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【先行掲載】〈ウィル・トレント〉シリーズ最新刊! カリン・スローター著『破滅のループ』霜月蒼さん解説 ※重要告知あり

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『破滅のループ』カリン・スローター 著/鈴木美朋 訳

解説
霜月 蒼(ミステリ評論家)

 カリン・スローターは容赦を知らない。

 ミステリとは犯罪をめぐる謎を解決することで読者をスッキリさせる物語である。事件の発生によって破壊された日常が事件の解決によって回復されるというエンタテインメント。最後に犯人や動機が明かされて、「ああよかった、僕たちはこの世界でまた安心して暮らしてゆける」という安心感とともに溜飲が下がる。そういう小説だ。

 でも本当にそうなんだろうか? 事件が解決すれば「ああよかった」と思えるのだろうか。それで被害は回復されるのだろうか。日常は戻るのだろうか。

 カリン・スローターという作家が容赦なく追及するのはそこだ。犯人が捕まっても「ああよかった」なんて言えやしないことを、簡単に日常なんて戻らないことを、犯人と似たような人間はあなたを含めてそこらじゅうにいることを、誠実に、容赦なく、真正面から描きつづけている。犯罪被害の苦痛をスローターは見つめつづける。そしてそれを、物語を通じて僕たちに伝えようとしている。

 スローターの小説を読むということは、苦痛を経験するということなのだ。

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 正直に告白すれば、僕はスローターの真価に長いあいだ気づかずにいた。デビュー作『開かれた瞳孔』(早川書房)が二〇〇二年に日本で刊行されたとき、僕はこれを『羊たちの沈黙』(新潮社)のコピー商品のひとつだと思い込んで読まずにすませてしまったのだ。その頃、英米では、異常快楽殺人スリラーが濫造されていたからである。

 ――腹部を十字に切り裂かれて性的暴行を受けた女性の死体が発見され、自身も性被害の過去がある美貌の検死官が真相を追う。事件はやがて連続殺人に発展し……という話で、セックスとヴァイオレンスのインフレという当時の流行に迎合するものに見えた。

 しかし、それは間違いだった。『開かれた瞳孔』の十数年後に邦訳された『ハンティング』を読んで、僕はようやくそれに気づく。同作は、本書破滅のループと同じくウィル・トレントを主人公とするシリーズの第三作。読みはじめた当初こそ、作中で描かれる事件のあまりの凄惨さに、なぜこの作家はこんな過剰に残虐な犯罪を書くのだろうととまどった。しかし読み進めるうちにわかってきたのである──この残虐性はスローターが書きたいテーマを表現するための必然であり、彼女が凄惨なサイコ・スリラーを書くのは、自分が訴えたいことを伝える最適のフォーマットがこれだからなのだと。ならばスローターは残虐な犯罪描写を通じて何を書こうとしているのか。

「女性にふりかかる暴力」であり、「暴力犯罪の被害者となること」である。

 犯罪小説における女性は長らく「物語を盛り上げるための被害者」として扱われてきた。一九二〇年代のパルプ雑誌の表紙をご覧になるとわかるだろう、彼女たちは下着姿で恐怖の悲鳴をあげる嗜虐的なセックスのアイコンとして描かれてきた。あるときは暴力の犠牲となった美しい死体、またあるときは暴行の寸前でヒーローに救われる「お姫様」。彼女たちは暴力のエンタテインメントを成立させる「被害者」という名の道具だった。

 だが暴力の被害というのはそんな軽いものではない。簡単に消費できるようなものではない――スローターはそう訴えつづけている。だから彼女は女性に振るわれる暴力を容赦なく凄惨に描く。そうすることで暴力の苦痛を読者に体験させようとしている。

 活字で表現されたフィクションの暴力に、現実の暴力の苦痛を組み込み、犯罪被害と犯罪被害者をミステリの中心に据える──ウィル・トレント・シリーズ第二作『砕かれた少女』(オークラ出版)は、それを見事に描いた傑作だった。注目すべきはすべてが解決したあとのエピローグ。そこでスローターは、被害者が苦痛の体験と記憶から立ち上がろうとする姿を描いている。その前の章までで事件は解決しているから、このエピソードは不要なはずだ。しかしスローターはこれを書いた。スローターにとって重要だからだ。犯罪被害の苦痛は筆舌に尽くしがたいものだが、しかし、それは「魂の殺人」というような回復不能のものではない──スローターはそれを伝えたくてエピローグを書いたのではなかったか。

 残虐ポルノとしてのミステリを否定し、安易な秩序回復の物語としてのミステリも否定し、その上で暴力犯罪の生々しい真実を――被害の痛みと回復への苦闘を――描こうとしているのがスローターという作家なのである。苦痛の経験を直視する容赦なき誠実さ。それがスローターの最大の美質だと僕は思っている。

