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言葉ってそんなに強いものなのか、という衝撃

 突然ですが、私には折に触れて思い出す、大好きな”詩”があります。吉野弘さんの【生命は】というものです。誠実な日本語、と表現したらいいのでしょうか。押し付けるでもなく、でもたぶん、人が人という生き物としてこの世界に生きていくうえで、大切なことが表現されていると、この詩を読むと、感じます。

 ざっくりとした説明にはなりますが、この詩は、人ってものが、相互依存して初めて存在しうるんだよーっていうことを優しくあったかく書いてくれているようで(ほんに、ざっくり(;'∀'))その寛容な在り方におそらく私は、長らく惹かれているのだろうなぁと自己解釈しています。


 人間って一人では生きられないだけではなくて、自分のことすらわからなくなる生き物なんだ、と思います。鏡となってくれる自分以外の存在があって初めて、「私ってこういう奴やったのか!!」と知るに至る。他者と自分を比較して、ときに同一化して、人は自分というものへの理解を深めます。


 誰かがいてくれてこそわかる自分、という点で、誰かと語ったり、交流するってとっても大事です。読書の時間もそのひとつ。他者の価値観がつまりに詰まった本を開くと、共感したり、「ちょっとよくわからん」となったりして。そういうことを繰り返して、私はまたひとつ、自分というものの輪郭を明確にすることができます。

TOP画像 ノートと鉛筆

こんな本にであった


 さて、前置きが長くなりました。(前置きやったんかい)久しぶりに1日で読み上げた本がありましたので紹介したいと思います。『あふれでたのは やさしさだった 奈良少年刑務所 絵本と詩の教室』(西 日本出版社 2018)。とても好きなブロガーさんが紹介されていて、手に取りました。

 この本は、サブタイトルにあるように、奈良少年刑務所(2016年閉庁)で2007-16年まで行われていた社会性涵養プログラムにて、講師を担当された詩人・寮美千子さんによる一冊です。社会性涵養プログラムというのは、その名の通り、受刑者である少年たち(年齢は17-25歳まで)の社会性を涵養するためのプログラム。涵養なんて言葉、私、正直知らなかったんですが…じわじわと水がしみこむ…そんな意味合いがあるようです。


 ここで行われたのは、主に絵本や物語作品を使った朗読劇、時に参加者自身で詩を創作する、といったこと。参加者であり、受刑者でもある少年たちは、万引きはじめ殺人や強盗など、非常に重い罪を背負っている子もいたようです。罪を犯している以上、傷つけた人がいるわけで、その点、この本を読んで複雑な気持ちになる人がいることは、しっかり認識したうえで読み進めてゆきました。


 内容が進むにつれ、犯罪者である彼らとはいえ、実は加害者となる前に、虐待やいじめなどの“被害者”だったようなケースがほとんどだった、ということが理解されてゆきます。まともな教育を受けずにきた彼らは、そもそも自分の気持ちがわからない。それこそ、自分が嬉しいのか悲しいのかも。逃げ場も助けてくれる大人もいない環境で、とことんまで追い詰められて、最後の最後、罪を犯すという道に足を踏み入れてしまった人たちなのですが…。言葉の力を借りて、彼らが驚くべき変化を遂げる様が、リアルに書かれていました。

 おっと、思いのほか長くなってきました💦つづきは次回に委ねます。
この本を読んで私が感じたのは、「言葉ってそんなに強いもんなんか!!」という、作文の先生をやっている人間としては、少しばかり恥ずかしいような感想。言葉の力で少年たちがどんな風に変化していったのか、それを踏まえて私が感じたこと、目指したいことなどを、次回書いてみたいと思います。

 最後までお読みくださってありがとうございました。

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