インクルーシブは必要?

こんにちは。
今日は『インクルーシブ』について、書いて行こうと思います。
(長文になってしまいました。すみません。また、批判もあるかもしれませんが、あくまでも私個人の意見です。押し付けになるのもダメだとも思っています。)

私は、インクルーシブはある一部分においては必要なのではないかと感じています。その内容と理由に関して、今日はお話しします。

そもそもインクルーシブとは何かですが、

「インクルーシブ(inclusive)」は「包摂(ほうせつ)的な」「包括的な」「すべてを包み込む」を意味することばです。

インクルーシブを説明するとき、インクルーシブの反対の意味を持つエクスクルーシブ(exclusive)ということばがよく用いられます。エクスクルーシブは、「排除的な、排他的な」という意味です。つまりインクルーシブとは、さまざまな背景を持つあらゆる人が排除されないこと、と理解することができます。

障がいの有無や国籍、年齢、性別などに関係なく、違いを認め合い、共生していくことを目指す社会をインクルーシブ社会といいます。名詞形でインクルージョン(inclusion)と表記されるケースもあります。

『講談社  SDGs』https://sdgs.kodansha.co.jp/news/knowledge/42229/#section-1-1より引用

要するに「障がいがあってもなくても、みんなが同じ社会で排除させることなく共生していく」ということを指していると私は考えています。

この考え方は、主に教育の分野でですが、賛否両論あります。

いろんな意見があっていいと思うのですが、私個人的には、教育では、同じ教室で障がいがある人が定型発達の子たちと一緒に勉強をしていくのは難しいと感じます。

長男はるくんをみていて、そもそも、知的に標準の8歳の子達のレベルに達していない時点で、先生の話を他の8歳の子達と同じように理解することはできないですし、落ち着いて座っていることも困難、通常級の一斉授業にはついていけません。

そのため、はるくんにとっては、個別の指導計画を策定し、細かく指導してもらえる、特別支援学校での教育があっていると思っています。

それでは、そう考えているのになぜ、一部分ではインクルーシブが必要だと考えているのかというと、一般的に障がい者理解が進んでいないと感じるからです。

人は知らないことに対しては恐怖を感じやすくなると思います。

道端でいきなり奇声を発生する人がいたら、「何この人?!」というような視線を投げかける人は多いかと思います。
また、自閉症の人がよくやる手をぱたぱたする、ぴょんぴょんジャンプするような常同行動(ある決まった反復行動をすることによって、気持ちを落ち着かせているそうです)も「何この人?」と怪訝な顔をされたりします。
人によっては、要らぬ言葉をその人に投げかけてしまうこともあるかもしれません。

私の経験ですが、スーパーへ買い物に行った時、はるくんが手をぱたぱたしていたら、その手が隣にいた女性に当たってしまって(私の注意力が低かったのがいけなかったのですが)、「僕、なんで叩くの?」とはるくんに何回も語りかけていた方もいらっしゃいました。その時「すみませんでした!」と謝ってその場を後にしましたが、後になって「いろいろな人が共生しているという考えは一般的ではないのだ」「はるくんは生きていてはいけないのかな」と悲しくなったこともありました。

批判されるかもしれませんが、こう言った経験からも私の意見としては、自分と違う個性を持っている人が同じ社会で排除されることなく自分と同じように普通に暮らしている、そういう感覚や知識を持っている人は少数派だと感じています。

しかし、小さい頃から身近に障害がある人と活動する環境があったら、理解が進むのではないかと思うのです。

こう考えるきっかけとなった言葉があります。

はるくんが保育園に通っていた時、私は『はるくんは他の子に迷惑をかけるのではないか、この保育園に本当に通っていていいのだろうか、はるくんが通うことによって、他の子達に対する保育の公平性が欠けてしまうのではないか』と思っていた時がありました。

そこで、はるくんのいるクラスでは、加配(1クラスに標準的についているメインの保育士さんに加えて、障害のある子供が在籍するクラスでクラス全体の様子を見渡し、その都度補助をし、障害のある子がいてもクラス全員の子が保育園で過ごしやすくするための制度)をつけていただいておりました。
それでもやはり、中度知的障害を伴う自閉症のはるくんが、クラスの他の子に迷惑をかけたり、他の子達の保育園での活動を邪魔してしまっているのではないか、そういった考えを持っていました。

しかし、そうじゃないよ、と保育園の先生が言ってくださいました。
その先生は、はるくんのような子と他の子達が一緒に、しかも小さい頃から活動していくことで、障害がある人に対しての偏見を持ちづらくなる、いろんな子が社会には暮らしていて自分と同じように生きている、そう言った感覚というのは小さいうちから身近にあったほうが、この子達にとってもいいんだとそのようなことを話してくださいました。だからはるくん保育園にいていいんだよ、と。

はるくんのクラスの子達は、特に女の子たちがでしたが、はるくんを可愛がってくれていました。はるくんは人気者でした。他のお母さんに『家でね、「今日はるくんがね」って今日のはるくんの報告をしてくれるんです』と言われたり、クラスの女の子たちははるくんを見つけると、「はるくんいくよ」と手を繋いで連れて行ってくれる、はるくんがいたことによって、同じクラスの中で助け合いの輪が作られていました。

はるくんが保育園卒園の時、みんなとは違う小学校にいくことを伝えると、『はるくん、同じ小学校行けないの?なんで?』と聞いてくれる子もいました。

多分、はるくんは恵まれていたのかもしれません。
でも、保育園の先生が言うように、小さいうちから同じ生活圏で活動することで、障害に対する偏見や排除の感覚というのは持ちづらくなるかもしれません

なので、私は障害のある人もない人も自分と同じように暮らしているのだと知る機会が身近にあればいいのになと感じています。
保育園も放課後の居場所でも、共生する上で問題が出てくることもあると思いますが、インクルーシブに生活していける環境が作られれば、子供たちは感覚的に学ぶことができますし、障がいのある人に対する偏見や排除といったことも少なくなるのではないかなと感じています。(神奈川の方には、インクルーシブの学童があるようですね)

長文で読みづらいところがあったかもしれません。
すみません。
読んでいただき、ありがとうございました。



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