罵声はなりきりサンチェとともに(vsFC東京)
「ふざけんなてめぇ何度目だこのやろう!」
「いつまで抗議してやがんだてめえ」
「レフェリー、カード持ってきてねえのか!」
妙に通る罵声があたりをつらぬいた。まぁなんて野蛮なこと、やだやだ。3月2日、クソ寒い味の素スタジアムでのFC東京戦、ビジター席のはしっこで、冷えた手をさすりながらぼくは顔をしかめた。
試合まえの花火の特効であたり一面白煙におおわれていた。往年のセリエAをおもわせる物々しさを帯びてゲームははじまった。でもだからってなにも観客までセリエA、ウルトラス仕様にせんでもいいじゃないか。ぼくは、たしなめるような気持ちで声のほうに視線をやった。すると、なんともかわいらしい"なりきりサンチェ"をかぶった青年が、顔を真っ赤に、くちびるをつきだしてさけんでいた。
ぼくの右どなりの男女ふたり組が、おそらく同時に青年のそのさまを見たんだろう、顔を見合わせて、ほころばせていた。ぼくもおもわず顔をほころばせてしまった。
開幕戦、鮮烈な勝利をかざったサンフレッチェ広島は、意気揚々と味の素スタジアムになぐりこんだ。でもパッとはしない。両チームとも、おなじくらいミスをして、おなじようにリズムをうしなっていた。ミス以外では動きようのない展開になった。はじまるまえの段階で、ボタンの掛け違いがあったような気配もしたけれど、よくはわからない。
試合はちょびっと退屈だった。
そうなると、とたんにピッチ外のことが気になってくる。たとえば、ベンチメンバーはなにしているんだろう、だとか。腕組んで試合展開を見守る川浪吾郎さんのスタイルのなんてすてきなことか。ベンチ入りをはたした井上愛簾さんは……なじめてない。先輩たちもっと声かけてあげて、ともおもうけれど相手は高校2年生。おじさんたちも気後れしちゃうか。
意識はビジター席にも向かう。まずは左どなりのおにいさん。カーニバルの「アーレー」で腕をあげるとき、かならず脇汗のにおいがした。これはもうしょうがない。たとえ、ネルシーニョさん並みにがっちがちに対策したとしても、そこをかいくぐるのがあのにおい。ぼくもその対処には苦慮している。無香料の8×4ロールオンとAgDEO24のメンズシートが通年手放せません。しかしあのにおい、電車でかぐと殺意がわくのに、ゴール裏でかいでもたいして腹も立たないのはフシギだ。
うしろのほうには、インテンシティのたかいサポーターさんがいた。たのもしかった。試合展開に1ミリも左右されず、テンションをキープし続けていた。声が高かったからお若いのかしら。女性だったかもしれない。なんにせよ有望である。ぼくの周辺は、チャンスになるととたんに声が出なくなっていたから、たいへん心強かった。
そして冒頭の、なりきりサンチェの青年である。
とにかく彼の声はよく通った。まっすぐ伸び、減速しない声。はしっこまで統制のとりきれないサポーターの喧騒のなかで、ひと際目立っていた。かれはその強い声をつかって、FC東京に正統性がないこと、FC東京が悪行のかぎりをつくす外道であることを主張しつづけた。判定が気に入らなければ主審にも声を荒げた。そしてそのたびに、あたまのなりきりサンチェがぴょこぴょことゆれた。となりの男女ペアとぼくはほっこりせざるを得なかった。退屈なくせに緊張感だけあるゲームの、一服の清涼剤になっていた。嫌味でもなんでもなく、ただ本当にありがたかった。
サポーターがスタジアムでなにかを身にまとうとき、そこにはだいたい意味があるものである。かれも、きっとなんらかの意味合いで、なりきりサンチェをかぶってきたんだとおもう。ただそれがなにかは、わからない。すくなくともサンチェになりきることでないことだけは、たしかだった。サンチェがあんなクチわるかったら、ぼく泣いちゃうよ。
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