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教育について考える

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10代のためのテクノロジーの居場所「まぜテクネ」プレオープン中

わたしは、テクノロジーの居場所「まぜテクネ」を運営しています。 2月から3月にかけてはプレオープンということで、毎週土曜日10:00-17:00に10代が自由に来館し、デジタルイラストやVtuber制作、3D制作などのテクノロジー創作活動を楽しんでいます。 今日は、そんなプレオープン中のまぜテクネの様子をご紹介します。実際にまぜテクネに来館した気分で楽しんでいただければと思います。 開館前ここが、まぜテクネのある場所。福井県あわら市の新郷小学校です。長閑な田園風景の中に

アフターコロナのデジタル教育を思考する。

現在、デジタルはごく自然に10代の生活に馴染んでいる。 朝起きたら、スマホを開いてSNSを一通りチェック。学校ではタブレットが当たり前のように使われ、休み時間には推しのVtuberの話題で盛り上がる。放課後は、友だちとTikTokの動画をアップロードするのが日課。 数年前、「学業に支障が出る」とか言って学校に持ち込み禁止だったデジタルは、今や子どもたちの学びを支える「学業に欠かせない」ツールとなった。 世の中のデジタル化を大きく加速させたのは、紛れもなく新型コロナの流行

女子を惹きつける、テクノロジー教育コンテンツのつくり方。

わたしは、「まぜテクネ」という10代が無償利用できるテクノロジーの居場所を運営しています(まぜテクネの理念や目指すものについてはこちらから↓)。 1/28にまぜテクネとして初のイベントを開催したのですが、予想を大きく超える反響があり、特に女子を惹きつけるイベントとなりました。今日は、そのイベントの内容や、女子が興味を持つコンテンツの作り方について紹介していきます。 女子を惹きつけたいと思った理由「まぜテクネ」という名前の由来は、いろんなテクノロジーや人、そして地域・社会を

わたしがテクノロジー教育をする理由。

生きづらさを抱える子を、テクノロジーで少しでも生きやすくしたい。 これがわたしの原点だなぁと思います。 ノートに、今やってることをざっと書いてみました。 プログラミング教室や、テクノロジーの居場所開設準備のほかに、小児科クリニックでのICT療育や、ウェブ制作の受託もしています。 これは、わたしの中で全部繋がっています。 現在あまり積極的に言っていないんですが、ウェブ制作の受託は、東京の会社や地元の企業・団体の継続案件がいくつかあって、割とちゃんとやっています。 どう

テクノロジーと、人、社会が混ざり合う場所

テクノロジーは、それだけでは完結しない。 テクノロジーは、媒体だ。 テクノロジーを通して人が混ざり合ったり、地域や社会と混ざり合ったりする場所があれば、そこから大切な何かが生まれるのではないだろうか。 10代のためのテクノロジーの居場所わたしは、テクノロジーで自由に創造することできる、10代のための居場所を開設するために準備を重ねている。場所は、福井県あわら市の田園風景に佇む「新郷小学校」。5年前、少子化のために休校となった学校だ。(居場所の開設に至った経緯についてはこち

テクノロジーの教育格差を、どう埋めるか。

テクノロジー格差が生まれる理由子どもがテクノロジーを習得する機会に、格差があってはならない。 こんなことを言うと、「確かにその通りだ」とおそらく誰もが同意する一方で、耳障りの良い理想を語っているようにも思われるだろう。 実際、過疎地域に住む子どもや、学校に行かない子ども、家庭環境に恵まれない子どもにとって、そういった機会を得ることは難しいのが現状だ。 何かしらのハンディキャップ(この言葉はあまり使いたくないが、事実としてそれに近いもの)をもっている子どもたちにこそ、「テ

