在しな

          ドストエフスキーが好きって話①