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それ半導体のおかげです:入門前0-00 プロローグ - 思い出話

 みなさんは、こんな経験ありませんか?
 私が物心ついたとき、カラーテレビは木製フレームで家具みたいだった。テレビのリモコンのスイッチを押すと、テレビ本体のダイヤルがガチャガチャ回った。もしくは逆に回るのを兄弟で楽しんだ。子供を持つようになった。食事が終わると、子供達は、各々の部屋でネット動画をスマホで見ているらしい。リビングの薄型大画面テレビは、黒い板のままの時間が長くなった。

 家に突然、テレビゲームがやってきた。弁当箱みたいなプラスチックの箱にダイヤルが2個か4個ついているものだった。友達何人かで代わりがわり肩を付き合わせながらダイヤルを回して、画面を右に左に動くボールを上下に動く四角いブロックで跳ね返す。そんな単純なことで一喜一憂して笑いあった。大人になったら、賢い電話機でゲームができるようになった。対戦相手の顔も名前も知らない。

 家には、突然リーンリーンとなる黒い電話があった。家族の誰かが駆け寄って、電話を取り、もしもしと受け答えした。長電話になると「もう終わりにしなさい」と叱られた。内容も家族に丸聞こえだった。大人になったら、自分用の携帯電話を持つようになった。子供には、あたりまえのようにスマホをあたえ、いつ誰と話をしているのかわからなくなった。

 子供のころ、親には、よく新聞を読みなさいと言い聞かされた。でも、テレビ欄しか見なかった。当時、文字となにかわからない写真が載っていた。いつのまにか、新聞にはきれいなカラー広告が載るようになった。最初は色ずれしていたが、気が付くと現像した写真のようにきれいになった。自分の子供に新聞を読みなさいと言おうとした。すでに親子ともに、スマホのネットニュースしかみていない。

 会社に入ったころ、手書きや白黒印刷の回覧物が机の上をいったりきたりしていた。誰かの机の回覧物の山は、不定期で捜索活動がおこなわれた。そのころパソコンは、部署に1台だった。そのうち、白黒画面のノートパソコンがひとり1台割り当てられた。机の上の回覧物はなくなった。でも、パソコンの画面は、読み切れないほどのメールであふれている。

 仕事がこなれたころ、会議で発表するように言われた。OHPシート(透明なプラスチックの紙)に手で書いたり、方眼紙に手書きしたグラフをコピー機でOHPシートに印刷した。ハイライトは、専用の赤ペンでアンダーバーを引いた。パソコンがプロジェクターにつながるようになった。会議の直前まで、パソコンで資料を編集・修正するようになった。会議は、プレゼン先との質疑応答よりも、上司のつっこみがメインになった。

 いかがでしょうか? 実体験や友人の話をもとにしたフィクションですが、50代前後のみなさんは、なつかしくありませんか?。あー、そういえばって事は、他にもたくさんありますよね。こんなドラスティックな変化を直接体験したり、エンジニアリングに直接関わったのは、50代前後の我々だけではないでしょうか?

 そんな経験を活かしてここでは、
  「生活が豊かになりましたよね」を
  「半導体のおかげです」としてまとめ、
  「エンジニアが、いつ頃、どんなことを、頑張ってくれたのか」
  「特許出願件数の移り変わり」を使って述べてみたいと思います。特許検索では、想定外の結果もでてきて、なかなか楽しいです。

 御笑覧いただければ幸いです。

#半導体
#理科
#サイエンス
#まなび
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