アジアリーグ、遂に開幕。
皆さん、こんにちは冨田開です。
先週末、ついにアジアリーグ2024-2025シーズンが開幕しました。今年もアイスホッケーの季節がやってきました。北米では9月下旬にシーズンスタートすることが多かったので私にとっては例年と比べ少し早い開幕となりました。開幕戦は9/7、9/8、横浜GRITSのホームにて東北フリーブレイズとの2連戦、結果は1勝1敗となりました。
私にとって初のアジアリーグデビュー、
そしてプロデビューを振り返ります。
開幕戦、先発の責任。
開幕先発を告げられたのは、前日練習の後でした。
練習が終わり氷上で岩本監督から
「任せた」と一言。
いつでも準備は出来ていました、しかし、正直予想はしていませんでした。開幕戦はシーズンの中でも特別な一戦だと思っています。
最初のスタートを決める大事な一戦
ファンの皆さんが待ち侘びていた瞬間。
その瞬間にマスクを被ることは自分にとって光栄なことでした。私はアジアリーグでプレーしたことがなく正直、「読めない選手」です。アジアリーグやプロとしてのスタッツや経験値がない分、どのような結果になるか予想がつきません。これは監督、選手、ファン、そして私自身も同じです。
ゴールキーパーに求められるのは安定感です。どのようなセーブ率を持っているのか(100本打たれた時に何本止めるかの統計)、GAA(1試合平均失点率)がわかるキーパーは「読める選手」として起用しやすいのが基本です。安定しているGKが出場すると試合の流れも読みやすいし、何よりチームの精神的支柱として機能します。インタビューでの岩本HCが仰るように新入団ルーキーGKの起用は「賭け」です。
それでも起用してもらえた、その期待に応えるのが私の仕事でした。
自信があったかは結果論になってしまうので分かりません。それでもプロとして、横浜GRITSの一員として、GRITSブルーのユニフォームに袖を通し、戦う覚悟はできていました。
異様な盛り上がりを見せた会場。オフィシャルチアリーダーズのTOPAZのパフォーマンスから始まり、高まる演出の数々、アリーナDJとファンが一体化したGO!! GRITS!! GO!!コール。横浜GRITSの一員として実感した瞬間でした。プロとして、横浜GRITSの一員としてのキャリアがここから始まるんだと、そう思えました。
開幕戦の目標は勝ち切ることでした。
久慈選手と同じく「勝つために」ここにきました。どんな点差でも、泥臭くても、初戦は意地でも落とすわけにはいきませんでした。「今年のGRITSは一味違うのだと」自分が海外で7年間プレーしてきた誇りを胸に氷に上がりました。見にきてくれた家族、友人、同期にも今プロとして、ここに立っていることを勝利で魅せることが自分の責任でした。
結果は思っていたより、良かったと思います。開幕戦でデビュー戦で完封出来るとは思っていませんでした。正直、嬉しいよりホッとしたが勝ちました。完封は私だけの結果ではありません。チーム全員がブロックショットをし、やるべきことを明確にしたシステムホッケー、そして運もなければ成し遂げることは出来ないのです。勿論、凄く嬉しいです。でも大切なのは勝ち切ったということです。完封しても私自身課題も多く感じました。完封したと完璧なプレーができたは違います。2戦目は5-2で敗戦という結果になってしまいましたし、キルプレーやゴール前でのショートプレーに課題がある感じました。まだまだ未熟というの現実です。
それでも「勝つ」ことはいつも最高です。
その為にアイスホッケーをしているのです。
特別な瞬間
開幕戦の相手は東北フリーブレイズ
私にとってフリーブレイズは特別なチームでした。青森県三沢市出身の私にとってフリーブレイズは幼少期から身近な存在でした。一番最初に見たプロアイスホッケーの試合もフリーブレイズです。
2012-2013シーズン、東北がテクノルアイスパーク新井田でプレーオフ優勝した瞬間を見た小学生の私は鳥肌が立ったのを覚えています。
当時、DFには大久保智仁選手(前フリーブレイズ監督)、そして現在もチームに在籍している橋本三千雄選手、山本和輝選手、田中遼選手(2戦目で2点も決められました)、そして監督は今シーズンもチームを率いる若林クリスさんでした。
