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職場を悩ます若手社員の精神構造

 精神科医の片田珠美氏の『職場を腐らせる人たち』に紹介されている臨床例から、若手社員の「コスパ意識」「自己愛的態度」とその背景について端的に示されています。

< IT系企業に勤務する20代の男性社員は、結果さえ出していれば協調性なんて要らないと思っているのか、大量の仕事を抱えた同僚が忙しそうにしていて困っていても、手伝おうとしない。上司が手伝うよう促しても、「僕の仕事ではありませんから」と言って、協力しない。
 上司が「君が困ったら助けてもらうかもしれないのだから、お互い様だと思って、協力するのが同じ課の仲間だろう」と諭しても、「僕、ちゃんと結果出していますよね?僕、何かおかしなこと言っていますか?そもそも、これは僕がやるべき仕事ですか?」と頑なに手伝おうとしない。それどころか、「できない奴の仕事を手伝っていたら、自分の仕事ができないじゃないですか。結局、優秀で真面目な人間にしわ寄せがくるじゃないですか。そんなの真っ平ごめんです」と怒り出す。
 たしかに、この部下が業績をあげているのは事実なので、上司としては反論しにくいという。しかも、名門大学を優秀な成績で卒業しており、将来の幹部候補として一部の役員から目をかけられているようだ。そのため、「自分は特別だから多少のことは許される」という特権意識を抱くようになったかもしれない。>

片田珠美『職場を腐らせる人たち』講談社現代新書 p.29

 ここで重要なのは、20代の若手男性社員は頑なに能力主義を掲げる分、他者との共感性に乏しいということになります。他の社員が膨大な仕事量に忙殺されて困り果てていても、「あなたの能力がないからですよ。」とけなし、不寛容な態度をとっているようです。片田氏はこうした価値観が出来上がった背景について分析しています。

< 最近の若者は、コストパフォーマンスに敏感で、「コスパが悪いから」という理由で恋愛にも結婚にも消極的になっていると聞く。
 しかも、時間対効果を意味する”タイムパフォーマンス”、略して”タイパ”なる言葉も登場した。この言葉に如実に表れているのは、自分がかけた時間に対してどれだけの見返りがあるか、どれだけ満足を得られるかを重視する姿勢だろう。
 このように効率のいい時間の活用を何よりも重視し、時間の浪費をできるだけなくそうとする若者が、同僚の仕事を手伝わないと聞いても、あまり驚かない。むしろ、当然のように思われる。
 おまけに、頑張っても報われないとか、頑張るだけ無駄だとか思い込んでいる若者も少なくない。>

前掲書 p.31

 さらに片田氏はその背景について日本経済の凋落が物語っていると指摘しています。

< Z世代が生まれた1990年代後半以降、日本経済はほとんど成長できないまま停滞しており、会社という組織の理不尽に耐えた"見返り"ともいえる終身雇用や年功序列の制度を維持するのが困難になった。この情勢を目の当たりにして育った彼らが「辛抱して頑張っても、理不尽に耐えても報われない」と思い込むようになったとしても不思議ではない。
 そのうえ、現在の勤務先への帰属意識が希薄になったことも大きい。昭和の時代であれば定年まで同じ会社で働くのが当たり前だったが、昨今は必ずしもそうではなくなった。それと軌を一にして、離職や転職に対して抵抗感をあまり覚えない人も増えたように見える。当然「どうせ定年までいるわけではないので上司の指示に従う必要はない。我慢して嫌な仕事を引き受ける必要もない」という認識が生まれやすい。
 その裏には、たとえ自分が無理して頑張っても、会社の倒産やリストラに直面する可能性だってあり、そうなれば"働き損"になりかねないが、そんなのは嫌だという心理が潜んでいるのではないか。>

前掲書 p.31-32

 10代や20代、30代の若者たちが「働き損」「コスパ意識」「能力主義」に傾いていく理由がよくわかります。現代日本社会では新自由主義的価値観が都市部を中心に浸透しており、できない人に向けて「自己責任」を押し付ける風潮が目立っています。それが2024年東京都知事選挙で彗星のごとく現れた石丸伸二氏に圧倒的な支持を集めたことの証左でしょう。
 石丸氏も徹底的に無駄を省く政治家ですから、経済にとってプラスになるものしか考えていません。彼に共感する若者たちも企業家精神を身につけていくかもしれません。

 しかし、企業家としてビジネスを展開するようになった場合、失敗した時のリスクをどう考えているのでしょうか。事業が成功に導いたとしても、社会事情や世界情勢に左右されて泣く泣く撤退することもあるのです。
 2024年1月1日に発生した能登半島地震沖は甚大な被害を受けることになりました。石川県民の方々が突然の幸せな生活を奪われ、塗炭の苦しみを抱えながら生きざるを得ないのです。被災地の窮状を目の当たりにしても、「関係ない」と切り捨てるとしたら、同じ目に遭遇した時に打開策があるのでしょうか。
 自己責任を主張する人が自らの事業に失敗したとしたらどう考えるでしょうか。それこそ他人が助け舟を出す必要がないという論理になります。

 もちろん、ビジネスを起こすことを悪いとは言いません。事業を展開する目的や方針があるなら、実力のある者はどんどん開拓していくべきです。一方で、初めから企業経営者に向いていない人間も少なからずいます。会社や役所などの組織で楽しく働いている姿を見れば、その生き方でいいと誰しも喜ぶでしょう。それでも、仕事において困りごとが出たら手を差し伸べることは重要な役割だと思うのです。

 これ以上の日本経済の停滞が続くとなると、世代間の経済格差と人々の分断が拡大するおそれがあります。そのことを肝に銘じる時期に来ています。

<参考文献>

 片田珠美『職場を腐らせる人たち』講談社現代新書

ご助言や文章校正をしていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。