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【6日間のアウトドアin Norway 】

学校が始まってちょうど1ヶ月が経った9月4日、バスに乗ってノルウェーへ向かった。6日間のアウトドアをするためだ。終わってみて一番に思うことは、「辛かった」ということだ。その辛さは肉体的疲労によるものもあるが、それ以上に社会的な孤独による辛さだ。

今回ノルウェーへは45人行った。その内日本人は自分だけで、周りはデンマーク人だった。日本人だからといって特別な興味を抱かれることもなく、隣でデンマーク人同士がデンマーク語での会話や情報伝達をしている、そんな日常だった。これは周りの環境が悪いということでは全くなく、ごく自然なことだと思う。
要するに、そんな中で自分の存在感が殆ど無いと自覚し、自信喪失によって辛さを感じていた。

しかし、6日間の中でずっと辛かったかと言われるとそうでもない。むしろそんな辛い状況だったからこそ、今までだったら小さな出来事と捉えていたことが、大きな幸せを感じることとなった。

例えば、些細な声かけだ。ギュウギュウに詰まっているバックパック2つ(車椅子に乗っている人のものと自分のもの)を背負って歩いているときに、隣で歩いていたデンマーク人が「頑張ろう」という言葉をかけてくれた。このたったひと言であんなににも心が温まったことはこれまでなかった。

話が少し変わるが、自分は10年以上野球というスポーツをやってきた。そして試合になると監督やコーチがよくピッチャーに声をかけてあげろと言っていた。その意味がよくわかった。なぜならピッチャーは孤独だからだ。だから一言でも声をかけることってある人にとってはとっても嬉しくて、安心できるものであるのだと思った。

いま在籍しているエグモントホイスコーレンという学校でも、特に障がい者でひとりぼっちでいることが多い人がいる。学校へ帰ったらその人がひとりでいるときには、些細な声かけをしようと思った。

またハイキングの途中、こんなとこ車椅子で登るのかよっていう岩山を3人でジャガーを押し切ったときの達成感は半端なかった。ちょっと間違えたらジャガーは転倒して大変なことになる。

ジャガーに乗っている彼らは自分たちに命を預けていると言っても過言ではない。そんな風に信頼を向けられていることと責任感を感じながら登り切り4人でハイタッチしたときの喜びは言葉で言い表せない。

さらに、最終到達地点で何人かと全裸になって極寒の湖に飛び込み、汗水を洗い流したときは最高だった。あのときの解放感はそう簡単に体感することはできないだろう。

その夜にキャンプファイヤーをした。火が灯されてすぐは、デンマークの歌の大合唱が始まり、自分はただ音に乗っていただけだった。しかし、しばらく経つと誰も口を開けることのない、ただ円の中心にあるひとつの炎を眺めるときがあった。その、木のパチッパチッと燃えあがる音のみが聞こえてくる時間が心地よかった。言葉を交わさなくてもみんなと繋がっているような感覚。この瞬間が味わえただけで6日間歩き続けて良かったと思えるものでもあった。

今回のアウトドアでは障がいを持ったデンマーク人の介助をすることになっていた。そこで出発前の準備の段階で彼にコミュニケーションを取るために手話を覚えてねと言われていた。そしてできる限り努力をして覚えていった。その甲斐あって手話通訳者になる場面もあった。

しかし手話を勉強し初めて1週間とまだまだ未熟だったため、何度か彼がなにを伝えようとしているかわからない時があった。だけど6日間が終わって帰るときに彼が「あなたは良くやってくれた」と伝えてくれたことや学校に着いたときに彼が身体全身で「この旅はめちゃめちゃ楽しかった」と表現しているようなとても嬉しそうな姿を見て、胸が熱くなった。

こう振り返ってみると日本では経験できないような沢山の良い経験をしたなと思う。でもやっぱり楽しかったことよりも辛いと感じる時間の方が長かった。だけど、こんな辛さを経験することこそが留学の醍醐味なのではないのかとも思う。

SNSでは海外のキラキラした日常が映し出されて、羨ましいと思うかもしれないが、実際は違う。それは多くの人が自分の恥ずかしいところや情けないところ、本当に苦しんでいるところを曝け出したくはないからだ。だからSNSの性質上、必死にもがいているところよりも楽しそうに人生を謳歌しているような投稿が目に入ることになる。これは海外という地に踏み出したことで気づいたことだった。

色々と脱線してしまったが、留学することができて、刺激的な毎日を過ごすことができている。この文章は決して留学の楽しさを伝えるものではなかったが、なにかを感じとって行動するきっかけになったら嬉しい。

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