子供の愛

娘が本当のことを
言ってないんだろうな
そう思ったことがあった

家に帰ってきてから
ほんとうは
どう思っていたの

と聞くと

ほんとうは
こうしたかった

と教えてくれた

なんでほんとうのこと
言わなかったの

と聞くと

ママがこっちの方が
いいかと思って

と言った

私は口では 
なんにも言ってなかったが
私を察して行動し話したようだ

娘の察した通り
私は娘の選択した方が
ありがたかった

でも胸がぎゅっと
締めつけられる感じがあり
苦しかった

ママはね
ママのこと思ってくれるのは
嬉しいけれど
ほんとうのこと話してくれる方が
嬉しいな

そう伝えた

ほんとうは
こうしたかったと
娘は泣いた

泣きたいくらい
自分のやりたいことを
自分でやめて

ママを喜ばせる選択を
6歳の子がするのだ

ママって存在は
すごいと思った

私も察する子供だった
親は手がかからない
いい子だったと言っていた

それは私がしたいことではなく
親の望んでいることを
やってきたからだと思う

どう感じるかは
人それぞれで正解はないと思う

ただ私は
いま自分が自由に
好きなことをしているからこそ
子供にも自分を優先して欲しいと思う

大切な娘が
私を優先することに
嬉しさを感じてもいいのに
胸が苦しくなった

私を優先することを
自己犠牲と捉えるのは
小さい時の私が
自分で決めて
母を優先したわけではなく
そうしないと愛されないと思って
無意識的にしたものだから
娘に重ねてそう見えるのだと思う

もちろん子供がしたいことを
子供優先にして私を置き去りにして
叶えることはしない(笑)

ママを優先しなくても
愛されているという感覚の中で
自由に選択出来る状態で 

ただお互いに
対等に協力しあいたいと
思っている

普通にしていても
ママ優先になってしまうのだから

本当によく見て
子供が自分優先になるまで
伴走したいと思った出来事だった



サポートありがとうございます(*^^*)お気持ち嬉しいです♪いただいたお金は、次に記事を書く時のお供のコーヒー代として使わせて頂きます。