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『われわれはなぜ嘘つきで自信過剰でお人好しなのか 進化心理学で読み解く、人類の驚くべき戦略』【試し読み】

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『われわれはなぜ嘘つきで自信過剰でお人好しなのか 進化心理学で読み解く、人類の驚くべき戦略』
ウィリアム・フォン・ヒッペル [著]/濱野 大道 [訳]

(以下、本文より抜粋)


はじめに
第1部 われわれはどのようにヒトになったのか
第1章 エデンからの追放
第2章 出アフリカ
第3章 作物、都市、王様──農業シフトがうながした心の進化
第4章 性淘汰と社会的比較
第2部 過去に隠された進化の手がかり
第5章 ホモ・ソシアリス──社会的なヒト
第6章 ホモ・イノバティオ──革新するヒト
第7章 ゾウとヒヒ──道徳的・非道徳的なリーダーシップの進化
第8章 部族と試練──進化心理学と世界の平和
第3部 過去から未来への跳躍(リープ)
第9章 進化はなぜ人間に幸せをもたらしたのか
第10章 進化の命令のなかに幸せを見つける
おわりに
謝辞
参考文献


 こんな世界を想像してみてほしい。退職後の生活のために貯蓄を望む人々は、パートナー関係を組んで共同名義口座を作ることに同意してくれる異性を見つけなければいけない。退職後、両者は利子付き口座から平等に金を引き下ろすことができる。しかし貯蓄をする段階では、男性が口座に1ドル入金するたびに、女性は100万ドル入金しなければいけない。さらに、同意してくれる異性のパートナーが見つかるかぎり、いくつでも共同名義口座を作ることができる。理不尽なルールではあるものの、もしそんな世界が存在したら、あなたはどうするだろう?
 この問いへの答えは、男性か女性かによっておそらく異なるにちがいない。もしあなたが男性なら、相手が健康でさえあれば、喜んで共同名義口座を作ろうとするはずだ。投資に対してこれほどの利益率を期待できるとすれば、失うものなどなにもないに等しい。相手の女性がどんなにひどい性格の持ち主だとしても、かなり割のいい取引であることに変わりはない。しかしながら、あなたが女性だとしたら、困った状況に陥ることになる。当然、一定の貯蓄をしてから退職できるように、共同口座を作る必要はあるだろう。その一方で、あなたにとって非常に不利なルールが設定されているため、共同口座の相手を選ぶときにはかなり注意深くなるはずだ。たとえば、気の短い男性はやめたほうがいい。世のなかには性格のいい男性など数多いるというのに、わざわざそんな面倒な共同口座のパートナーを選ぶ必要などあるだろうか。相手が音痴だったら? そんな痛みや苦しみに耐える価値はない。もっと歌が上手な男性(あるいは歌を歌わない男性)がきっと現われ、パートナーになってくれるにちがいない。そのような条件はどこまでも延々と続く……。
 この例からも明らかなように、共同の結果に対して多くの資源を投資する側のほうが、相手を選ぶときに主導権を握ることになる。より少ない量を貢献する性は、より多くを貢献する性による投資を手にしようと争い合う。結果、投資の多い性は投資の少ない性よりはるかに選択にこだわるようになる。アメリカの進化生物学者ロバート・トリヴァースが提唱したこの「親の投資理論」は、動物界における交配戦略と配偶者争奪戦に性差があることを解き明かそうとするものだ。
