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15歳の思い出と、新しい環境での心のバランスのとり方

 15歳の頃、将来の夢は「文章を書くこと」だった。中学校の技術の授業で、自己紹介をパソコンのワードを使って作成するという課題を出され、“私の将来の夢”という欄に「文章を書く仕事に就きたい」と書いた。小説家とか新聞記者とか具体的な職業ではなく、曖昧な表現を使ったところが気弱で思春期っぽいなあと思う。とはいえ、自分が書く文章はきっと社会に通用するだろういう自信の表れでもあった。その根拠は、中2の夏休みに国語の宿題として提出した短歌が全国入賞したこと。とても嬉しい経験だった。人に認めてもらって自信がつく経験って大事ですね。義務教育に感謝しています。文章を書くことは自分の特技。その特技はずっと私の人生を支えてくれている。

 15歳で思い描いた将来は、30歳がゴールだった。20歳を“将来”として設定するには近すぎて、40歳や50歳は遠すぎて、2倍の年月を過ごした30歳の自分ならばギリギリ想像できた。そして、実際に2倍の月日が経った。あと数日で30歳の日々を過ごし終え、31歳の誕生日がくる。今の私は“将来”より先の未来を生きている。
 
 今から約半年前、30歳の秋、夫の転勤で引っ越しをした。飛行機を使う距離の、遠い場所へ。新卒で入社した会社を辞め、愛車を売り、両親と祖母を地元に残してきた。新しいものを手に入れるために、大事なものを手放さなければいけないことを、初めて経験した。

 引っ越してからの3カ月はとても辛かった。手放したものを思い返してはぐしゃぐしゃに泣いた。仕事もアパートも地元の安心感も取り戻したくて仕方がなかったが、4カ月経った頃から、少しずつ辛さが減ってきている。手放したものを取り戻せない状態が日常になってきているのだと思う。「現実を受け入れる」とか「時間が解決してくれる」とかって、こういうことを言うんですね。でもそれだけじゃなくて、幸せを感じる瞬間が増えたからだ。夫と2人ぼっちの生活は存外楽しい。

 過去を手放した悲しみと、新しい環境での幸せ。その2つのバランスをとろうと、心がいつも忙しない。相反する思いを抱えているのはとても苦しいから、今こうして書いている。書くことで自分の外に出している。「たくさんの大事なものを手放してでもこの生活を選んでよかった」と、次の15年後の自分が思えるといい。それがこれから先の、将来の夢。今は書く。できることをやる。

 15歳の私に伝えたい。もう辞めてしまったけれど、仕事で文章を書いたんだよ。小説家とか新聞記者とか、あなたが憧れた職業ではなかったのだけれど、会社の役に立つ文章を書いていたんだよ。そして今は、新しい環境で自分の心を支えるために文章を書いているよ。


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