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 さて本書『破滅のループ』は、名作『砕かれた少女』と同様にジョージア州捜査局(GBI)の捜査官ウィル・トレントを主人公としたシリーズの第九作にあたる。中心となる登場人物はウィルの他、ウィルの恋人で検死官のサラ、ウィルの相棒であるシングルマザーのフェイス、そして上司であるGBIの副長官アマンダ。彼らが対峙するのは大規模なテロ攻撃を計画しているとおぼしき白人至上主義グループである。

 開巻早々、彼らの街で爆弾テロ事件が勃発、物語はフルスロットルで走りはじめる。

 サラと出かけていたウィルはサラとともに爆破現場に急行するが、その途上で交通事故に遭遇。医師であるサラの先導で負傷者の治療に当たろうとしたとき、事故車に乗っていた男たちが二人に銃を向けた。彼らは逃走中の爆破テロ犯だったのだ。彼らの襲撃にウィルは倒れ、サラは拉致されてしまう。しかも一味と行動をともにしていたのは、一ヶ月前に拉致されたアメリカ疾病予防管理センター(CDC)の研究者だった……。

 恋人サラを眼前で連れ去られ、自責の念に駆られるウィル。白人至上主義者のコミューンに監禁され、脱出の機会を狙うサラ。FBIなどと連携をとりながらサラの行方を追うフェイスとアマンダ。白人至上主義グループが計画するテロ攻撃とは何なのか。彼らはなぜCDCの専門家を誘拐したのか。コミューンの子供たちを苦しめる病気の正体は?

 いくつもの謎をはらみながらも本作のプロットはいつもよりもシンプルで、そのぶん力強く突進してゆく。ついに一味の計画が判明すると、物語は一挙にクライマックスに突入、その渦中にいるウィルの視点で語られる壮絶な戦いはスローター史上最大スケールを誇る。サラが最後にコミューンで見るものの悲痛さもスローター作品中随一。ジェットコースター的な一気読み度も史上最高と言っていい。つまり、スローター未体験者が最初に読むスローター作品としてプッシュできる仕上がりなのである。

 僕はスローターが大好きなので、正直に言えば「今すぐ買いに行け」と言いたい作品は他にもある。ウィルの上司の猛女アマンダの若き日の苦闘を現在の事件と並行して描く『罪人のカルマ』とか、フェイスの母親をめぐるタフな高齢女性たちの死闘編『血のペナルティ』とか、ウィルの妻のアンジーを軸に「愛する者を傷つける愛」の凄愴ぶりを書き尽くしてシリーズの節目となる『贖いのリミット』とか。どれもヤバいくらい傑作なんですよ。でも、いずれもシリーズ・キャラクターの過去に深く関わる話なので、いきなり読まないほうがいい。同時に、「女性にふりかかる有形無形の暴力」を描くスローターの筆の容赦のなさは、軽い気持ちで読んだ読者を跳ね飛ばしてしまいかねない危険さもある。その点、本書はシリーズ・キャラの過去にも踏み込まず、物語もエンタメ度が高く、残虐度もおさえめ。最初に読むスローターに最適だという所以である。

 ちなみに、長らく入手困難だったデビュー作『開かれた瞳孔』は、先ごろハーパーBOOKSよりめでたく復刊された。これはウィルの公私にわたるパートナーであるサラ・リントンを主人公としたシリーズの第一作でもある。「女性への暴力」と「被害の痛みと、そこからの回復」というスローターのテーマが、デビューから一貫していることを示す秀作なので、是非お読みいただきたい。しかも先ほど本書の担当編集者から、『開かれた瞳孔』につづく第二作"Kisscut"の邦訳刊行が決定したとの報が届いた。この非凡なミステリ作家が、ようやく日本でもしかるべき評価を受けはじめたことを寿ぎたい。

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 スローターを読むたびに、僕は女友達があるときふと漏らした言葉を思い出す。

「身体の大きい男のひとって怖いんですよね……」

 もちろん彼女の個人的な感慨にすぎない。だがこのとき僕は、それまで実感したことのなかった、しかし確かに世界に満ちている〈恐怖〉をはじめて意識した気がした。僕たち男性の無意識の加害性と、それがもたらしうる苦痛と恐怖。それはスローターが描きつづけているものだ。この〈恐怖〉を真に理解することは僕たち男性には困難だとしても、スローターを読むことで、何かしらの理解の手がかりが得られるのではないか。そんなふうに思うことがある。

 スローターを読むことは、苦痛と被害と恐怖の経験だからだ。

♢〈ウィル・トレント〉シリーズ既刊
『ハンティング』上・下

『サイレント』上・下

『血のペナルティ』

『罪人のカルマ』

『ブラック&ホワイト』

『贖いのリミット』

そして、読者の皆さまの熱い声にお応えして奇跡の復刊
♢〈グラント郡〉シリーズ

『開かれた瞳孔』


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