ICT教育は、発達障害の子どもをサポートできるか。

子どもの教育とICTとの親和性は、果たして高いのだろうか。文部科学省によってGIGAスクール構想が打ち出され、コロナ禍がその動きに拍車をかけているように思われる昨今であるが、もう一度、ICT教育について考えてみたい。 クリニックによるICT学習支援私は現在、小児科のクリニックで発達障害児を対象に、ICTを用いた学習支援を行っている。小児科のクリニックがICTで学習支援を行うというのは、全国的にも稀な取り組みであるようだ。この取り組みは、当クリニックの院長先生が、院内の療育ス

障害は同情するものではなく、解決するものだと思う。

障害は同情するものではなく、解決するものだと思う。そう思うきっかけとなった出来事は、思いもよらず発覚した、自分自身のちょっとした障害だった。 ある日の耳鼻科と聴力検査2020年、最後の土曜日。お風呂に入っている時、耳に水が入って、そのまま水が抜けなくなってしまった。ずっと耳の中が、ゴトゴトいっていた。年末年始中、水が抜けないという事態は避けたかったので、年内の診察最終日である12月28日月曜日、とりあえず耳鼻科に行った。 お医者さんはすぐに水を抜いてくれて、耳の中のゴトゴ

プログラミング教育が向かう先

プログラミングが学校教育に取り入れられたことから、 街中でプログラミング教室を目にする機会も多くなった。民間企業がプログラミング教育に対して張り切っている中で、保護者や教師は関心の度合いがバラバラであるように思う。そういった状況の中、これからプログラミング教育がどこへ向かっていくのかを考えていきたいと思う。 プログラミング教育の意味以前、プログラミング教育を学校に取り入れる意味ってあるのだろうか、という内容の記事を書いたことがある。 この記事で数多くのコメントをいただき、

自然教育が、地方創生に繋がるかもしれない。

自然に親しむ教育について、少し考えてみたい。私は学生時代に、子どもたちが身近な自然に触れ合う教育について研究をしてきた。そのことについて振り返りつつ、自然に親しむ教育が地方創生に繋がる可能性について考察していきたい。 幼少期の経験が、一生記憶に残る自然との想い出というのは、不思議と人の心に残るものだ。特に、幼少期から小学校低学年のうちに、自然と親しむ体験をさせておくことで、それが原体験となり、身近な自然に対する興味・関心の育成につながる可能性があるのだという(「理科学習の基

プログラミング教育で、何を目指すのか。

2020年度から小学校でもプログラミング教育が必修化された。しかし、現場は手探りな状態である。プログラミング教育で何を目指すのか、またプログラミング教育を行う際の課題を考えていこうと思う。 プログラミング教育の目的プログラミング教育が必修化された背景としては、急速に発展する情報技術の発展により、全ての子どもたちが情報活用能力が求められるであろうこと、また、日本のIT技術が世界と比べて遅れをとっていることに対する危機感があるのだと思う。プログラミング教育で育成する資質・能力は

国語教育で何を学ぶのか。

小学校の6年間で学習する国語の総時間数は、1461時間にのぼる。算数が1011時間、体育が597時間、理科が405時間、社会が365時間ということで、小学校において国語教育はかなり大きなウェイトを占めている。国語では何を学ぶのか、発達段階に応じた学びとは何なのか、教員が国語教育に苦戦する理由について考えていこうと思う。 国語教育は意味がないのか算数・理科・社会などの教科は、筆算の仕方を学んだり、沸点の温度を調べたり、歴史上の人物を覚えたり、学習することが明確である。それに対

遠隔教育が、地方のマインドセットを変えるかもしれないと思う。

地方と都会では、教育格差が存在する。これは、現代の日本にとっても、正直否定できない。義務教育までは、地方は優れている。学級数が少なくてのびのびできて、先生たちも熱心である場合が多い(私の県はとても田舎で、教員採用試験倍率が全国トップクラス)。しかし、高校以上になると、地方の教育レベルは大きく下がると思う。これは、自分が肌で感じてきたことだった。大学にもなれば、そもそも志望する学部が存在しないという事態に陥る。私の県には、工学部・医学部・教育学部くらいしかなかった。しかし、現在