 生物学では、より大きな配偶子(生殖細胞や卵)を作りだす動物はメスであり、より小さな配偶子(精子)を作りだす動物はオスとなる。多くの動物は、オスとメス両方の親の活動の総和として配偶子を作りだす。たとえばメスのカエルは卵を産み、オスのカエルはそれに向かって精子を浴びせ、そのあと二匹は夕陽のなかを去っていく。残された数百~数千の受精卵はオタマジャクシへと孵化し、やがて大きく強い生き物へと成長するか、もしくは通りかかった魚の餌になる。このような種においては、卵を産みつけて精子を吹きかけるという行動以外には親としての努力は必要ないものの、その程度の生殖活動も大きな投資であることには変わりない。
 卵を産むために必要な生体物質の量は、精子を作りだすのに必要な量よりもはるかに多い。そのためトリヴァースの理論では、オスのカエルが選ばれるために競い、メスのカエルが選択を行なうことになると示唆されている。まさに、それこそが実際に起きていることだ。たとえばカエルの多くの種では、オスが池などのまわりに集まり、できるかぎり長く大声でゲロゲロ鳴こうとする。メスはあたりをぴょんぴょん飛び跳ね、オスの鳴き声の大きさ、音の高さ、その長さを比較し、いちばんの鳴き声の主を突き止めて勝者と交尾する。
 カエルは多くのハエを食べて丈夫な卵や精子を作ろうとするが、人間が子どものために捧げる親としての活動量はカエルをはるかにしのぐものだ。わたしたちが子どもに与える感情的および社会的エネルギーの量を測るのはむずかしいものの、生物学的に必要なものを計算することはできる。人間は哺乳類なので、生殖に対して求められる女性側の投資は、たんにより大きな生殖細胞を生みだすことだけでは終わらない。卵子を作りだしたのち、人間の女性は九カ月にわたって胎内に胎児をやどし、すべての栄養を供給しなければいけない。
 出産を終えた先祖の女性たちは一般的に、二年にわたって赤ん坊を母乳で育てたため、そのあいだに乳児が摂取するほとんどのカロリーは母親から与えられた。食料棚に行くだけで次の食事が手に入る現代の世界では、たいした問題にはならないかもしれない(たしかに、幼い息子が人間吸引器のように大量の母乳を吸うことを、わたしの妻は喜んでいた)。しかし、わたしたちの祖先にとって、子どもを妊娠して育てるために必要なカロリーを確保するのはひどくやっかいなことだった。彼らは、自分たちが食べるすべての物を狩って殺し、あるいは掘り起こして家まで運ばなければいけなかったのだ。
 親の投資に対して生物学的に男女に定められた差は大きく、人間の男性が子どもをもうけるために捧げるエネルギーを1とすると、人間の女性は100万以上を捧げなくてはいけないことになる*1。ここで、さきほどの老後のための共同口座のたとえ話を思いだしてほしい。女性には、自己犠牲をともなう投資がより多く必要となる。結果として、男性は女性を求めて競い合い、女性は男性よりも相手選びに慎重になる。
 男性が異性のパートナーを得るために争うときの大切な方法のひとつに、女性と子孫に食糧、住まい、安全を与える能力があることを示すというものがある。子どもを産むために必要なカロリー量について考慮したとき、女性にとって男性のこの能力は大切な問題となる。男性たちは、自分が良き扶養者である証拠を示すことによって、この問題に向き合うよう進化してきた。たとえば先祖たちは、腕のいい狩人になることによって扶養する能力を示した。現代の男性はいい大学に行っていい仕事に就いたり、富を示したりして扶養能力があることを伝えようとする。第10章で論じるとおり、人間の夫婦はふたりだけで長期的な絆を築きながら協力して子どもを育てようとする。よって人間による配偶者の選択は、両者の合意で決まる。この理由から、これらの性差が引き起こす問題にくわえ、男性と女性双方のあいだでより望ましい相手を得るための大きな競争が生まれることになる。


