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名探偵をどこまで救えるだろう

読書感想文 『カササギ殺人事件』アンソニー・ホロヴィッツ

世の中にはたくさんの『賞』があって、『このミステリーがすごい!海外編 1位』『本屋大賞 翻訳小説部門 1位』『ミステリが読みたい! 海外編 1位』などのポップが本屋入り口近くを賑やかくしているのはよくあることだ。けれども、その全てが1冊のタイトルに向けられているのは珍しい。まさに総なめ、というやつである。ただ読む決意を促したのは、所狭しと並ぶ『賞』ではなくて、クリスティファンの父やミステリ好き仲間からの熱い「カササギ殺人事件」推しがあったからである。とことん私は、人の熱意に弱いのだ。

本作は、作中作と作中に起きる2つの事件を読者は紐解いていくことになる。作中作と作中の事件は密接に関連しており、時にミスリードを誘い、時にお互いがヒントのように影響し合う。この作品の巧みなところは、作中作と作中の物語の書かれ方が同じ匂いは残しつつも違うところで、2人の作者が存在するかのように感じさせられるところにある。よって、読者は混乱することなく2つの物語に対して、同時に思いを巡らせられる。

クリスティファンならば、その舞台設定や人物そしてトリックに至るまで、あらゆるところに見え隠れする丁寧なオマージュに心から感嘆するだろう。流石は、名探偵ポワロの脚本を手掛けたことがあるアンソニー・ホロヴィッツである。(ポワロは多く映像化されているが、私はこのスーシェがポワロを演じたシリーズが一番好きだ。)

もちろん、クリスティを知らなくても十分に面白い作品であることは間違いない。マナーハウスや郊外の邸宅、あきらかに経済的成功者である多くの登場人物。漂う上流階級の香り。英国らしい言い回し。文章の端々に感じる品性。古くゆかしい英国ミステリを感じとりながら、この新しいミステリを堪能することができる。

そう、古き良き英国ミステリをたっぷりとオマージュし、影響を受けながら、本作はしっかりと最新のミステリになっている。近代を舞台にした作中作に出てくるのはポワロを彷彿とさせる男性の名探偵アティカス・ピュント。そして現代を舞台にした作中で事件を追うのは女性編集者のスーザン・ライランド。この新旧を対比させるわけだが、作中作の作者であるアラン・コンウェイが鍵のように見えて、実際にはアティカスが物語を支配していて、しかし徐々にスーザンがその命運を握るようになる。脚本家だったというアンソニー・ホロヴィッツだからこその、複数の人物の動かし方と時代観が完璧にマッチして、これまでにない作品になった。

スーザンがアティカスを思う気持ちは、昔からよくある気持ちだ。コナン・ドイルはホームズを憎み殺そうとしたけれど、多くのファンと編集が彼を殺させなかった。名探偵に限らず、キャラクターは生き物である以上どこかで死を迎える。それは文字通りの死ということもあるし、それだけでもない。そして、作者がどう思おうと、ファンはどうしたって愛するキャラクターを救いたい。その気持ちはわかるからこそ、スーザンの肩にかかるものの大きさや苦しさに共感するだろう。

文庫で上下巻、というのは読みつけない人にとっては長い作品かもしれない。それでも、少しでもミステリに興味があればオススメしたい。良い夢に醒めないで欲しいと願うように、物語の終盤にいくにつれて薄くなっていく左側に残ったページが減らないことを願ってしまうくらい、あっという間に読んでしまう。きっちりと片手に温まる飲み物を用意して、リラックスしながら読んでほしい。

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