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闇と向き合う

バルセロナから大阪に来てそろそろ4ヶ月が経つ。
バルセロナも、今いる大阪も面白い街だ。そして人や街の雑多なところが少し似ている。あと、無駄によく喋るところもスペイン人と似ているかな。
大阪の人はどっちかというと朝鮮の影響が歴史的にも強い気もしてるけど。あと、世界中どこへ行ってもみんなコロナ劇場に付き合わされているのも同じなんですけどね。

思えば、バルセロナでの生活は光と影が周期的に混ざり合うものだった。
それは私の人生を色濃くしてくれた経験になったと思う。
青臭いが、私は移住する前、バルセロナに行けば人生少しは変わるんじゃないかと期待していた。自分の塞いだ性格や思考もちょっとはブラッシュアップされるのではないかと思っていた。ただ、現実はそんなに甘くなく、どこに行っても自分はそれまでの自分だった。変わる気がなかったとも言える。

向こうの生活を通じて学んだことはシンプルで、どこに行っても楽しめる何かを持っていなければ人生退屈だぜ、という至極シンプルな答えだった。
もともとバルセロナに引っ越した目的は、息子と過ごすためだったわけで、それは良かったんだけど、長く暮らすと他にも目的が必要になってくる。



それは、自分の好きなことだ。
私は、それまで何か熱中するものや趣味があったわけではなかったから、それがどれだけ大事なことか改めて分かった。私は極端な飽き性で、どんなこともワンクールしか続かなかったワンクール人間だから、それまで特段の趣味やのめり込めるものがなかった。だから、こんな私には広告やプロモーションの仕事はとても合っていたと思う。なにせ、だいたいワンクールで終わるから。日本で都会生活をしていた時は、エンタメ・娯楽の外部環境がとても充実していたから、それなりに一人でも知的好奇心や審美的欲求といったインスタントな欲求は埋めることができた。

ただ、価値観や文化レベルが180度くらい違うスペインへいったら、思った以上に、自分がコンビニ人間であること、孤独が好きな人間であること、まったくクリエイティブではないこと、暗くつまらない人間であるかが、でかい影みたいに徐々に浮かび上がってくるのだった。

それは、それまで自分の自己肯定感がいかに外部に依存したインスタントで中身のないものだったかという現実と向き合わなくてはいけない苦しい時間だった。都会の便利さとバリエーションのある業種から本質を見なくてもなんとかなる世界に生きていた気がした。ただ、それが良い意味でも悪い意味でも牧歌的なバルセロナにはないのだ。
そこには、サッカー、ワインとパエリア、海、いい女しかいない。
(それだけあれば十分なんだけど(笑))
だから、ロックダウン時は、自然と自分のアイデンティティを考える時間が増えた。でも答えはでなかった。

もちろん、スペインの環境や関わる人たちからの影響は大きかったし、会う人、会う人、私のドラマに新たに登場する役者たちになっていった。
何より一番価値観を変えてくれた登場人物は、他でもない息子なんだけど。
妻の存在はとても大きい。ただ、息子の登場は私のなにもかも変える力を持っていた。そんなこんなで、スペインへ行ったと思ったらとんぼ帰りで、今は大阪に居る訳なんだけど、果たしてこれからどうしたら良いものか(笑)もう笑うしかない。



自分を救うこと=自分を楽しませること
そう、バルセロナにいようと大阪にいようと、最初のテーマに戻る。
どこにいようと楽しめることをする。至極、当たり前。
今は、楽しいことをさせてもらっているが、もっと自分の関わる仕事は拡張していきたいし、バリエーションの中に身を置きたい。欲求は現在の場所に満足していない。本来、私はバリエーションの中、混沌とした中に身を置いた方がうまくいく。今、関わっている精神世界の世界でもっと遊びたい。
本来、それができる人間だから。

まだドラマは続くよね


      







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