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ちなみに観ないという選択肢はない(vsアルビレックス新潟)

 アルビレックス新潟戦の翌日。日中いいお天気だったので、洗濯物を一気にやっつけた。たまっていた洋服やタオルが、ベランダに一斉に干されて、真夏ほどではないにしてものそこそこの温風にゆられられてるのは、なかなかの壮観だった。

「やっぱ洗濯ってキライじゃないなあ」
「手際もよかったんじゃないの」
「洗濯ならいくらでもやれるわー」

 と達成感におもわず得意げになっていたのだが、いざとりこむとなったそのときである。なにもないところにつまずいて、干したものをかたっぱしからぶちまけた。何枚かはマンションの外にひらりひらりと舞いおちていった。

 いつもこうなのだ。ぼくの人生はこの連続だ。なにかうまくいったりして張りきると100%ずっこける。例外はない。

 その日の夜も、ファイナルファンタジーの新作をやってて、2時間ちかく倒せないボスをやっと倒してはしゃいだら、そのあとすぐに水の入ったねこ用の皿を盛大にぶちまけた。妻の足に水がかかり「ひぁ!?」という悲鳴がきこえた。ゲームやりすぎて手がプルっとしてしまったらしい。

 あとはそれこそ5月末だ、こっから夏まで突っ走るぞ〜と意気込んでいたら、例の感染症にかかった。後遺症もあって6月をまるまる台なしに。張りきったりはしゃいだりすると、ホントのホントにロクなことがない。なんなんだよ。

 アルビレックス新潟戦はだから、ほぼほぼぼくのせいで敗けたといっていい。あのときはひさしぶりの茶島さんサイドハーフについはしゃいでたし、ぼくは自分のことを茶島さんだとおもってゲームを観るので「やったるぞ」と張りきってもいた。そんなうかれ気分のぼくをカミサマが見のがすハズもない。チームは完敗、茶島さんもハーフタイムで交代させられてしまった。

 茶島さん、せっかく上手に味方をサポートしながらボール保持に貢献できたのに。いいボール奪取もしたし、クロスもそこそこだった。いきあたりばったりなチームのなかで、やれることはやった。手ごたえはあったのだ。それだけに心底もうしわけない、ぼくのせいで……。

 もしかして決定機がことごとくハズれるのもぼくが悪いのか。ぼくがシュートチャンスのたんびに「行け!」なんて意気込んじゃってるから、だから枠にとばんのか。そうか、そういうことだったのか。なんてこった、これではファンどころかただのおじゃまむし、疫病神、桃鉄でいえばボンビーではないか。

 でも冷静にかんがえるとぼくもたいしたもんである。なにせサンフレッチェにまで影響をおよぼしてしまうんだから。この性質がどのように影響するのか、今後もサンフレッチェを観つづけながら検証していかねばなるまい。

 次節がたのしみなのねん。


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