性淘汰


 生殖は進化の通貨である。もしすべての動物の子孫が同じ数だけ生き残ったら、進化は起きない。生き残ることは大切だとしても、それは生殖に成功して次の世代に遺伝子を受け渡すために長く生きるという意味においてのみだ。多くの子孫を首尾よく育て、近親者の繁殖をうながす生物は、次の世代に自分たちの傾向を伝えることができる。それをできない生物の遺伝子は絶え、彼らのもつ傾向は遺伝子プールから消える。このようにして、繁殖の成功にかかわる特徴や行動は、繁殖と関係のない特徴や行動に比べてより〝一般的〟なものになる。
 こうした淘汰のプロセスの影響によって人間は、生殖の成功を高める活動を楽しみ、低める活動を嫌うように進化した。たとえば、大人の人間のほとんどはセックスを楽しみ、ほとんどの人間は糞便を不快に感じる。当然ながら、セックスをすることによって遺伝子が次の世代に引き継がれる可能性は高まる。同じく当然ながら、糞便を食べることによってその可能性は低くなる。ただし生殖の成功に関していえば、セックスをすることと糞便を食べることは同列の活動ではない。性交は生き死ににはほとんど影響しないが、子孫を作るということには直接的に関連する。対照的に、糞便を食べると生き残る確率が下がり、よって生殖成功の確率も減る*2。
 生存に直接的に影響する要因と、生殖に直接的に影響する要因をこのように区別するのは、進化論の父であるチャールズ・ダーウィンにとって欠かせないことだった。もしわたしが1000歳まで生きたとしても、生殖をしなければ、驚くべき長寿も進化にはまったく無関係なものになる。しかし、子どもが大人になるのを見届けるまでそこそこ長生きしたとしたら、わたしの生存は生殖の成功をうながしたことになる。より直接的に影響を与えるのは、わたしが相手を魅了して成功裏に生殖できるかどうかという点だ。それゆえ、相手を惹きつけて自分のもとにつなぎ止める能力は、進化論の核をなす要素となる。ダーウィンは、異性を惹きつける能力を高めるというプロセスをとおして起きる進化を「性淘汰」(sexual selection)と呼んだ。
 性淘汰は進化において強い影響力を発揮する。異性が不快だと感じる特性があれば、(たとえ生存率を上げるものだとしても)その特性は集団のなかから消える可能性が高くなる。なぜなら、その特性の持ち主は配偶者を見つけることに苦労するからだ。たとえば、何か怖いことがあるとすぐに物陰に隠れる超臆病な性格の男性がいたとする。この特性は生き残るためには役に立つかもしれない。しかし多くの女性は、そういった男性は自分や子どもを護ることができないと考え、その特性を望ましくないものだととらえるにちがいない。いまもむかしも、超臆病な性格の男性がそれほど多く存在しないのはそのためだ。あるいは、少なくとも女性がまわりにいるときに、超臆病に振る舞おうとする男性はそれほど多くない。同じように、異性が魅力的に感じるなんらかの特性があるとき、たとえそれが生存の可能性を低める危険なものだとしても、より多くの生殖の機会を得ることにつながるため、集団のなかで一般的なものになるケースもある。
 ここで、こんな疑問が浮かんでくる──異性はなぜ、生存を脅かすような特性を魅力的に感じるのか? その謎を解き明かすために、この地球でもっとも驚くべき鳥の一種であるクジャクのオスとメスの差について考えてみよう。メスのクジャクは落ち着いた性格の鳥で、身体のほとんどは灰褐色の羽で覆われ、実際に必要なよりも少し長めの尾羽をもっている。巣に隠れたメスのクジャクはまわりにうまく溶け込めるため、たとえ腹を空かせたトラでも、その存在に気づかずに巣の横を素通りしてしまう。一方、オスのクジャクの身体は大胆不敵なほど派手な羽に覆われており、動物界随一の奇抜な飾り羽をもっている。オスのクジャクの鮮やかな色合いは、眼の悪いトラの注意さえ惹いてしまい、大きく仰々しい飾り羽のせいで身を隠すことはよりむずかしくなる。
 色鮮やかで仰々しいオスのクジャクの飾り羽は、生き残るためには大きな妨げになっているようにも見える。この点について、ハーバード大学の植物学者エイサ・グレイに宛てた文書のなかでダーウィンが次のように伝えたのは有名な話だ。「クジャクの飾り羽というものを見るたび、気分が悪くなりますよ!」。ダーウィンが歴史上もっとも偉大な科学者のひとりになったのは、彼が驚くべき洞察力をもっていたからだけではなく、自分の理論の弱点にきちんと向き合おうと賢明に研究を重ねたからだ。クジャクの例の場合、ダーウィンが最終的に突き止めたのは、派手な色合いと巨大な飾り羽が生存に与える危険は、繁殖率の増加によって相殺されるということだった。オスのクジャクの飾り羽が繁殖の成功率を上げる理由を解き明かすためには、一部の特性が異性になぜ魅力的に映るのかについて考える必要がある。

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