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小説7 ただ好きなだけ<推し>がいるということ・下

大好きなものを大好きと言って好きを楽しむ行動を<推し活>というのなら、私の毎日は<推し活を楽しむ毎日>だ。

自分に大好きなものがあると、他の人の大好きを否定するようなことはなくなる。

自分が毎日楽しんでいると、他の人がやっていることにケチをつけたり否定したりしている暇がないから。

自分の好きを追いかけて、周囲の人にはあなたはそれが好きなんだねって思えるような関係ができると楽だなって思える。

自分の大好きと他人の大好きは競うようなものでもないし、どちらがよくてどちらがよくないというわけではないから。

そんな風に毎日を楽しんでいた。

友達の<好き>の気持ちも応援したい思えるようになって、今まであまり知らなかったアイドルの話を聞いたり、買い物に付き合ったりするくらいのゆるさが生活の中にできてきた。

アイドルって自分の人生には全く関係のないものだと学生の頃から思っていた。

アイドルを好きになったり、応援したりするのは可愛い子。

自分はその輪の中に入らないし、入れない。

でも友達が好きならば、私の大好きなキャラクターへの気持ちと同じだから応援したいなと思って、頼まれるままにグッズの列に並んだり、ライブのお供をするようになった。

実際ライブに行ってみると、思っていたのと違ってものすごいパワーだった。

キラキラしているし、元気いっぱいで一生懸命。

何よりかっこいい…

少し前の自分からしたら信じられないことだけど、自分からも映像を見たり、雑誌などを見るようになった。

知らなければ良さもわからない。

アイドルを否定している人たちは知らないし、分かろうともしないのだろう。

それはそれで仕方がないのかもしれないけれど、知らないなら興味がないなら放っておいてねって思う。

大好きなキャラクターに出会った時のような、電撃的な出会いはなかったけど、徐々にたくさんの人の中から目で追うようになって、気づいたら大好きな推しができた。

でも<◯◯くんが大好き>と言えるようになるまでにかなりかかった。

最初は自分でも自分の<好きの気持ち>を認められなくて。

<自分より若い素敵なアイドルを応援する>ということが自分には相応しくないような気がして、誰にも言わずに密かに応援していた。

でも<素敵><かっこいい><大好き>という気持ちを自分1人で抱えているより、SNSを通してでも叫んでしまった方がいい。

アイドルはお仕事だから、こちらが節度を守って応援している限りは否定されない。

きちんと推しにお金を使い、目に見える形で応援するのはアイドルも求めているファンだ。

自分もきちんと生活をして、一度しかない人生を推しのせいにせずきちんと楽しんだ上で推しを応援することで、ファンは推しから喜びやキラキラを受け取れるし、アイドルは人気を得ることができてwin-win

こう思えるようになったのは最近だけど、振り切れた後はしあわせ。

<アイドルはあなたに何もしてくれないよ>って言ってくるお節介な人がいるけど、キラキラと元気をもらっているのでそれ以上何が必要なのかわからない。

プロスポーツ選手を応援しても、簡単には一緒に運動ができるわけではないし、有名なアーティストと直接関われることなんてステージや作品展のほかにあるだろうか。

その人の存在・その人の作品・その人のパフォーマンスからたくさんの感動としあわせを受け取っているだけ。

もっといえば、同時代に存在できてよかったという想い。

アイドルは私の実生活には関わりはないけど、実生活は自分でなんとかできるので、畏れ多いので推しに何かしてもらいたいとか思わない。

いてくれてありがとうなのだ。

この思いを<推し活>というワードに括られてしまうのが腑に落ちない時もある。

活動しているわけじゃなく、想いを持ってココロを震わせているのだ。

損とか得とかそんなことは考えない世界線がここにはあって、推しに自分のペンライトの光が届いたらいいなぁと思うだけ。

だから、他人の<好きの気持ち>を叩き潰そうとしないで欲しい。

あなたの<好き>もあっていいから、私の<好き>も放っておいてね。



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