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『ソレルとおどろきの種』【試し読み】


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『ソレルとおどろきの種』ニコラ・スキナー [著]/宮坂 宏美 [訳]

(以下、本文より抜粋)


 ひざをついて、コンクリートの割れめをのぞいた。はさまっていたのは、茶色くて紙っぽいものだった。
 とつぜん、宿題なんてどうでもよくなった。制服のズボンがよごれるのも気にならない。わたしはなんとか奥のほうに手を入れようとした。けど、とりたいものは割れめから十五センチも下にあるし、すきまがせますぎて、指がぜんぜんとどかない。
 キッチンにかけこんで、戸棚の引き出しをあけ、あわただしくなかをさぐった。あれをひっぱりだすには、なにか細くてとがったものが必要だ。バーベキュー用のトングは? だめ、入らない。おつまみにさすピックは? いいかも!
 外にかけもどって、またコンクリートにひざをつき、割れめにピックを入れてみた。太さはちょうどよかったけど、長さが足りない。いらいらして、泣きそうだった。なんでこんなに気になるのか、自分でもわからない。魔法にでもかかったみたい。
 いそいで家へもどって、二番めの引き出しをあけたら、書類でぱんぱんの黄ばんだプラスチックのファイルと、ラップがひとまき出てきた。書類にラップをかけたいならうれしいけど、裏庭から出てきたなぞのものをひっぱりだしたいときには、うれしくもなんともない。
 もうあきらめようか。いいかげん、宿題をやらないと。
 ヤナギの木の下にプリントをとりにいきがてら、これで最後とばかりに、あの割れめに目をやった。なんだか変だ。はさまっていたものが……動いたみたい。
 紙のはしっこが割れめからとびだしてる。あれならかんたんにとりだせそう。でも、さっきは指がとどかないくらい深く入りこんでたはずだよね? いったいどういうこと?
 かがんで紙をつまむと、骨までひびくなにかのエネルギーが腕をかけのぼって、頭にイメージがぱっとうかんだ。
 みずみずしくてあざやかな緑の草。からまっている木の根っこ。
 つまんだものを完全にひっぱりだして、広げてみた。手にのせると、とても軽くて、なにものっていないみたいだ。
 わたしが手に入れた宝物はなんだったんだろう。そう思って、まじまじとみつめた。
 それは……茶色の封筒だった。
 土をはらうと、流れるような字で「おどろきの種」と書いてあるのがみえた。古めかしい緑のインクが色あせている。
 その文字の下には「自然播種」とあった。
 封筒をひっくりかえして、もっとなにか書いてないか、もうちょっとわくわくすることはないかとさがしたけど、ほかにはなにもなかった。
 つまんないの。
 わたしはいらいらと封筒をふった。そしたら、ガサガサ音が鳴った。
 もう一度ふると、やっぱり音がする。うわあ。
 あけるつもりはなかった。だって、なにが出てくるかわかんないもん。かわりに夕日にかざしてみると、うすい紙のむこうに、小さくて黒いものが三十個くらいみえた。
 形はどれも丸くて、細い足みたいなものがひょろっと四本ずつのびていた。虫みたいに動いてはいなくて、ずいぶん前にひからびたようにみえる。でも、なんだか気味が悪い。かちかちに固まった小さなクラゲって感じ。
 黒いつぶつぶをもう一度みた。わたしがなにかするのを待ってるみたい。けど、なにをすればいいの?
 きゅうに顔がかっと熱くなった。だまされたって気持ちが、むくむくわきあがってくる。だって、みつけたものが、期待外れもいいところだったから。
 わたしは封筒をぐしゃっとにぎりしめて、プリントをひろいあげ、家のなかにすたすたもどって、裏口のドアにしっかりかぎをかけた。

 ママは「最高の職場」で働いている。チーズの山と、トマトソースの海と、スパイシーなペパロニ用の肉をずっとみているのが仕事だから。肉は何本もの太いチューブに入っていて、ピザの神様のおめぐみが天からふってくるみたいに、工場の天井からおりてくる。
 ママは、地元の冷凍ピザの工場「チルズ」で、ピザをつくってるんだ。
 もっと正確に言うと、ピザをつくってるのは機械なんだけどね。つまりママは、ピザをつくる機械をみてるってわけ。機械をきれいにしたり、問題が起きたときに調整したり、よけいなものが入ったときにとめたりするのが仕事。だから、ピザ職人っていうよりは、機械の世話人かな。
 少なくともママはそう言ってる。でも、わたしからみると、ママはやっぱりピザ職人。ピザ柄のすてきな作業服も着てるしね。赤と緑がちりばめられてて、安くて大人気の「チープ・チルズ」シリーズのピザみたいな服なんだ。わたしはあの作業服が好きだし、胸ポケットについてる三角のバッジも大好き。バッジにはこう書いてある。

