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『余命10年』

外国人は、桜を見ると何を感じるのだろう。

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作品の頭からお尻まで、一貫して登場する桜。

春は出逢いと別れの季節。過去を振り返ると、桜の登場する思い出がいくつもある。はじめて幼稚園へ行った日には、さくらの花びらをお土産に持って帰ってきたらしい。昔の自分、我ながら粋である。

映画館ではじめて出逢った登場人物たち。彼らそれぞれが「桜の紛れるカットとともに葛藤するさま」が、あたかも自分ごとのように思える。桜に呼び戻される、あたたかくキラキラとした記憶。反対に、寂しくつめたい、嫌な記憶。私たち日本人には、桜に対して、過去の思い出と紐づいた豊かな感覚がある。

そんな感覚が、密かに、演技への共感性を高めているのだと思った。

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桜は大きくなるのに数年かかるようだ。高く成長し、見応えある規模になるには、約10年が必要らしい。
ということは、この時期にお花見「されている」桜たちは、少なくとも何十歳級だということになる。これまで、一体何人の成長を見守ってきたのだろうか。

10年という歳月は、長くも短くもある。10年前、自分は、そこからの10年間と、10年後に待っている世界をどう妄想していたのだろう。きっとあまり大した考えをしていなかった。流れるような10年間を過ごしてきた。ただ、間違いなく濃い10年間ではあったと思う。

もしも余命10年と診断されたなら。きっと、10年後に待っている世界について、誰よりも思いを巡らせるだろう。ポジティブなことも、ネガティブなことも。

等しく持つ10年が、どれだけ長く、どれだけ短いか。そんなことを考えた。

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帰り道。この映画を観ていた2時間30分は、自分にとってそれなりに濃い2時間30分だったと思う。仕事だと長い2時間30分も、映画や演劇だとあっという間だったりする。

公園に桜が咲いていた。この桜が次に見ていく10年間に、自分は、皆は、どんな出逢いと別れをしていくのだろう。

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