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同じことができない
学校の授業で折った折り紙はくしゃくしゃだった。
「もっとていねいにやってよ」
クラスメイトがいらついたように言った。
はしとはしをぴったりとくっつけて、ゆっくりと一段階ずつ慎重に折った。一生懸命にやった。しかし出来上がった折り紙はものすごくカッコ悪い。
「こういうの、苦手なの?じゃあ違うのしようか?」
別の子が紙を切る作業を勧めてくれた。
わたしは、線のとおりにまっすぐに切る。
でも、
「誰だよ、これ切ったの。切ったところギザギザじゃん!」
また別の子が大きな声で言う。
紙を切るよう勧めてくれた子がバツが悪そうに、
「終わるまでそばで見ているだけでいいよ」
余計なことして使い物にならないものを生み出すのはやめて。そう示された気がした。
それ以来わたしは「ただ見ている人」になった。
総合の授業とかで、調べたことを大きな紙にまとめるという機会が何度かある。細かい作業も多い。
そんなときわたしはどうしたら良いか分からずおろおろするばかりだった。
「さよごろもちゃんも入れてあげなさい」
先生はそうやって疎外されたわたしを輪の中に入れてくれた。楽な姿勢でいられるように椅子に座らせられる。
床に座って、マーカーで文字を書いたり、定規で線を引いたりしているクラスメイトを見下ろしているみたいになった。
怖かった。
「あいつ、なにえらそうにして、なにもしないんだよ」
みんながそう思っている気がした。
自分から手伝いたいなんて言い出せない。
みんなみたいにきれいにできないから、嫌な顔をされるに決まっている。
みんなだって「さよごろもちゃんもやりなよ」なんて言わない。まとめる作業で手一杯で、役にも立たないやつに構っている暇はないからだ。
身体に障害があるから、みんなと同じようにできないのか。それともただ不器用なだけなのか。もしかしたらただ不器用だっただけなのかもしれない。わたしにできることだってあったのかもしれない。
でも椅子に座っている自分と床で作業をしているみんなとは、分厚い壁があるのを感じてしまった。
なんてことないことかもしれない
しかし、わたしにとって、わたしはみんなと同じことはできないんだと心に刻まれてしまった大きな出来事だったのだ。
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