 おまけにママは、ベルトコンベヤーからはじきだされたピザを最初にもらうこともできる。そういうピザは、具が多すぎたり、少なすぎたり、きれいな丸の形になっていなかったり、厚さ二センチ一ミリっていうチルズの規格から一ミリずれていたりする。
 ママはそれを車のトランクに入れられるだけ入れて持ちかえる。規格外のピザは、わたしの大好物だから。チーズたっぷりで、スパイシー。マッシュルームっぽい、よくわからないトッピングもついてくるんだけど、その正体をだれも知らないってことは、おいしさのひみつなんだと思う。それがぜんぶ、わたしのものなんだ。どういうわけか、ママはぜんぜん手をつけないから。

 家のなかに入って、「おどろきの種」の封筒をテーブルにほうりなげた。冷凍庫から規格外のピザをとりだして、オーブンに入れ、さっき裏庭で起きたことを考えた。
 ママも工場で地震を感じたかな? ピザになにか影響はある? あの封筒はどうしてあんなところにうまってたんだろう? コンクリートがこわれた裏庭をみたら、ママ、怒っちゃうかな?
 ああ、頭がパンクしそう。もっと楽しいことを考えて、落ちつこう。ママとわたしはいま、ポルトガルに着いた飛行機からおりるところ。ママがわたしをふりかえって、にっこり笑っている。ママの目の下から、灰色のくまが消えている。
 かすかにココナッツのかおりがするそよ風が、わたしたちの髪をゆらす。ほんとにそこにいるかのように、はっきりママの声がきこえる。
「ソレル、学校はどうだった?」
 ああ──学校?
 思いえがいていた光景が、短くて黒い髪を金色にそめた、背の低い女の人に変わった。鼻の先のほうにかけているべっこうのめがねも、かっこいいピザ柄の作業服もいつもどおりだけど、さっき想像したときほどにっこりはしていない。
「きょうはどうだったの?」
 ママは、両手でわたしのほっぺたをはさんだ。
 わたしは、ママの冷たい手をひきはがしたいのをがまんした。(ママの手はいつも冷たい。氷点下のところで働いたら、だれだってそうなるよね。これぞ、クールなママ!)
 えーと、ママにどこから話したらいいんだろう?
「さっき地震があったと思うんだけど」
 蛇口からポタッと水が落ちた。
「え?」
「裏庭に出たら……まわりがものすごくうるさくなったの。チェーンソーの音かと思ったら、ハトで……。ピザはだいじょうぶだった? わたし、心配で……」
「なんの話?」
 ママは片方のまゆをあげて、さぐるように言った。
 わたしは深呼吸をして、ゆっくり言いなおした。
「裏庭がゆれたの」
「裏庭がゆれた?」
「そのあと、コンクリートがこわれたの」
「コンクリートがこわれた?」
 わたしは裏口のドアのかぎをあけて、ふるえる指でぼろぼろのコンクリートをさした。
「ほら」
 ママは、両手をぱっと顔にあてた。口をあけたけど、言葉は出てこない。その場につっ立って、ひび割れたコンクリートをみている。
「わ、わたしのせいじゃないよ、ママ」
「でしょうね。こうなったとき、ソレルはどこにいたの?」
「あのヤナギの木のそば」
 ママは顔をしかめた。
「約束したでしょ、ソレル。ヤナギには近づかないって。あの木は危険なんだから」
「けど、しかたなかったんだもん」
 わたしは、校長先生からのだいじなプリントのことや、プリントがヤナギの枝にひっかかったことを説明した。ママは、プリントにもコンテストにも興味がなさそうだった。でも、ちゃんと理解すれば、わたしに負けないくらいわくわくしてくれるはず。
 ふたりでキッチンのテーブルにもどると、ママは深いため息をつきながらいすにすわって、めがねを外した。
 それから、ちょっと目をこすって、ケータイに手をのばした。
「このへんで地震が起きたっていうニュースはないわ」
 かみすぎて短くなったつめが、画面の上を行ったり来たりしている。
「きっと地盤沈下ね」
「え?」
「地面がしずむと、ゆれが起こる。コンクリートもこわれる。そういうこと」
 ママは立ちあがって、やかんの前へ行った。
