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スウィートではない、10年目のわたしたち


今日は我が家のプライベート雑記を。先日、、


結婚10年目を迎えましたっ


「あ、今日は結婚記念日!」と気づいてはいたものの、特に何も用意せず。

というか、その前日は二女の通院もあって、むしろそちらに気がとられていて。
※二女のこと

https://note.com/harmonika0821/n/n6ac6fda6cf6


夫からも(案の定)何のあれもなくwスウィートさのかけらもない結婚記念日をとはいえ、いつもと変りなく仲良く過ごしました。

二女の通院で気が張っていて、加えてその日は夫の実家へ帰省すべく高速を、長距離間、運転したこともあり、なんと夜から発熱する始末。
私、夫、長女で念のためコロナ検査に。

抗原検査で幕開ける、10年目となりました。
※無事に陰性でした。健康万歳。

誰もが憧れる幸せな夫婦になりたい頃もあった


昔は、こういうイベントには何かしてほしいって思っていて、何ならサプライズとか用意してくれたらいいなぁとか、そういうことも期待していたんです。けど、夫はたぶんそういうのに興味がない。で、興味がない=私は大切にされていない、という強烈な思い込みを加速させて、だったらお祝いしてほしいっていう希望を伝えればいいのにそれもせず。言わずともわかってよ、という独り相撲を長年とっていたのです。

巷にはおられるでしょう。お花を買って帰ってきてくださる素敵旦那さんが。そういうのに憧れてました。「いいなぁ」って思ってもらいたかったんだと思います。あいたた。

でで、もうそういう時期はとうに過ぎ、10年。

この節目のときに【幸せな夫婦とはなんぞ】ということをちょっと考えてみたんです。

相手がみた景色をともに愛する

このGWは夫の実家で過ごし、夫が小学生時代に過ごしたところを、ドライブしました。

「ここは〇〇君が住んでた場所で。」
「あそこには昔あんな建物があって。」

私はその頃の様子を知るすべもありません。けれど、夫が楽しそうに、
思い出話をする姿が好きだと思いました。
素晴らしい時間があったのだなぁと、こちらも満たされた気持ちになります。

そこで見えた、私が思う幸せな夫婦のあるひとつの姿というのは

自分は知らない、相手が見たであろう景色を、

経験したであろう出来事を想像し、
それらをともに愛せていること

なのではないかと思います。
自分とは違う人生を、ここまで歩いてきた人のこれまでの日々を、自分も大切に思うことができるなら、その関係には“愛”がある気がします。

自分のものではない相手の思い出にイメージを馳せてそれらを自分も大切にできたら、素敵じゃないでしょうか。誰かからうらやましがられることもないかもしれないけど、幸せな夫婦なんじゃないかしら、そんな二人は。

決してスウィートではないけれど大切な気づきがあった、10年目の新緑の季節です。

夫婦になってからは、経験を共にすることが多くなる。だからなのか、
「相手もきっと、いま自分が感じていることと、同じことを感じている。」って錯覚してしまうことが多くなりがち。

でも、同じものを見ているようで、実は違うもの見てたりする。笑えるくらい解釈が違うことも。

そういう前提でいたら、多少の齟齬は、許せる気がしませんか(笑)

今後10年は、自分とは違う目線を持った人のその違った視点を、想像し、
なお愛せたら良いなぁと思っています。

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