「売れている占い師って・・・」友人が語った一言
以前まだわたしがアカシックリーダーでもなくて、ひたすら自己認識に取り組んでいた頃のことだったと思う。
それまで宗教と哲学と心理学分野から人間を見ていたもののしっくり来なかったわたしに「スピリチュアル」という言葉を教えてくれた人。
その彼女がある時こう言った。
「売れている占い師っていうのは、それだけ葛藤が多いってことなんだよ」
もしかしたら伝聞調だったかも知れない。
わたしは人から話を聞いた時なんでも鵜呑みにはしない。自分の内側の感覚に尋ねるか、複数の視点からの意見を参考にしたりする。最終的にはやっぱり自分の気持ちと感覚に決断を委ねることになる。
この話を聞いた時、わたしの内側は大きく揺さぶられた。
当時スピリチュアルの世界でアイデンティティを持っている人はとてもすごい人のように感じていたし、その世界で経済的に成功しているなんて羨望の眼差しを向けずにはいられなかったと思う。
それがだ。その存在がわたしが必死で手放そうとしている葛藤を多く持っている人だなんて、なんだか目標を剥奪されたような、膝から力が抜けてお腹に変な怒りが渦巻くような感覚に襲われた。
疑念も持った。
彼女は言葉を続けた。
葛藤が多い人はその自分の内側の葛藤を見る必要があるために、外に答える形で自分の葛藤を見ているのだという。
これを聴いたら疑念は消えて納得はできた。
モヤモヤが消えるわけじゃないけれど体験的に理解できたからだ。
自分もスピリチュアルコミュニティを運営していた時、オラクルカードやタロットカードを使ってメッセージを伝えていた。相談を受けて答えていたこともよくあった。
それはチャネリングのようなことをしていたのだけれど、後で考えると返事のエッセンスが自分へのメッセージになっていて、その気づきはわたしの体験の中でも大きなものだったからだ。
その時はモヤモヤを一部抱えたまま「そうなんだー」で話が終わった。
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今のわたしが、新たに気づいたこと。
それは「何かをするのにより完成された『いつか』を待たなくていい」ってことだ。
アカシックリーディングは特別な人に与えられた力を使うものじゃない。
誰でも繋がっているから、繋がるために本当は修行なんて必要ない。
ただ読むのに葛藤は邪魔になってしまう。
実際アカシックは葛藤があると読めない。
それでも葛藤が完全になくなるまでアカシックリーダーになれないかというとそうじゃない。リーディングの時だけ葛藤を傍に置ければいいのだ。
ヘミシンクでも誘導で最初に余分なものを箱に入れてからカウントに入るけれど同じだと思う。
変な話、自分のことを棚に上げて他人をとやかくあれこれ言う人がいるけれど、あの精神、あの才能を持ち合わせればいいわけじゃん?なんて真面目さを大方捨て去ってしまった今のわたしはそう思えるくらいだ。
必要だったのは真面目さじゃなくて気軽さと遊び心と、真摯さだけだったのかもなぁ、と。なんだか遠回りした気分にもなった。
友人の言葉を思い出したのは久しぶりのことで、何とはなしにふと思い出されたこと。
リーディングをするときは完全にただの情報を受け取る媒体の意識だし、ただ相手の資源になることだけを意図しているからセッション中は内容に個人の意識で関わることはない。
相手を自分の鏡として見ることがあるならセッションが終わって振り返ってからだと思う。そのときに自分が放射しているものを見ることになる。本当に明晰でないと見失ってしまう真実を。
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明晰でありたい、と思う。
眠っているとわかっているのに目覚められないような感覚を感じるときがある。
両の手から、その指の隙間から絶えず砂がこぼれ落ちているようにさえ思う時がある。
リーディングを自分の葛藤を映す鏡で終わらせる気はない。
だったらわたしはいまのこの世界でどんな価値を提供できるんだろう?
完全にクライアントの資源になる、という当たり前で絶対的なこと以外に意図して臨むこと。
そんなことが替わりに必要になるのだと思う。
或いはよりその意図を表現するのに適した形にセッション自体を変えていく必要も後々は出てくるのかも知れない。
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今日の夕焼けは綺麗でしたね。
何枚も撮ったうちの一枚。
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