「きっとヤナギのせいよ。あんなに病気なんだもの。根っこがみんなだめになって、まわりの地面がくずれたのね。もう二度と近づかないって約束してちょうだい」
 お湯をわかすあいだ、ママは耳につけている小さな銀の輪っかをいじりながら、窓の外をみつめた。
「いまいましい木ね。一生めんどうをみなくちゃいけないどころか、裏庭の修理代まで──」
「一生めんどうをみるって、どうして?」
 そう言ったとたん、いい考えがぱっとうかんだ。ママより先に思いつくなんて、わたしって頭いい。
「切りたおしちゃえば?」
 ママは、わいたお湯でマグカップに紅茶をいれて、ミルクを足した。
「この家を買うとき、あの木をひっこぬいたり傷つけたりしないっていう契約をしたの。弁護士がすごく強引でね、いろいろサインさせられちゃったのよ」
 そして、クッキーをかじってからつづけた。
「正直に言うと、ちゃんと考えるよゆうがなかったの。ソレルは赤ちゃんだったし、パパはどこかへ行っちゃうし、ふたりで住む家がすぐに必要だったから」
 ママは紅茶を飲んで、雲をみあげた。
「でもそのころ、あのヤナギはまだそんなにひどくなかった。ぜったい年々ひどくなってるわ」
 ヤナギの木にもう一度うんざりした目をむけてから、ママはいすにもどった。にじんだマスカラのせいで、目の下のくまがますます黒っぽくみえる。
 パイプのうなる音がした。わたしは落ちつかなくなった。まただ。この家の重苦しさがママにしみこんでる。
 でもママは、わざと明るい笑みをうかべて、わたしの手をとった。
「心配しないで。大そうじをするいい機会になるかもしれないし。新しいコンクリートをしいて……」
 そう言いかけたところで、プロっぽく鼻をくんくんさせた。
「このにおいは、正体不明トッピングの規格外ピザ?」
「うん」
「手づくりのレモネードといっしょにどう?」
「ありがとう」
 ママが冷蔵庫をさぐっているあいだに、わたしはオーブンからピザをとりだした。テーブルにスペースをつくったとき、あの「おどろきの種」が目に入った。わたしがほうりなげたときのまま、塩とコショウのそばにある。ママなら、これがなんなのかわかるかも。
「ねえ、ママ」
 わたしは封筒をさしだした。ところが、きゅうに言葉につまって、その先が言えなくなった。上下のくちびるがぴったりくっついて、声が「んー」しか出てこない。
「ああ、ピザがおいしいのね」
 ママは流しのほうへ歩いていく。
 わたしはママをよびもどそうとした。
「んー! んー!」
「はいはい、わかりました」
 ママは、パイプのうなり声に負けないように大声で言うと、レモネードをわたしの前においた。
「上に行って、着がえてくるわね」
 だめだ。わたしはあわててペンをさがした。メッセージを書けば、助けてもらえるかもしれない。でも、なんて書けばいい? お医者さんをよんで、とか?
 やっぱりやめたほうがいい気がする。ただでさえママはいそがしいし、それに、もしわたしのことを自分の友だちに話しちゃったら? すぐにうわさが広まって、「ソレルのことがちょっと心配」だったのが、「トリクシーの娘は頭がおかしくなったらしいわよ」になる。ガチゴチーニ校長先生のもとへとどくころには、「従順な生徒だと? あいつは、自分の口をしたがわせることもできないやつだぞ」になってる。それどころか、クラスメートのクリッシーが、わたしにいまよりひどいニックネームをつけるかもしれない。有力候補はきっと「くちびるソレル」だ。
 わたしは、通学用のリュックをつかんで、封筒をその奥深くにおしこんだ。封筒がかくれてみえなくなったとたん、口がまたあくようになった。
「テスト、テスト」
 やった、これでまたしゃべれる。
「なにか言った?」
 いつのまにか、ママがキッチンの入口にもどっていた。下は黒いジャージ、上はデニムのシャツで、顔はいかにも心配そうだ。
「なにも」
 ひみつがはじまったのは、たぶん、このときからだった。

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