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マイ用語を理解してくれて嬉しかった話

「左足だけ切り離されてるみたいで、、、」

整体でのわたしの一言。

いや、実際にはちゃんと左足はついている。ちゃんと動くし、歩くことも走ることもできる。でも、なんか違和感がある。

それがこんな表現となった。

今からだの歪みを治療中のため整体に通っている。
実は昔から姿勢や体の歪みとお付き合いしていて、去年その歪みが耐えきれなくなり痛みとして限界サインをくれた。(それはまたどこかで)

でも限界だったからか、どこにいってもなかなか治らず今の整体院にたどり着いた。

はじめのことばに戻る。

「左足だけが切り離されてるみたいで、、、自分の足じゃないみたいで、、、」

こんなことをいうと、なかなかいつもきょとんとされる。
(変なことを言っているのは重々承知している)

でも今回の整骨院さんは違った。

「ああ、みててそう思う。あっ今右に重心移ったでしょう。それはたしかに左足あんまり使えてないね」

率直にとても嬉しかった。

いろいろ嬉しかった。

一見するとわからないしんどさに気づいてくれたのも嬉しかったし、わたしなりのことばを理解してくれて、そのうえ、とてもわかりやすいことばで言い直してくれたことに感動した。

相手の世界観に寄り添ってくれようとしているその姿がとても嬉しかった。

実際、相手の世界観や目線にたって受け止めるってとても難しい、、、

自分の世界観の中だけで生きてたらこうはできないし、かといって、相手に寄りすぎるとひっぱられてしまう。

どっしり受け止めるには、どっしりとした器が必要で、
それはたぶん長い年月をかけた学びと経験が大切なのだろうと感じた。

今日もまた「なりたい人」のストックが増えていく。

いろんな素敵な出会いに今日もありがとう。感謝を。


追記

もう一つ嬉しかったことがあった。

わたしはからだの感覚に敏感(な方だと思う)

今までの整体や整骨院ではそこをどちらかというとマイナスにフォーカスされていた(まぁ自分でも敏感すぎる自覚はある….)

「あまり敏感になりすぎると余計しんどくなっちゃうからね」

相手はそういう気持ちで言ったんじゃないこともわかってる。
(たぶんわたしが気にしすぎて落ち込まないように元気づけてくれてる)

けど、なんとなく、自分の感覚を感じることが、感じてる自分がダメなような気がしてきて
だんだんと自分の感覚を主張することもなくなっていく

そんなことが多くなった。

でもここでは違った。

「感覚がアスリート並みだね!すごい!」

「あなたは感覚派だから、感覚的な視点で直していった方がはやそうだからそうしてみよう!」

なんていうか「いいよ、感じることはいいことだよ」って

そんな風に言ってくれているような気がしてとても嬉しかった。

物事ってどんなふうにフォーカスするかで本当に景色が変わる。

そう思った。










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