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病の残酷さと、それでも生きるということ

若い方はほぼ入院してこない病棟で、わたしとほとんど歳の変わらない方が入院してきた。

最初の2〜3日は病状が不安定で、このまま乗り切れるかもしれないけれど、悪化するようなら手術、という状況だった。

その時期にご本人を受け持ったわたしは、病状理解や入院前の生活について伺うために、検査が終わるのを別室で待つ家族のもとに向かった。

そこには、声を殺してとめどない涙を流し続ける旦那さんがいた。
一目見て話を聞けるような状況ではないと理解したが、わたしはそっと旦那さんの隣に座った。

うまく声が出せない。聞こえるかどうかの声で問う。
「あの、、、大丈夫ですか?」

入職してから、この時ほど無意味な声かけがあっただろうか。

大丈夫なわけがない。そんなことは見れば痛いほどわかるのに。
でも、考えれば考えるほど、本当に何も言えなかった。

たいてい病気の影はひっそりとにじり寄ってきていて、わたしたちはそれに気づかなかったり、気づいていないふりをする。

そして、どこか確固たる自信がある。
"わたしはたぶん大丈夫"

でも、年を重ねれば重ねるほど、これからは何が起きてもおかしくないなと、本人も周りの方々も認識しはじめる。

この認識があるかどうかが、病気の受け入れが0から始まるか、1から始まるかを決めている気がしていて。

あまりに若くまた突然のことだったので、彼女やご家族の病の受け入れは、もはやマイナスからのスタートだった。

その後、このままだと命が危ないということで、手術を行い、病棟に帰ってこられた。

もちろんこれで元どおり、とはいかない。
けれど、時間が経つにつれ、意識がはっきりし、言葉がぽつりぽつり出始め、少しの介助で車椅子に乗れるまでになった。

ご本人がリハビリを進める毎日の中で、時折ふと自分の状況を思い出したように泣き叫ぶ時があった。
いつかは向き合わなければならなかった現実と、必死に対峙し受け入れようとしているようだった。

後遺症を背負って生きていくことは、時に死よりも残酷なことではないかと考えることがある。

"生きているだけで"
もちろんそれはそうなのだけれど、分かってはいるのだけれど、彼女のような人を前にしてはあまりに綺麗事な気がして。

最近完成し届いたのだという結婚指輪をにこにこと見せてくれた彼女。
病と後遺症を抱えた今後の生活は、どんなものになるのだろうか。

苦悩や葛藤を常に抱えた、不安の絶えない日々ではあるかもしれない。
でも、決して短くない入院生活で垣間見えた彼女の心の機微からは、つらい、悲しい、しんどいだけではない未来を想像することができた。

それはわたしにとって、無慈悲な現実に立ち向かう一筋の光のようだった。

立場をわきまえ、感情移入しすぎないようにしても、本人やご家族の直面する深く大きな衝撃と不安の波にさらわれずにいるのは難しい。

病気の残酷さや自分の不甲斐なさに涙した帰り道もあった。

けれど、この苦しさととことん向き合って、自分にできることを考え続けていけたらと思う。
一人一人の生死に触れるその時に、何も感じなくなったりしないように。

2018.11.7