そして当初、一番印象に残っている選手はルーキーで加入した畑享和選手です。加入して一年目で東北を優勝に導いた、めちゃくちゃ上手なGKが入ってきたと話題になったのを覚えています。当初、キャッチを顔の横に構える独特なスタイルで、無駄な動きをしないシンプルな、今の私の理想のゴールキーパー像を作ってくれたGKでもあります。現在でも夏の期間は一緒に練習させていただいたり、ご飯に連れて行ってくださったり(冨田家にご飯を食べにくる)、渡米した後も気にかけてくれる素敵な先輩です(とてもアーサー(冨田家の愛犬)のことが好き。
シーズン前の期間は練習に参加させていただいたこともありました。一緒に練習はしていたものの、ホンキの勝負をしたことはありませんでした。
身近にいた目標の存在の選手達がいるそのチームと12年の時を経て同じ氷の上に、別のユニフォームを着て、プロアイスホッケー選手として立っていることは私にとって特別な瞬間でした。
だからこそ尚更、負けるわけにはいきませんでした。最高の舞台で、最高のプレーで、成長したプレーを見せたいと。私が高校を中退から7年、海外で学んできたことを出すのには惜しみない場でした。
これからも対戦するのが楽しみな選手、チームです。
ライバルから仲間へ
横浜GRITSにはもう一人のカイがいます。
同い年、同郷、同じ名前、幼稚園から地元青森県で切磋琢磨しあった杉本華唯選手 #21。幼少期、彼は八戸北ジュニア、八戸第二中学校と常に私がいた三沢ジュニアとはライバルチームに在籍しており、地元の大会の優勝を争う中でした。全国中学校選手権大会ではお互いベスト4まで勝ち進み、日光霧降アリーナで3位決定戦を戦いました(結果は忘れました)。
青森県選抜では小学校中学校と一緒にプレーし、全国三位の成績を残しました。世代別日本代表ではU16、U18と同じジャージを纏い、日の丸を背負って戦いました。同世代では抜群のスキルとスピードを持ち合わせたセンスのあるプレイヤーです(一応褒めておきます)
「いつかは同じチームでプレーしよう」
小中高時代、よくそう言っていたのを思い出しました。
杉本くんは駒澤大学附属苫小牧高等学校を卒業し名門、早稲田大学へ進学。私は早稲田実業学校を卒業し、早稲田大学に進学しようやく同じジャージを着て同じチームでプレイする予定でした。しかし私は高校三年生で高校を辞め、海外に渡ってしまいその夢が叶うことはありませんでした。
今年の6月、私は横浜GRITSに入団することを決め、初めて杉本君と同じチームで、同じジャージを着て、プレーすることになりました。小中高のライバルと、そして世代別代表で日の丸を背負って戦った戦友とプロで初めて同じチームになる。少し運命を感じました。
入団が決まり最初に来たLINEは
「どこに住むの?」でした。
アツい男ですね、杉本華唯くん。
開幕戦の前日練習の後、2人で新横浜の中華料理屋さんに行き、これまでのことを少し話しました。お互い頑張ってきた場所は違えど、今同じチームにいること。これからのGRITSを強くしていきたいと、そう話しました。
「明日は俺が止めて、お前が決めて、勝つ」
そう話して店を後にしました。
俺が止めてお前が決めないで勝ってしまいましたが、杉本君は大事なところでやってくれる男です。その約束はこれからの楽しみにしたいと思います。(いつもこんな感じで話している関係性です)
これからの2人での新しい挑戦も密かな楽しみです。
最後に
試合後に
「横浜GRITSに来てくれてありがとう」
そう言われました。
一人一人の顔や名前はわからないけど、
横浜GRITSが好きで、
アイスホッケーが好きで、
リンクに足を運んでくれる人たちがいる。
応援し続けてくれる人たちがいる。
その人達のためにも、
これからも頑張ろうと思えた試合でした。
今年もまたアイスホッケーの季節がやってきました
最後まで読んで頂きありがとうございます。
今回はご飯を待つアーサー君とお別れです。
開幕戦の裏話【とみた会】
こちらからはとみた会限定のnoteになります。
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